前回の記事を書いているときは、ハーグ条約に加盟すべきだと考えていましたが、さらに調べを進めていくうちに、その前提として重大な国内的議論が必要であるということに気付き、拙速な加盟はすべきではないという方向に考えが変わってきました。
「ハーグ条約加盟」−議論の表面下にある重大な国内問題
さて、子どもの連れ去りで昨今批判の渦中にいるのは、もっぱら欧米人との結婚に破綻した日本人女性です。「欧米系男性に憧れて結婚したものの、異文化や言葉の壁などの困難を乗り越えられず、理想と現実のギャップを思い知り、子どもを連れて日本に帰ってくる・・・」などと、批判的に語られることが多いわけです。確かに、国際結婚や国際離婚は、近年増加の傾向にあります。国際結婚は、05年の2万7700件から06年に4万4700件と1・6倍増の一方、離婚は7990件から1万7100件と2・1倍に急増しています(2008年10月25日毎日新聞)。しかし、どのような国籍の相手との国際結婚や離婚が多く、「連れ去りのトラブル」はどの程度の割合なのか、ということはほとんど知られていません。
そんな中、日本人妻に子どもを連れ去られたアメリカ人の夫が、テレビカメラの前で涙ぐみながら「私には父親として子どもに会う権利がある」「子どもを勝手に連れ去った母親を保護するとは日本という国はひどい」などと訴える場面が流れれば、外国には当然「日本人女性は卑怯だ、日本はひどい国だ」などとという印象を持たれてしまいます。それが、対外的にそう思われるのみならず、国内でも国内事情を棚に上げて、「日本のイメージを悪化させているのは、欧米人男と結婚して子どもを連れ帰る女性たちだ」などと、問題の矛先が一点に向けられます。
しかし、そのような見方は極めて短絡的で無見識以外の何物でもなく、ニュースでの取り上げられ方、つまり問題の表面化した一部だけが取り上げらていることが問題なのです。事実、欧米人男性と日本人女性の結婚の破綻(代表してアメリカ人およびイギリス人との離婚430件)は、日本人同士の離婚総数(25万5505件)から見ればほんの僅かであり、離婚に至る割合は日本人同士の離婚や他の国際離婚(日本人男性とアジア人女性、日本人女性とアジア人男性など)と比較すると同程度か、逆に少ないのです(平成16年度。この後、統計を示します)。
では、ニューで取り上げられていることが、表面化した問題の一部だというのなら、表面下にある問題とは何でしょうか?実は、「欧米人との離婚により日本人妻が子どもを連れ帰る」トラブルを防ぐという理由だけで、「ハーグ条約に加盟」すべきという拙速な議論は、重大な問題を見落としています。それももちろんありますが、それ以上に重大なことは、ハーグ条約に加盟するためには、その前提となる日本の民法について議論し改正する必要があるということです。民法の改正は、とてつもなく困難なことと思われます。しかし、それなしに、ハーグ条約に加盟するということはありえませんし、あってはなりません(なぜかは後に述べます)。そのことを強く訴えるために、広く日本人が関わる婚姻と離婚、離婚後の子どもの親権の実態などについて調べてみました。
国際結婚と国際離婚の統計
日本人の国際結婚の統計を見てみると、平成18年度の数字では、日本人女性と外国人男性との婚姻(8708件)よりも、日本人男性と外国人女性との婚姻(3万5993件)の方が圧倒的に多いことがわかります(厚生労働省:夫婦の国籍別に見た婚姻件数の年次推移)。この数値は、平成7年度には、それぞれ6940件と2万0787件でしたから、伸び率はそれぞれ25%、73%で、日本人男性が外国人女性と結婚する傾向が一段と高まっていることになります。
国籍別に見てみると、日本人男性と外国人女性の婚姻では、妻の国籍は、フィリピン(1万2150人)、中国(1万2131人)、韓国・朝鮮(6041人)、ブラジル(285人)の順で、およそ89%をアジア国籍の女性が占めています。日本人女性と外国人男性の婚姻では、夫の国籍は、韓国・朝鮮(2335人)、アメリカ(1474人)、中国(1084人)、イギリス(386人)の順で、およそ半数をアジア国籍の男性が占め、アメリカ人またはイギリス人と結婚した日本人女性の割合は、国際結婚をした日本人女性全体のおよそ20%です。この割合は、平成7年度の数値(21%)と比較してもほぼ横ばいです。注目したいのは、日本人女性と欧米人男性(代表してアメリカ人とイギリス人の数字の合計)の婚姻の割合は、日本人が関わる国際結婚全体の約4%に過ぎないということです。
では、離婚についてはどうでしょうか?国際離婚が増えているといいますが、国際結婚をした人たちの離婚は日本人同士の離婚と比べて率が高いのでしょうか?厚生労働省の人口動態統計表の「夫妻の国籍別にみた離婚件数の年次推移」と「夫妻の国籍別にみた婚姻件数の年次推移」の平成16年度の統計を比較してみます。離婚総数が27万0804件、日本人同士では25万5505件、どちらが一方外国人の国際離婚は1万5299件です。国際離婚の割合は、日本人が関わる離婚全体の5.6%、欧米系男性(代表してアメリカ人とイギリス人)と日本人女性の離婚(430件)の割合は、僅か0.06%に過ぎません。
単純に、離婚数を婚姻数で割ったものをその年の離婚率とすると、日本人同士の離婚率は37.5%、日本人夫と外国人妻の離婚率は37.5%、日本人妻と外国人夫の離婚率は37.5%となります。また、日本人妻と欧米人夫(代表してアメリカとイギリスのみ)の離婚率は23.4%と低めで、逆に日本人夫とアジア人妻(韓国・朝鮮・中国・フィリピン・タイのみ)の離婚率は39.6%と高めです。この数値だけで断定することはできませんが、日本人同士であろうが配偶者が外国人であろうが、今日、離婚は全体の3割から4割近い人々が経験する事態となっているのです。少なくとも、欧米人と結婚した日本人女性だけに特別多い現象ではないことは明らかです。
さらに、「連れ去り」についてはどうでしょうか。これに関しては、正式なデータがありませんが、2009年11月の時点で、日本に子どもの連れ去ったとするトラブルは、アメリカで73件、イギリスで36件、カナダで33件、フランス26件など、合わせて170件といわれています(過去10年間の数とみなします)。件毎年4万人前後が外国人と結婚しているという厚生労働省のデータを元に、最近10年間で国際結婚に関わった日本人全体を約40万人と推定すると、「子どもの連れ去り」の170件というのは、割合にして0.04%程度となります。
割合が少ないから、無視してよいといっているわけではありません。強調したいのは、子どもの連れ去りや「ハーグ条約加盟」に関する議論をする上で、問題の焦点や、重要な観点を、しっかり見極めるべきだということを提起したいのです。この議論は、国際結婚をした日本人だけを焦点とすべきではなく、国内における離婚や親権問題、それに関わる民法を含めた広い観点から議論すべきだということです。そして、感情論に流されたり、米・英・仏など欧米各国からの圧力に押されて節足に加盟するのでなく、ハーグ条約に加盟することの意義や目的を国内で十分に議論する必要があるということを言いたいのです。
ちなみに、日本人男性とアジア人女性の離婚率が比較的高めになのにもかかわらず、アジア人女性が子どもを母国へ連れ去るというようなニュースをあまり聞きません。この辺の事情は把握していないのですが、もし、実際にあまり無いのだとしたら、その理由は、一つには、アジアのほとんどの国で日本と同様ハーグ条約に加盟していないので、仮に連れ去りが起きているとしても政府間で何の取り決めも無く、お互いクレームがつけられない状況にあることが考えられます。もう一つは、妻が後進国出身の場合、母国に連れ帰るよりも経済的に豊かな日本に定住していた方が子どものためになるという考え方から、アジア人妻による連れ去りというケースは少ないのではないかとも考えられます。
日本での、離婚後の親権争いの実態
上記に、日本人同士の離婚件数が25万5505件(平成16年度)、その年の日本人同士の離婚率は37.5%であると述べました。この数字は、現在さらに上昇しているでしょう。子どもがいる夫婦の離婚のついて、親権制度の観点から調べて見ました。
前述しましたが、民法819条に基づく単独親権制度により、協議離婚の場合でも、家庭裁判所が判断する場合でも、親権者は父親か母親のどちらか一方に定められることになります。100%親権を獲得するか、完全に親としての権利を失ってしまうかの二者択一です。また同766条では、子どもの監護権について、「父母が協議で定めるか、それができないときは、家庭裁判所が定める」と書かれています。これが文字通りならば、親権の無い方の親(非養育親)が協議の上子どもと交流をする機会を設けることは可能です。しかし、親権のある親(養育親)が協議結果や約束を破り非養育親と子どもの交流を妨害したり拒否してしまえば、非養育親と子どもが交流する機会は失われます。その場合、家庭裁判所には何ら権限もなく、約束を破った側に法的制裁が課せられることは無いので、子どもに会えない非養育親の父親(または母親)が大勢いるのが実態です。
また、養育費を払っているにもかかわらず、面接権の無い非養育親がいる一方で、養育費の支払いが滞ったり、調停内容を無視して初めから払わない非養育親も見られ、ある調査ではおよそ5割近い非養育親が養育費の支払いを放棄しているという実態があります。しかし、家庭裁判所にそれ以上の権限は無く、その場合でも差し押さえ等の法的な罰則は科せられず、母親側(養育親側)は養育費が滞っても泣き寝入りするしかないのが現状です。
家庭内でDVがある場合(夫婦間のDVや子どもの虐待など)がある場合などは、子どもの福祉の観点から子どもとの面会・交流を制限するなどの措置が採られるべきでしょう。しかし、現状では何か特別な事情でもない限り、母親が親権を得るケースが8割を超えています(平成15年度司法統計調査)。したがって、子どもに危害を加える心配の無い父親や、子煩悩の父親でも、離婚によって子どもとの交流が断ち切られてしまうケースが現実に数多くあるのです。
そのため、子どもの親権争いは壮絶なものとなっており、一方の親による子どもの連れ去りが横行したり、虚偽のDVなどで親権を奪い合うという事態に発展しています。こうなってくると、怒り・ねたみなどの感情が高まり夫婦間の亀裂は深まるばかりです。通常は、いがみ合った状態の両親との交流を持つことは、子どもの安定した生活を阻害する恐れがあるという観点から、「父親が子どもと交流する権利」よりも「子どもの福祉を守る」ことが優先されます。したがって、非養育親は子どもと会う機会を失っていくことになります。夫婦間の熾烈な親権争いは、子どもの福祉に資した解決どころか、一番の弱者である子どもに犠牲を強いる結果を生んでいるのです。
こうしてみると、明治時代に作られられた現在の民法は、父親の権利や義務、子どもの福祉のいずれの観点からも、離婚率が4割近いという現代日本の実情に即していないと言わざるを得ません。日本での両親の離婚後の子どもの親権争い、面接権の無い父親、養育費の支払い放棄等に関する実態は、非常に不幸で深刻なものです。日本人同士の離婚による親権争いで、何万何十万という母親による「子どもの連れ去り」(親権が母親に渡り父親に会わせないこと)、「父親の泣き寝入り」もしくは「父親の養育放棄」が日本では常態化しているのです。その数は、国際離婚で外国から日本に子どもを連れ帰る女性の数(数百?)とは桁が違っているわけで、国際結婚の場合だけが非難の標的になるのはまったくのお門違いなのです。そういう女性たちを擁護しているわけではありません。国際結婚をしている以上、互いの国のルールが異なることをわきまえていなければならないのに、それができない人がいることは遺憾なことです。
しかし、その背景には、母親に圧倒的に有利な日本の民法や社会慣習、子どもの連れ去り(子どもを父親に会わせないこと)が日本国内で常態化して当たり前のようになっていることが一つの要因としてあると言いたいのです。「子どもの連れ去り」が、窮地に陥った国際結婚をした日本人女性の選択肢の一つとなってしまっているのは、欧米では非常識な日本の常識をそのまま持ち出してしまっているからに外なりません。もし、日本国内で共同親権が認められていたり、子どもの連れ去りが法に問われる犯罪行為であったなら、国際離婚の際も子どもを連れて帰国するしようという発想は安易には出てこないはずです。いずれにしても、国内の離婚では「親権を取ってしまえば勝ち」、国際離婚では「連れ帰ってしまえば勝ち」というのは正義に反するのです。
突き詰めてゆくと、「子供の連れ去り」問題で、私が訴えたいことは次の二点に尽きます。
• 1.ハーグ条約に加盟する以前に、日本国内の離婚と子どもの親権に関わる民法を、社会情勢に即して改善し、「共同親権」を可能にすべきであるということ。
• 2.民法改正やハーグ条約加盟を待つまでもなく、身勝手な「子どもの連れ去り」は、道徳に反した行為であるから言語道断だということ。国際結婚であろうと無かろうと、離婚後の子どもの養育は両親が合意できる方法を探すべき。国際結婚しているならば、その自覚を持って相手国のルールにのっとって解決する覚悟がいるいうこと。
民法改正なしのハーグ条約加盟は絶対反対
ハーグ条約加盟についての議論は、政府の中で少しずつ進んでいるようです。民主党では、離婚後した親の「面接交渉権の法制化」が政策パンフレットにすでに記載されています。千葉法務大臣は、今年3月9日の衆議院法務委員会で、「子どもの利益を考えたときには、どちらの親も、子どもに接触できることは大事なことだ」と述べました。そのうえで、「離婚したあとも、両親がともに子どもの親権を持つことを認める『共同親権』を民法の中で規定できないかどうか、政務3役で議論し、必要であれば法制審議会に諮問することも考えている」と従来より踏み込んだ内容に言及しました(NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/t10013082981000.html )。また、3月には鳩山首相がマスコミに向けて、「日本が(単独親権ののために)特殊な国だと諸外国に思われないように対処しなければならない」と発言し、共同親権法制化に積極的な姿勢を見せました。
ただし、はっきりしておきたいことは、すでに書きましたが、民法を改正することなしに、ハーグ条約に加盟するということはあってはならないということです。前向きな議論が進んでいることは、喜ばしいことですが、ハーグ条約に加盟するためには、その前提となる日本の民法について議論し改正しなければ、とんでもない事態になります。
どんな事態かというと、日本で共同親権が認められいない以上、国際離婚は必ず外国人の父親にとって不利になりますから、国際的には、日本の司法の場で公正な調停を行うことは不可能であるとみなされるでしょう。事実そうです。おのずと、国際離婚や親権などの調停は、全て外国の法律の下で行うしかない事態になります。つまり、国際離婚に関わるすべての権限を外国の法廷に委ねることになり、現時点でのように日本人を保護することすらできなくなってしまうのです。
そうなった場合、日本人妻が離婚して子どもを連れ去ればハーグ条約によって外国に子どもを取り戻され、調停や裁判は外国のルールで行われ、結局、離婚後子どもと暮らすためには外国に留まるしか選択肢はなくなります。子どもの福祉の観点から、母親と日本に居住することが好ましいと判断されるようなケースでも、日本への居住は不可能になります。どうしても日本に帰りたければ、子どもを外国において帰ってくるしかありません。もし、民法が改正されて共同親権が可能となり、外国人の父親にも親権や面会権が認められれば、調停により日本人妻が子どもと日本に居住することも可能で、外国の法律で誘拐罪に問われるような事態にもならないのです。
これは、重大な問題です。繰り返しますが、民法の改正なしにハーグ条約に加盟するということは、現状の「日本人の母親が勝手に子どもを連れ去って外国人の父親が泣き寝入りしている」不平等な状態から、「子どもを合法的に外国人の父親に引き渡して日本人の母親が泣き寝入りする」不平等な状態に変わるだけです。しかも、国内の現状は変わらないのですから、日本人同士の離婚による父子関係の断絶という悲劇は増える一方です。こんな馬鹿な話があってはなりません。ですから、外国からの圧力で、国内の議論を経ず民法の改正なしに、拙速にハーグ条約に加盟してしまうような事態は断じて避けなければならないということを訴えたいと思います。