2016年10月28日

米大統領選にみるアメリカの民主主義の陰と光

アメリカ大統領選挙が目前に迫った。
 
2016
年の大統領選は、私がアメリカで観察する5回目の選挙となる。毎回選挙の度に感じてきたのは、一見公明正大に行われている米大統領選に垣間見る、アメリカの民主主義の根幹にある陰と光である。今回ほど、それを顕著に感じる選挙はない。
 
米大統領選といえば、従来は「リベラル・民主党」対「保守・共和党」という構図が支配的であった。ところが、今年は予備選が始まった当初から、「エスタブリッシュメント*」対「反エスタブリッシュメント」という構図が明確となった。

*
エスタブリッシュメント: 二大政党、スーパーPAC(政治資金団体)、PACに莫大な政治資金を寄付する巨大企業、金融資本、軍需産業、大手メディアなどで構成される広義の権力機構をさす
 
長丁場の選挙戦、候補者の暴言やスキャンダルの応酬に辟易し、目を逸らせてしまう有権者も多いかもしれない。しかし、「エスタブリッシュメントが押すクリントン」対「反エスタブリッシュメントが押すトランプ」の闘いの本質を考えると、今回の選挙はアメリカ現代史上前代未聞の、ある意味革命的な選挙戦だといっていい。そして、この動きは、今回限りでは終わらないかも知れない。
 
民主党予備選で、バーニー・サンダースがヒラリー・クリントンを追い詰めたことや、全く本命視されていたなかったドナルド・トランプが共和党予備選を勝ちあがり、本選を互角に戦う事態となったのは、有権者の多くがエスタブリッシュメントが支配する既存の政治システムに諸悪の根源があることに気付いたからだった。
 
これまで二大政党政治が、いかに1%の特権階級を優遇し、99%の国民の利益を奪ってきたかに気付き、既成の政治にNOを突きつけたからだった。二大政党政治は、民主・共和のどちらが政権を担っても、エスタブリッシュメントが操る国家の根幹システムと世界の軍事戦略には大きな違いがないということに、米国民の多くが気付き怒りの声を上げた、そういう意味で革命的な選挙戦である。
 
ただし、これが既存の政治システムを打ち破る真の革命になるのか、それは定かではない。先行きはいまだ混沌としている。
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2016年04月06日

エスタブリッシュメントが描く国家戦略とアメリカ国民の覚醒

アメリカ大統領予備選が始まって約2ヶ月、共和党ではドナルド・トランプ氏が依然トップを走り、民主党はバーニー・サンダース氏がヒラリー・クリントン氏との差をじわじわと縮めてきている。この予想外の展開に、いったいなぜ、あんな人(トランプ氏)が大統領候補に?サンダース氏ってチャンスあるの?といったよく質問を受ける。


トランプ人気や、トランプ氏と共和党主流派との対立など、すでにニュース解説等もありネット上でも様々な憶測が飛び交っているが、私は「アメリカ国民が、ようやく何かに目覚めアメリカ政治の本質を理解し始めたがゆえの現象ではないだろうか」という思いを抱いている。


今回の記事では、アメリカ国民が何に目覚め始めたのか、アメリカ政治の本質とは何か、いったい今回の大統領予備選で何が起きているのかを、表題にある”エスタブリッシュメント(後に詳述)”をキーワードに、独自に分析してみた。


■巨大資本が操る大統領選


アメリカは民主国家であり、国民に選ばれた大統領が国民のための政治を行う、ということになっている。


しかし、まず始めに言えることは、アメリカ大統領選挙が行われるシステムも、大統領が行う政治も極めて非民主的であるということだ。

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posted by Oceanlove at 07:18| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

インタビューシリーズ第3回「バークレー市議会による辺野古基地反対決議」

 ゲスト: ジョージ・リップマン氏(50代)。カリフォルニア州バークレー市 
“平和と正義”委員会委員長。システム・エンジニア。

■まえがき

20159月、カリフォルニア州バークレー市議会は、沖縄の米軍普天間飛行場の移設に伴う、名護市辺野古の新基地建設に反対する決議を採択した。

決議では、米軍基地が集中している沖縄では長年県民に重い負担がかかっていること、地元住民が移設に反対していること、新基地建設は辺野古沿岸に生息する哺乳類への悪影響があることに言及し、米政府に対し沖縄の民意の尊重と環境の両面を考慮し、法に基づいた措置をとるよう求めている。


IMG_5675.JPG

バークレー市議会の決議文のコピー


日本国内では、普天間飛行場の辺野古移設をめぐって、安倍内閣と沖縄県の対立が続く中、沖縄以外の地域に住む日本人は、まるで自分とは無関係であるかのように、沈黙している。辺野古への新基地建設は、当然のことながら、日本全体の安全保障に関わる問題であり、沖縄の周辺住民だけの問題ではない。にもかかわらず、国民の多くにとって、これは、あくまでも沖縄と中央政府の対立なのだ。

日本国民が沈黙している理由は二つある。ひとつは、沖縄に重い負担を押し付け続けるのは気が引けるが、かといって、その肩代わりを自分の住む地域で引き受けようとは思わないから。

もうひとつは、辺野古新基地建設は、日米同盟の軍事戦略の一環であり、日本政府だけの意思で決定することができないからだ。言い換えれば、対米従属の日本はアメリカにNOと言えないと分かっているからだ。

そんな中、何千キロも離れた沖縄で起こっている米軍基地問題を、自らの問題として捉え、環境保護や人権、民主主義の観点から、沖縄の人々の側に立ち、米連邦政府に自らの安全保障政策を見直すよう促す決議をアメリカの自治体が行ったことは、大きな驚きである。

今回、バークレー市議会を辺野古基地建設反対の決議に導いた、同市の“平和と正義” 委員会の委員長であるジョージ・リップマン氏に話を聞くことができた。

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2016年03月03日

安全保障インタビューシリーズ 第一回 ウェス・ヴァンビューレン氏 

アメリカの安全保障政策、日米同盟関係、そして日本の平和憲法などをテーマに、日米の専門家・一般市民にインタビューを行い、シリーズで掲載します。様々な立場の人々の意見に耳を傾けることで、この問題に関する知識と理解を深め、自らの安全保障問題を考える際の材料としていただければ幸いです。


ウェス・ヴァンビューレン(50代): 中学校教師。作家。英語、数学、社会、科学の全教科を教えるマルチタレント教師。リベラル派。民主党支持。



♦米軍は、経済を循環させるための巨大産業と化している

筆者: 今日は、アメリカの安全保障政策、アジアや中東における軍事戦略、日米同盟など、多岐にわたってお話を伺います。

はじめに、現在米軍は世界150カ国以上に拠点を持っており、合わせて約15万人の米国軍人が派兵されています。アメリカの国民の中には、「アメリカは他国への干渉を止めるべきだ。なぜ、アメリカ国民の税金を使って他国の国民、特に先進国である日本やドイツを保護しなければならないのか。外国から軍を撤退させるべきだ」という人々も少なからずいます。このような意見について、どう思いますか?

ヴァンビューレン: 米軍の世界への派兵が多すぎないかということですが、その通りだと思います。これは、1950年代半ばにまで遡りますが、まさに当時のアイゼンハワー大統領が国民に警告した通りです。いわゆる “軍産複合体(筆者注:Industrial Military Complex 軍需産業に関わる民間企業と軍と政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体)”の問題です。つまり、軍はビジネスを活性化し、経済を循環させるための巨大産業と化してしまっているのです。軍が進出すれば、武器や施設やインフラなど軍にかかわるあらゆる需要が増しアメリカ経済を押し上げるからです。

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2014年10月08日

What Snowden has brought to the American Society

In June 2013, Edward Snowden, a former CIA contractor/system administrator, leaked thousands of National Security Agency’s (NSA) classified documents and brought the US government’s spying programs to international attention. Amongst the NSA’s programs uncovered by Snowden’s leak was the mass surveillance data-mining program called Prism. NSA tracks and collects internet and telephone communication of the American people through internet companies including Facebook, Google, Yahoo, and Verizon.

While some call him a traitor who disclosed national security information, others call him a patriot who exposed unconstitutional activities of the government to the public. 

He is facing three federal charges including the violation of the Espionage Act and theft of government property, with a prison sentence up to 30 years. He ended up stranded in Moscow airport for over a month until he was granted temporary asylum by Russia. A year later, in August 2014, his asylum was extended for another three years.

On May 28 2014, NBC’s Brian Williams met Edward Snowden and interviewed him at an unknown location in Moscow for the first time by the American News Media.

"We are not here to judge whether Edward Snowden deserves life in prison, or clemency," Williams told the NBC audience. "We are here to listen for the first time to why he did what he did, and what his concerns were for our society. We are here to learn some of the things our government did in our name. In the end, perhaps some of us will change our minds. If we don't, at least we will have been informed."

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2014年06月16日

スノーデン事件に見る米国民の自由(=Liberty)を護る闘い その(2)

この記事は、

スノーデン事件に見る米国民の自由(=Liberty)を護る闘い その(1) 

の続きです。

🎨機密情報の漏えいについて

スノーデンは、機密文書の公開と告発の手法として、情報を第3者のジャーナリストに託し公表させる方法を選んだ。2013年5月、スノーデンはあらかじめ計画していた通り、機密情報が保存された4台のパソコンを渡航先の香港で、アメリカ人の法律家で英ガーディアン紙のジャーナリストだったグレン・グリーンウォルトと、ベルリン在住のアメリカ人映画監督のローラ・ポイトラスに手渡している。この二人を選んだのには理由がある。

ポイトラスは、数々の社会派ドキュメンタリー映画を作成し成功を収めている映画監督だ。2012年にも、元NSAの職員ウイリアム・ビニーによる内部告発をドキュメンタリーに描いている。2006年には、米軍占領下にあるイラクの人々を描いた作品“My Country, My Country”がアカデミー賞にノミネートされた。しかし、その後のポイトラスの活動は米国土安全保障省による監視の対象となり、出入国時の不自由やパソコンや携帯電話の捜索等、不当な扱いを受けてきた。ポイトラスに加えられた言論・表現の自由への圧力・侵害についての記事をガーディアン紙に書いたのがグレン・グリーンウォルトだった。

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posted by Oceanlove at 13:52| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スノーデン事件に見る米国民の自由(=Liberty)を護る闘い その(1)

エドワード・スノーデンが、アメリカの国家機密情報を漏えいし、NSA(米国家安全保障局)の情報収集プログラムを告発したのは、ちょうど一年前のことだ。若干29歳の若者の告発によって、911同時多発テロをきっかけに、「テロとの闘い」の名の下にアメリカ政府が始めたこの情報収集プログラムの違法性が白昼のもとに晒されることとなった。

米政府は、スノーデンを指名手配中だが、スノーデンは昨年5月に香港で情報をリークした後、モスクワに飛び、期限付きで亡命を受け入れたロシアに現在も滞在の身だ。スノーデン事件はアメリカのみならず世界各国の諜報機関に衝撃を走らせ、諜報活動のあり方とプライバシーの保護、言論のを自由をめぐり、激しい論争を巻き起こした。スノーデンは「ヒーローか反逆者か」というスキャンダラスな論議もメディアを大きく賑わせている。

これまで、幾度か外国のメディアに登場したスノーデンだが、最近アメリカのテレビ局として初めてNBCニュースのブライアン・ウイリアムスとのインタビューに応じ、去る5月28日、Inside Mind of Edward Snowden という番組で放映された。インタービューで自らの行動の動機、スパイや売国奴と呼ばれることへの反論、愛国心などについて語るスノーデンの声を聴き、改めてアメリカという国の根底を流れる「自由」を重んじる思想と、それを護ろうとするアメリカ国民の力強い闘いを見たように思う。 「Inside Mind of Edward Snowden」 ←こちらをクリックすると、ビデオクリップをご覧になれます。

今回のブログでは、インタビューをかいつまんでご紹介・解説しながら、スノーデン事件の本質について迫ってみたい。

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posted by Oceanlove at 08:53| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(3)

この記事は、

南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(1)
南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(2)


の続きです。

アートデクラークの決断

南アフリカ共和国元大統領フィレデリック・W・デクラークは、後にこう語っている。

「(隔離政策に)このまま永久にしがみついているわけにはいかない。武力闘争に勝者はいない。私が決断すべきことは、パラダイム(一時代の支配的な考え方や方法論)を変更するか否かということであった。そして、私はその決断をしたのだ。」

デクラークのバックグラウンドからは、彼がアパルトヘイト撤廃を決断する大統領になるなどと誰が想像できただろうか。前述したとおり、デクラークはかつては隔離政策の信奉者であり、「(黒人と白人の)それぞれの発展」もしくは「異なる二国家の成立」を支持していた。デクラークの出身地トランスバール州は保守的な地盤であり、彼は所属するNational Party(国民党)の中でも保守派である。デクラークが有力者であることは間違いなかったが、改革者というではなかった。

しかし、80年代前半には、デクラークはすでに気づいていたという。「それぞれが発展」するには南アの白人社会と黒人社会は相互に依存し過ぎていたこと、白人たちはあまりに多くの利権を手放そうとしていないこと、そして、アパルトヘイトに国の将来がないことに。しかしその彼も行動を起こすまで、彼自身が権力のトップに立つ1989年まで待たねばならなかった。
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2014年02月13日

南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(2)

この記事は、前回「南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(1)」の続きです。

アートアパルトヘイト撤廃はなぜここまで遅れたのか?

80年代に入ると、アパルトヘイト政策を取り続ける南アフリカへの国際社会の非難の視線は一段と厳しくなった。経済制裁も課され、南ア経済は大きな打撃を受けた。しかし、これだけ世界から孤立しながら、なぜもっと早く、アパルトヘイトは撤廃されなかったのか。なぜ1990年まで遅れたのだろうか。

その理由は、80年代の世界情勢−「東西冷戦」および「アフリカ諸国のヨーロッパ植民地支配からの独立−が色濃く関係している。

1975年、南アの北隣のさらに北隣の国アンゴラでは、14年にわたる独立戦争を経てポルトガルによる植民地支配が終焉を迎えていた。しかし独立後、社会主義を掲げて政権を握ったMPLA(People’s Movement for the Liberation of Angola)に対し、共に独立戦争を戦った反政府組織(UNITA:National Union for the Total Independence of Angola、およびFNLA:Nation Liberation Front of Angola)が対立し、1975年から2002年に及ぶ内戦に突入した。  

このアンゴラ内戦は、旧ソ連をはじめとする社会・共産主義国がMPLAを、そしてアメリカ・南ア・イギリスがUNITAを支援する形の米ソ冷戦の典型的な代理戦争の一つとなった。27年間に及ぶ内戦の末、西側が支援したUNITAは破れ、今日までMPLAによる政権維持が続いている。しかし、内戦により国は疲弊し、アンゴラはいまだに世界最貧国の一つだ。(Angolan Civil War)
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posted by Oceanlove at 15:39| 世界情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(1)

ネルソン・マンデラが亡くなったのは昨年の12月5日のことだった。マンデラの偉業については知らない者はいないだろう。南アフリカのアフリカ民族会議 (ANC:African National Congress) のリーダーとして人種隔離政策(アパルトヘイト)の撤廃運動を戦い、27年間の獄中生活を送った後に釈放された。1991年にアパルトヘイトは撤廃され、1994年に南アで初めて行われた民主選挙により大統領に就任、翌1995年にはノーベル平和賞を受賞した。

人種差別という不正義を正すために不屈の精神で戦い、獄中での精神的・肉体的な苦痛に耐え、しかも、釈放された後には、自らを苦しめた相手との対話により、真の和解と国の発展のために尽力した。まさに、全ての人が敬愛し学ぶべき偉大な指導者であった。

しかし、今回のブログで取り上げたい人物は、アパルトヘイト撤廃と南アフリカ民主化のもう一人の立役者であり、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞した南アフリカ共和国元大統領、フィレデリック・W・デクラークである。マンデラの栄光の輝かしさのお陰でやや印象が薄いが、デクラークの功績がなければ今のマンデラはいない。(写真:フレデリック・W・デクラークとネルソン・マンデラ。1992年ダボス世界経済会議にて。Wikipedia より)

Frederik_de_Klerk_with_Nelson_Mandela_-_World_Economic_Forum_Annual_Meeting_Davos_1992.jpg


デクラークこそ、マンデラを釈放した人物であり、南アフリカの政治の中枢にいながらアパルトヘイト撤廃を指揮した人物である。マンデラが虐げられる黒人側から立ち上がった勇者なら、デクラークは虐げる白人支配層のトップに立っていた人間だ。南アで民主主義への体制移行が、流血や内戦の泥沼に陥ることなく行なわれることを可能にした最大の理由は、権力側自らが変わる決断をしたことにある(ただし、流血の惨事や虐殺もアパルトヘイト廃絶への長い壮絶な道のりの中で多数起きている。それは後に述べるが、ここでは1990年代の体制移行時について言及した)。

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