2009年11月29日

アメリカ医療改革制度についての所感

今回は、医療保険制度改革の11月現在のあらましについて、まとめてみました。公的保険制度を一つの選択肢として導入しようとしているオバマ民主党に対し、保険業界、製薬業界、その支援を受けた共和党議員(中には民主党議員も)が猛反発し、半年以上にわたって激しい論戦が繰り広げられています。メディアが様々な憶測を煽り立て、各地で改革案支持派と反対派のデモが衝突するなど、目も当てられない状況になっています。経済危機の中、失業者の増大に伴って、医療保険に加入していない人口が急増していることもあり、議論が過熱しているわけですが、90年代のクリントン政権時代に改革案が流れたときには、3500万と言われていたこの未加入者人口は、現在4600万、今後さらに増え続けていくでしょう。

でも今回の医療制度改革は、未加入者たちを救済するためだけのものではありません。民間保険に加入してはいても、安心や満足とは程遠く、保険料や医療費そのものの高さに怒りと不満が渦巻いています。対GDP比の医療支出は、他のどの先進国よりも多いのに、個人の受けるサービスには雲泥の差があります。アメリカの医療保険制度はもう飽和状態、ほとんど崩壊していると言っても言い過ぎではないでしょう。

例えば、一度がんにかかった人は、職を失えば、もう2度と医療保険には加入できないでしょう。一般の民間の保険では、病歴のある人に高額治療費を保障する保険はほとんどありませんし、保険料が高額すぎて、全額負担するのは非常に困難です。病歴の無い健康な人が加入する場合でも、多くの保険プランに、生涯支払い限度額が設定されています。保険料の高いプランでも、最先端の癌治療にかかる費用は75%程度しか保障しなかったりします。仮に放射線治療に年間2000万円かかった場合、25%の負担は500万です。

現行の医療制度のおかげで、甘い汁を吸ってきたのは保険業界と製薬業界です。私たちが支払う保険料には、保険会社の事務費やマーケティング費用、キャンペーン費用、さらにはロビーストたちを雇う人件費、政治家への献金などが転嫁されており、保険料収入の最大47%は医療費以外の目的に使われていると言われています。そのお陰で、保険料はここ10年で右肩上がりに伸び、民間医療保険に加入するアメリカ人は現在、1世帯当たり年間8000ドルの保険料を支払っていますが、大統領経済諮問委員会によれば、25年までにはそれが2万5000ドルまで増加するといいます。

ここで、強調したいのは、民間医療保険への加入がどれくらい高額かということです。個人で医療保険に加入するのは非常に困難なため、普通は雇用者が参加している民間保険にグループで入ります(グループ保険)。保険料は雇用者と従業員で50/50とか80/20という割合で分担します。各保険会社や住んでいる州、加入するプラン、家族構成などによって保険料も適用内容も様々ですが、一応安心できるレベルの保険に加入している我が家の例を挙げますと、4人家族で保険料は月額1700ドル、年間20400ドルです。もし夫が会社勤めなら、その2−5割程度の負担となりますが、うちは自営業で夫が事業主なので全額払っています。失業してしまった人ならとても払える金額ではありません。

我が家の例は少し高めの数字ですが、全国平均では、4人家族が費やしている保険料は年額13375ドルとあります。巷には月額150ドルとか、いろいろ安い保険もありますが、歯科・眼科は含まれていない、受診時に窓口で払う自己負担(Deductible)が高い、支払い限度額(Cap)が決まっている、と条件が悪く、とても安心できる代物ではありません。誰もが悲鳴を上げている状態です。

さて、オバマ大統領は、「すべての国民、患者、医療従事者、労働組合、事業経営者、コミュニティーグループ、あらゆる立場の人々が改革を望んでいる。すべてのアメリカ人が、現実的に購入可能なコストで質の良い医療サービスを受けられるようすべきだ」と訴えていますが・・・。

改革案の賛成派の主な主張です。
・失業者を含め、誰でも一定の保険料を支払うことで医療サービスが受けられる。
・公的保険・民間保険を選択できるようになる。
・公的保険の下では、既成のグループ医療保険の枠を超えてサービスが受けられる(病院や医師も自由に選択できる)。
・加入者数のプールが圧倒的に多くなり、医薬品の大量供給、システムの一元化等で、様々なコスト削減が可能となる。
現状では、例えば救急外来で保険未加入者の患者に提供されるサービスの付けは、加入者の保険料アップとなって跳ね返ってくるが、公的保険制度の下では、すべての人に加入が義務付けられているので、こうしたアンバランスは起きない。
・公と民の医療保険との間に競争が生まれ、医療のコストダウンとサービス向上が期待できる。

しかし、果たしてこれで、すべての人々が何れかの保険に加入し、質の良い医療サービスが受けられるようになるかというと、そう簡単にはいきません。

改革案によると、2013年までにすべての人が公・民含め何らかの保険に加入することが義務付けられています。低所得者向けには年収400万円程度(家族4人では880万円)を上限として政府からの補助が出されます。補助は税控除の形で直接その人の希望する保険会社へ支払われ、最低所得者(年収約140万円未満、家族4人では290万円未満)では、個人の保険料負担が年収の3%を超えない程度となっています。しかし、年収650万の4人家族の世帯が公的保険を選んだ場合、保険料負担は年収の13%(月額7万円)となり、現在この所得層の人々が支出している民間の医療保険料を超えるレベルとなります。つまり、公的保険を選んだからと言って必ずしも、手ごろな価格で加入できるとは限らないのです。

他に反対派の主張はざっとこんな感じです。
• 皆保険制度導入後10年間は、年間1000億ドルの経費が予想される(これは対イラク戦争に費やした年間費用と同程度)が、このための新たな増税が不可欠となる。
• 保険料支払いのために政府が支出する補助金は、現在未加入の人口4600万人のすべてをカバーするわけではないので、結局自己負担となり加入できない人々が残るのは必須である。
• 未加入者に対しては年額1500〜3800ドルの罰金が科されるが、その上医療サービスが受けられないままでは元も子もない。
• 従業員のための保険料負担をこれ以上増やすことは、特に中小・零細企業の雇用者にとって重過ぎる。負担軽減のための税控除が必要である。
• 公的保険制度の下では、サービスが悪くなり、待ち時間が長く、一定限度の医療しか受けられなくなる。
• 多くの国民が、公的医療保険を選択することになると、民間の保険会社は競争に敗れ衰退し、究極的には政府が医療制度をコントロールするSocialized Medicine へと進んでいく。

「政府が運営する制度は信用できない」という例として、よく引き合いに出されるのが、現在、税金で賄われているMedicare/MedicaidおよびSocial Security制度です。経済不況、資金運用の失敗、高齢者人口の増加とあいまって、それ自体パンク寸前です。アメリカ社会一般に、政府への信用がとても虚弱というか、例のGMの再建のために公的資金をつぎ込んだとき、政府が自動車会社を「経営」することになったと、大騒ぎしたの一緒です。政府がどんな大丈夫だと言ったところで、とても公的医療保険など任せられないといった雰囲気が支配的です。

大きな論点の一つは、公的保険制度を導入することにより、「公と民の競争で、サービス向上とコスト低下に繋がる」のか、「公が民を食いつくし、政府が医療を運営する社会医療制度となり、医療の質やサービスは低下する」のか、という点です。学識者やアナリストたちの話を聞いても、意見は二つに分かれています。

連邦予算委員会の予測では、公的保険に加入するのは1200万人程度になるだろうと見積もられており、民間保険への加入者が激減するようなことは無く、逆に増加するだろうとして、公と民の共存の可能性を示唆しています。

逆に、製薬業界は、当然、公と民の共存はありえないと反論しています。言い分はこうです。「過去数十年にわたり、医薬品開発の競争はアメリカ経済を支えてきた。製薬関連とバイオテクノロジー産業は将来的に渡って大きな成長が可能な分野である。高額の利益があるからこそ、新薬の開発に惜しみなく資金を注ぐことができる。公的保険制度導入により、低価格競争が始まると、開発競争にブレーキがかかり、画期的開発が遅れ、企業利益は低下し、利益が出ない以上、投資する意味が無いから、ベンチャー企業も去り、業界全体の衰退につながる。」

本当にそうなるのでしょうか。それとも、それらしいことを言っているだけでしょうか。

自由競争を重んじるアメリカ人は、政府が医療をコントロールするというのは、イメージするだけで体質的に受け付けないというか、社会主義を連想してかなり脅威に感じるようです。一部の熱狂的な反オバマ主義者たちは、このアメリカ人体質を利用して、オバマは社会主義者だとか、Death Panels (誰をどこまで治療するかを政府が決定する、つまり政府が死の宣告もできる)だとかいう極端なキャンペーンをはり、うまく世論を扇動しています。それを大衆メディアが格好のニュースネタにしています。

でも、こういう動向も意外と軽視できません。公的医療保険が適用されると利用者の減る民間保険業界と高額の利潤で潤ってきた製薬業界は、プライムタイムの莫大なテレビ放映権を買い、共和党議員に政治資金を流し込み、あらゆる手を使って改革の阻止をしようとしています。例えば、NBCニュースでも、世論調査の結果として、公的医療保険制度が導入されると、
55%−不法滞在の移民にも適用されると思う人の割合
50%−妊婦の堕胎にも適用されると思う人の割合
45%−高齢者への治療を中止する時期を政府が決定すると思っている人の割合
54%−政府が医療制度をコントロールするようになると思っている人々の割合
などと、改革案にはまったく書かれていない虚構を、まるでそうなる可能性が大きいかのようにプライムタイムのニュースで流しています。すると、浅はかな視聴者たちは、国民の半分がそう思っているのか・・・本当にそうなったらまずい・・・やっぱり改革案は良くないなどと単純になびくのです。こういう風に視聴者たちを洗脳し、都合のいい世論を形成していくためのキャンペーンに、私たちの保険料の一部が使われているかと思うと、実に腹が立ちます。

もう一つの論点は、やはり財源です。オバマ大統領は、この改革案を多数派の民主だけで成立しようとはしておらず、両党一致での成立にこだわっています。そのために、不可欠なのは、公的医療保険導入に伴う様々な名目のお金、つまり、
• 新たな増税
• 保険料収入 
• 低所得者層への補助金のための予算
• 雇用者の従業員の保険料の負担増
• 中小企業の負担を補うための税控除
など、政府、個人、企業の各ポケットを複雑に出入りするお金の収支計算で、両党が納得することです。しかし、そんな計算見せられても、素人にはああそうですか、としか言えないし、政治家だってきっとわかってないですよ。どちらに加担しているかで、数字はいくらでも変えられるでしょうし。いづれにしても、両党が納得するためには、かなりの部分で妥協しなくてはならず、この複雑なお金の出入りで、つじつまを合わせようと画策しているように見受けられます。結果、妥協案は当初の盛り込んであった公的医療保険の根本がかなり骨抜きになってしまう可能性もあります。

仮に予算上で決着がつき、妥協案が通ったとしても、問題の本質―オバマ大統領が目指し、多くの国民が望んでいる、「すべてのアメリカ人が、現実的に購入可能なコストで質の良い医療サービスを受けられる制度」からは、だいぶ遠いような気がします。ゆくゆく、我が家でも公的保険を選択すれば保険料負担は経るかもしれませんが、それでも現在と同じ医療サービスが期待できるのでしょうか?10年、20年後、アメリカの医療現場ではコスト削減とサービス向上が実現できているのでしょうか?トンネルの先に明かりは見えていません。今はとりあえず、自分の身は自分で守るために、月額1700ドルの保険料を払い続けるしかなさそうです。











posted by Oceanlove at 14:45| Comment(0) | アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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