・原子炉で核燃料溶融が進むと、放射能の広域汚染の可能性が否定できないこと
・放射線量の検出では、毎日の測定値は極微量でも、長期間の被曝が健康に及ぼす影響を考えるべき
という趣旨の記事を書きました。それに対し、
「(人々が)どのくらい怖がっているか、来てみないと分からない」
「こういった情報には非常にナーヴァスになっている」
「地獄へ落とされる気持の人もいる」
というご批判をいただきました。
私はアメリカ在住です。確かに、私の記事は、放射能の脅威のない場所にいながら、人事のように書いたと受け取られても仕方がないかもしれません。日本国内では、原発事故に関してニュースや週刊誌などで憶測や恐怖を煽り立てるような情報が飛び交い、人々は大きな不安に駆られています。記事では、既に多くの人々が不安に思っておられることを、無神経に繰り返すような形にもなってしまいました。気分を害された方、更に落ち込んでしまわれた方々にお詫びを申し上げます。ブログの記事に寄せていただいたご意見、ご批判は、全て謙虚に受け止めてまいります。
さて、前回の記事の中に次のように書いた部分があります。
私たちは国家的危機に直面しています。(中略)私たちは政府の情報を鵜呑みにして行動するわけにはいきません。かといって、いったい事実はどうなっているのか、何が正しいのか、判断するのは難しい状態です。自ら、自分や家族、周りの状況を考えて、重大な判断をするべきかもしれません。(中略)取り返しのつかないことになってからでは、いくら政府を責めても無駄です。一人一人が、己の信念に基づいて覚悟を決めなければならない事態になっているのかもしれません。
この部分について、言葉が足りず、真意が伝えられなかったように思います。今回、ここで補足させていただき、このようなことを書いた私の心境について書かせていただこうと思います。
🎨海外在住の日本人の思い
震災が起きてから、私たち在外の日本人もみな心えぐられるような思いでテレビ画面を見つめてきました。現地に飛んでいって被災した人々を助けたい、何かできることがあれば・・・そういういても立ってもいられない気持ちは、日本にいる人々と変わりはないと思います。
こちら(アメリカ)にいる日本人同士、連絡を取り合い、日本にいる家族の安否を確認しあい、情報交換をしてきました。遠くにいるもどかしさに苛まれながら、そして平常の生活を送っていることへの罪悪感と折り合いをつけながら、でも何かせずにはいられずに、支援活動などを始めています。
原発の懸念が高まったとき、ある友人から「ご両親を呼寄せたら・・・」というメールをいただきました。こちらの日本人はみな一度は同じことを考えたと思います。私も両親に一度だけ、こちらへ避難したらどうかと話をしました。でも、予想通り、両親はそういうわけもいかないよ、と言葉を濁しました。説得を試みることもできたかもしれませんが、両親の答えは分かっていましたのでそれ以上何も言いませんでした。
長年住んだ土地、家族、高齢の兄弟姉妹たち、大切な友人たち、そんな周りの人々をおいて、自分たちだけアメリカになど絶対にくることはないと、分かっていました。困難な事態になったとしても、それが両親の選択であり、私などが言うまでもなく、彼らなりの覚悟を決めているということです。その上で、両親は祈り続けているといっていました。二人とも、断食までしました。
もし、私たちが日本にいたらどうしていただろうか、あるいはもしアメリカの私たちの近くで原発事故など同様の事態が起きたらどうするだろうかと、考えました。当然、より正確な情報をつかもうとするでしょう。あらゆる事態を想定するでしょう。でも、政府や原発専門家がなんと言おうと、いくら情報を集めて分析しようと、一般市民の私たちにはすべてを把握できる術はありません。100%頼りになるものなんて何もない中で、いったい自分はどのような選択をするでしょうか?
万が一を考えて、避難ができるならするかもしれませんし、子供たちだけでも安全な場所へ送るかもしれません。いえ、そんな「選択」することさえできずに、なるようにしかならない、という状況におかれるかもしれません。誰にとっても、これが正解というのはなく、最終的には、心鎮めて、自分と家族で決めたことを信じて、覚悟を決めるしかないのではないでしょうか。「自ら、自分や家族、周りの状況を考えて、重大な判断をするべきかもしれない」「一人一人が、己の信念に基づいて覚悟を決めなければならない」と書いたのはこういうことです。
もちろん、覚悟を決めるというのは、諦めるということではありません。それぞれのおかれた場で困難に立ち向かう決意をするということです。最悪の事態が避けられても、困難な事態は続くでしょう。被災した人々への支援、日本全体の復興、原発問題、将来のエネルギー問題、それには、人々が英知を働かせて、立ち向かっていかなければなりません。
それならば、私はここにいて、私にできることをするほかはないと思いました。このブログで、情報を発信することも一つ、被災者支援のための募金活動などもその一つです。また、日本の両親の選択を尊重し、私なりに受け止めなければなりません。それも、受動的ではありますが私にできる選択です。
そして私も、心を合わせて懸命に祈ります。私は、放射線の脅威にこそ晒されてはいません。でも、どこに在住していようと、私は日本人です。在外の日本人の多くが皆そうであるように、遠くにいるからこそ、日本を思う気持ち、故郷を愛する思いは人一倍持っていると自負しています。遠く離れていようとも、いかなる立場にいようとも、人々の力を信じて、日本の復興を信じて、自分にできる行動をするだけなのだと、改めて思っています。