「いつかはお雛様を飾ってあげたい」。娘が生まれて以来抱いていた願いが、去年叶いました。娘6歳の春でした。
ご覧の7段飾りの雛人形は、私が生まれた年に、祖父母が買ってくれたもので、長い間日本の実家の押入れの中に眠っていました。2年前の里帰りの際に、しっかり梱包し、段ボール箱5つに分けて、船便ではるばるカリフォルニアへと送ったのです。到着までに3ヶ月くらいかかったでしょうか。重くて料金が高くつくスチール製の段組は送らず、新たにベニヤ板と角材を使って手作りの階段を作りました。
リビングの一角に設置し、段に赤い毛氈を敷き詰め、人形、台座、屏風、調度品などを次々に箱から取り出します。それぞれの人形の持ち物や帽子を取り付け、順序正しく備えていきます。娘も嬉しそうに、作業を手伝います。母が丁寧に保管しておいてくれたおかげで、傷みはほとんどなく、とても何十年もたったとは思えない品々です。一体一体の人形はもとより、雪洞(ぼんぼり)の電球まで昔のまま、明かりをつけることが出来ました。
こうして飾り付けられた7段の雛人形。最後に飾ったのは、確か私が小学校6年生くらいの時だったので、かれこれ○○年ぶりに日の目を見たことになります。整然と並べられた様は、何とも美しく豪華です。早速、何人かの友人たちに声を掛け、披露しました。雛人形を見るのは初めてのアメリカ人たち。みな一様に「Wow, Beautiful!」と言って、感嘆の声を上げています。彼らには、異国情緒たっぷりの美しい芸術品に見えるようです。
私自身も、今まで味わったことのない感動を覚えました。以前は、昔の日本の形式ばった風習になどあまり興味は無く、伝統行事としてお雛様を飾っても、特に深い思い入れはなかったのです。それなのに、この歳になって雛人形に感動するなんて、自分でもちょっと驚いています。
その感動は、雛人形の美しさ、つまり、人形の表情や指先、着物のディテールの繊細さなど、純粋に日本の伝統工芸の素晴らしさということもあるし、祖父母にもらったものを我が娘に受け継ぐことが出来たという喜びもあります。
でも、今回私が抱いた感動は、私が日常の中で経験している、ある二組の対比・・・つまり、「古風な価値観と現代的な価値観との対比」および「西洋的な価値観と日本的な価値観の対比」から生まれたのではないかと思うのです。
■古風な価値観と現代的な価値観の対比
私は雛人形の美しさを、特に、左右対称に上位から下位へと整然と並べられた全体像に感じます。「秩序のある美」とでも言ったらいいでしょうか。
言うまでもなく、人形の立ち位置やそれぞれの持ち物、役割、序列などの決まりや意味づけ、それらは、封建時代の宮中のしきたりに由来するもので、民主主義とか個人の尊重などの現代的な価値観とは全く相容れないものです。着物にしても、きちんとした作法があって、身分の違いによって身につけるものも異なったり、柄や紐の結び目一つにまで細かい決まりがあり、現代の感覚ではとても堅苦しいものです。たまに、着物姿の女性を街で見かけて、美しいなと感じることはあっても、決して昔風の暮らしに戻りたいとか、封建時代的な秩序の中で生活したいと思うわけではありません。
にもかかわらず、その美しさに惹きつけられたり、新鮮な驚きと感動を覚えるのはなぜなのでしょうか。
私はこんな風に思うのです。秩序というものがあらゆる意味で失われつつある現代社会において、人は(私自身も含めて)そのことの危うさと憂いを感じていて、そして、心のどこかで「ある種の秩序」を求めているのかもしれないと。
それは封建主義的な秩序そのものではなく、その時代の人々が持っていた精神性、例えば、礼儀とか忠義とか和を重んじる心の持ち方のようなものです。
もちろん、過ぎ去った時代のシステムの一部分だけ取り出して、都合よく現代社会に当てはめることなど出来るはずもありません。それでも、それらは、時代を問わず人の生き方の基本として普遍的に価値をもっているからこそ、伝統の中で輝きを放ち、現代の私たちの心を惹きつけるのではないでしょうか。
現代社会の中では「形」として見えにくいそのような精神性が、古典的価値観の象徴である雛人形の姿かたちの中にはっきりと見えるがゆえに、その美しさが衝撃的に映るのかも知れません。
■ 西洋的な価値観と日本的な価値観の対比
雛人形に感動したもう一つの理由は、異文化的意味合いによるものだろうと思います。
つまり、秩序を重んじる日本的価値観と、個人主義的で自由がより尊重されるアメリカ的価値観とのギャップからくるものです。
単純比較するのはどうかとも思いますが、あえてアメリカのクリスマスツリーと日本のお雛様を比較してみます。どちらも、一年に一度一ヶ月程度、室内に飾って家族で伝統行事を祝う、という共通点があります。どちらも、見た目にとても豪華です。
でも、姿かたちの決められた雛人形に対して、クリスマスツリーには決まりがありません。大きさも色も形も実に様々なオーナメント、リボンやライトで自由にツリーを飾り付けます。全体としてみればきらびやかで美しいツリーは、バラバラな個が作り出す、言わば「無秩序の美」です。
お雛様は、秩序や全体の和を重んじてきた古典的な日本文化の象徴であり、クリスマスツリーは個性や自由な生き方を尊重するアメリカ文化の象徴、そんな風にも見えるのです。それぞれに価値のある、しかし、全く異なる二つ文化と価値観。
アメリカで暮らし、その開放的で自由なライフスタイルに慣れ親しみながらも、いつもどこかでその光と影を垣間見る私にとって、整然と立ち並んだ雛人形の美しさは、目から鱗とでもいうような、ツリーとは対極に位置する何かとても大切なものを思い起こさせてくれているような気がするのです。
今は亡き私の祖父母。明治生まれの二人にとって、アメリカははるか遠い異国だったことでしょう。孫娘に贈った雛人形が、半世紀近くを経て海を渡り、日本人の母とアメリカ人の父親を持つひ孫のもとに届くとは、誰が想像したでしょうか。
これから先ずっと、この雛たちは、我が家の、そして娘の大切な宝物であり続けるでしょう。お雛様を大切にする心は、日本の伝統文化を大切にする心、異国の文化や価値観を尊重する心。アメリカで育っていく私の子供たちに、ぜひとも、アメリカのよさと、日本のよさと、両方の素晴らしいものを受け継いでいって欲しいと願いを新たにしたのでした。