ポール氏もオバマ・ケアを撤廃すべきと考えています。「オバマ・ケアは絵に描いた餅である」点も、「オバマ・ケアは合衆国憲法違反である」点も、そこまでは他の3人の候補者と同様の意見です。しかし、ポール氏の主張をさらに掘り下げてみていくと、他の候補者たちと最終目標が根本的に異なることが分かります。ポール氏の最終目標は、メディケア、メディケイドを含めた全ての公的医療保険制度とマネージドケア医療(後に説明します)の廃止、政府による様々な医療の認可制度の廃止、そして医療の完全民営化です。この、かなり大胆な、非現実的とも思われる政策の裏にはいったいどんな考えがあるのでしょうか?
ポール氏は、周知の通り、産婦人科の医師として4000人を超える赤ちゃんの誕生に立ち会ってきました。命は、受精の瞬間に誕生するというPro-Lifeの考え方を持ち続け、何よりも命を大切にし、一人ひとりの患者に最良の医療を提供することを目指してきました。そんな、ドクター・ポールだからこそ、どんな医療改革を行い、どんな医療を目指そうとしているのか、その大胆な訴えに耳を傾ける価値があると思うのです。まず、ポール氏の選挙キャンペーンのウエブ上に載せられた文章を見てみましょう(参照)。
“DO NO HARM”Dr. Ron Paul spent his entire career in the medical profession working to uphold this simple principle by ensuring his patients received the best care he could give them, even if they could not afford it.Dr. Paul understands the key to effective and efficient medical care is the doctor-patient relationship.
Yet, federal bureaucrats continue to believe that their one-size-fits-all policies will lower costs, increase access, and cure an ailing industry.Instead, excessive regulation, immoral mandates, and short-sighted incentives have created a system where no one is happy, doctors pass quickly from one patient to the next, insurance is expensive to get and difficult to maintain, and politicians place corporate interests ahead of their constituents.「害することなかれ」ポール博士は、医師としてのキャリアを通しこの基本的な教えを守り、全ての患者に、たとえ支払いが困難な患者に対しても、最良の治療を提供することを志してきました。ポール博士は、効果のある効率的な医療のカギは、医師と患者の人間関係であると考えています。かたや政府は、全ての人を一律のルールに当てはめて医療を提供する政策が医療コストを下げ、より多くの人に医療を提供でき、この病んだアメリカの医療を改善できると考えています。
ところが、その医療政策は、規則でがんじがらめになり、良心に反する義務が押し付けられ(筆者注:これについては後に説明します)、目の前の利益ばかり追求する医療システムを作り出しました。そして、このシステムの中では、誰も安心して医療を受けられず、医師は患者とじっくり向き合う余裕はなく、医療保険は高額で加入できず、政治家たちは国民の利益よりも大企業の利益を優先させているのです。(筆者仮訳)
“First Do No Harm”は、ご存知古代ギリシャのヒポクラテスの誓いに由来するフレーズで、「何よりも害をなすなかれ」、つまり「患者に利する治療を行い、害となる治療はしない」という意味です。医学の道を志す医学生たちがまず始めに学ぶ基本的な姿勢であると言われています。ポール氏は、現在のアメリカにおける医療は、コスト抑制を重視した管理型医療であると同時に、特定の利益集団によって政策が決定され、医療を提供するものの基本姿勢である“Do No Harm”に反する歪んだものであると主張しているのです。そこへ、オバマケアの導入により全ての国民に医療保険への加入を義務化しても、医療の改善に繋がるどころか、この病んだ医療システムをさらに悪化させるだけだというのです。
このポール氏の主張を、
1) マネージドケアの功罪
2) 医療を取り巻く、政・官・業の三角関係
の2つの観点から、2回にわたり解説していきます。
1)マネージドケアの功罪

近年、アメリカの医療は、基本的にマネージドケアと呼ばれる管理型医療システムで成り立っています。そのシステムを担っているのが、HMO( Health Maintenance Organization)に代表されるマネージドケア組織です。
HMOとは、医療保険会社が、提携する病院や医師たちをひとつのネットワークに取り込んだ会員制医療組織です。このマネージドケア組織は、治療内容や保険適用に関する独自のガイドラインをつくり、加入者に対し、比較的低額な保険料で医療サービスを提供しています。マネージドケア組織には、全米に550を超えるHMO組織(加入者数およそ5600万人)の他、PPOやPOSという組織が存在します(PPO、POSについては後に説明)。
アメリカで民間の医療保険に加入するということは、このHMOなどのマネージド組織が提供する医療保険プランに加入するということを指します。加入者は、選んだプランに応じて保険料を支払い、実際に医療にかかるときには、加入している医療保険プランが指定するネットワーク内の病院のプライマリーケア・ドクター(家庭医)に診療を受ける形になります。熱を出しても外傷を負っても、とりあえず家庭医が診療し、そこで対応できるものは対応します。さらなる治療や専門医による診療が必要な場合は、紹介を受けてこれまたネットワーク内の指定の専門医に行くことになります。
つまり、まずは家庭医でふるいにかけ、高額な医療費のかかる専門医にいく患者の数を制限することで、全体の医療コスト(保険会社が支払う診療報酬)を抑える仕組みとなっています。このマネージドケア医療の仕組みは、1973年にHMO法(Health Maintenance Organization Act)により、従業員25人以上の企業に対しHMOへの加入を義務づけた頃から広まっていきました。
マネージドケア医療の大きな特徴として、医療費の定額払い制があります。アメリカ政府は、レーガン政権時代の1982年、医療費の抑制を目的として、医療保険制度をそれまでの出来高払いから定額払いへと転換してゆきました。出来高払い制においては、保険に加入している患者は自由に医師や病院を選ぶことができ、(保険会社のガイドラインに沿ってではなく)医師の判断で治療が行われます。患者は自己負担額を払い、残りは医療保険から支払われるしくみです。日本の医療は従来は出来高払い制でしたが、最近では定額払いも導入されてきているようです。
しかし、この出来高払い制には、高齢化や医療の高度化に伴って医療費が膨張してしまうという弱点があります。80年代のアメリカは、医療費の高騰が進み、メディケアへの財政支出額が、1965年のメディケア制度発足から17年間で当初の60倍に跳ね上がるという事態に直面していました。また民間保険会社も医療機関への支払いがかさむ分を保険料として上乗せするので、保険料は次第に高額化し、高騰していったのです。
一方、定額払いによる医療保険制度は、マネージドケア医療の中核となる仕組みです。保険会社によって、あらかじめ疾患ごとに治療内容、医療費の支払い上限、入院日数などのガイドラインが細かく定められ、治療はそのガイドラインにしたがって行われ、それに対して定額の医療保険が支払われます。ガイドラインに定められた以上の治療に対しては医療保険は支払われなかったり、患者の自己負担や医療機関の損失になったりします。したがって、医師は治療に関する判断を自由に行うことはできず、ガイドライン内で治療を収めることが奨励されるわけです。定額払い制のマネージドケア医療は、医療費を抑制することに貢献し、80年代後半から90年代にかけて急速に拡大していきました。
ちなみに、今日、マネージドケア組織にはHMOをはじめ、PPO(Preferred Provider Organization)、POS(Point of Service)という3つのタイプが存在します。比較的保険料が低額で自己負担額も少ないHMOでは、このガイドラインがより厳しく、患者の治療に関する選択の自由は著しく制限されています。一方、PPOは保険料は割高になりますが、HMOに比べて制限は緩やかで、家庭医を通さず専門医に直接行くことができますし、ネットワーク以外の病院や医師にかかる場合も保険が利きます。ただし、その場合には自己負担率が著しく増え、もともとの保険料が高額なので経済的に余裕がなければ加入できません。POSはHMOとPPOの中間タイプの保険プランです。

マネージドケアは、医療コストを抑えた効率性の高い医療である一方で、様々な問題点も指摘されてきました。
まず、保険のプランや払う保険料によって、患者が医療機関や医師を選択する権利、受けられる治療やサービスが制限されます。病気の治療内容や処方薬などに関する決定も、もはや患者と医師が主体的に行うことはできず、第三者である保険会社によってそのガイドラインが決定されていくことになります。コスト管理が優先され、医師が患者にとって本当に必要と思う治療が必ずしも提供できないという不満や批判が生まれてきました。
公的医療保険であるメディケアやメディケイドも例外ではありません。民間のマネージドケア組織がガイドラインを定めるのと同じように、メディケアなどの場合はHHS(米保健社会福祉省)が医療サービスのガイドラインを作成し、診療報酬を決定します。すでに述べたように、メディケアなどへの支出増加で連邦予算は逼迫していますから、政府としてはガイドラインを厳しくし、いかに医療コストを抑制するかに躍起になっています。
そんな、マネージドケア医療のあり方は、医療の現場に様々なひずみを生んでいます。例えばこんな事例があります。
ある病院で、患者のより早期の完全な回復を助けるため、抗生物質の投与の仕方や服用期間を含む規定を変えたことろ、病院の経営は著しく悪化していきました。調べてみるとその原因は、診療報酬の支払い規定にかかわっていたのです。メディケアに加入している患者が肺炎にかかり人工呼吸器を使用した場合には、メディケアからの診療報酬は実際にかかった治療費に800ドル加算され、同じ患者が肺炎にかからず短期間の診療ですんだ場合には、メディケアからの支払いは実際の治療費より逆に800ドル少なかったのです。患者にとって利益となる診療をしたにもかかわらず、病院は経営不振となってしまった、つまりメディケアの支払いのガイドラインは、患者が肺炎にかかり人工呼吸器を使用する方が病院はより儲かる仕組みなっていたということです。(Waste in health care? For some, it’s profit)
病院側は、病院経営のためにより診療報酬の多い医療行為を行おうとする一方、保険会社(またはメディケア)側は、患者の肺炎の治療を行わない方が医療コスト(支払い)が少なく済むので、治療内容と保険適用のガイドラインを操作することで、病院や医師に対して肺炎を防ぐための、あるいは高額な治療を回避するためのインセンティブを与えようとします。それに対し、医師側はガイドラインに縛られて診療の自由を奪われること、またガイドラインに忠実であるか否かが医師としての評価と報酬につながるシステムに反発します。

ポール氏は、臨床医としての長年の経験から、ガイドラインに縛られた公的医療保険を含むマネージドケア医療に一貫して反対し、このシステムの中で一番忘れられた存在なのが患者であるということを訴え続けてきました。その信念ゆえに、現役の医師時代にはメディケアからの診療報酬は受け取らず、低額の料金で患者を診察してきたことでも知られています。そして、ポール氏は、マネージドケア医療は、患者の選択の自由を奪い、医師の士気を下げ、医療コスト全体を押し上げ、医療の質を確実に低下させると警告してきたのです。そして、今まさに、アメリカの医療はそれらが複層した大きな課題を抱えています。
ポール氏が目指す医療政策のひとつ、「マネージケア医療の廃止」はここから導かれ、医師がガイドラインに縛られることなく、患者にとって本当に必要な医療を自由に提供することができる「自由診療医療」を目指すべきだと訴えているのです。オバマ・ケアの廃止を求めている点では他の共和党候補者たちと同じですが、その背景にある考え方には大きな相違があります。他の3人の共和党候補者たち医療政策が現状の医療システムの枝葉をいじることでしかないのに対し、ポール氏はその医療システムの問題の根幹に鋭くメスを入れようとしているといえるでしょう。
確かに、患者にとって本当に必要な最良の治療を、というのは言うは安くで、限られた医療資源をどのように配分するのかという問題は、アメリカに限らず多くの国が直面している極めて難しい問題です。公的医療保険にしろ民間の医療保険にしろ、コストコントロールが重要であることは言うまでもありませんが、医療費抑制を重視するマネージドケア医療が、患者の受ける医療の質や、時には命をも左右することになるという視点を、ドクター・ポールは常に忘れないのです。
次回に続く・・・