2012年08月09日

ドイツ脱原発30年の歩みと「緑の党」が果たした役割 その(2)

この記事は、前回の「ドイツ脱原発30年の歩みと「緑の党」が果たした役割」の続きです。

第二転換期−緑の党の躍進と苦悩(1998−2005年)

アートSPD
・緑の党連立政権の発足

1998年、ドイツは歴史的な国政選挙を迎えます。この選挙では、東西統一以来、4.2%から9.4%へと増加し深刻化していた失業率が大きな焦点となりました。経済の低迷や失業問題の責任を問われたコール首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)は、シュレーダー氏率いる社会民主党(SPD)に大きく水をあけられ(CDU198議席、SPD298議席)、16年間に及ぶコール政権がついに終わりを告げました。SPDは、緑の党(47議席)と連立を組むことで国会における過半数を獲得し、第二次世界大戦以来初の中道左派、SPDと緑の党による、俗に「赤と緑の同盟」と呼ばれる連立政権が誕生しました。緑の党代表のジョシュカ・フィッシャーは副首相兼外務大臣となりました。

SPD・緑の党連立政権誕生により、ドイツは脱原発への第二転換期へと入ってゆきます。連立政権は、雇用や経済成長政策と共に、気候変動への対策や環境保護を重視する姿勢を打ち出していきました。中でもエネルギー政策−「環境税の導入」「原発の廃止」そして、「再生可能エネルギー分野の強化」は、その中心的課題でした。

シュレーダー政権は、「原子力は長期的リスクを抱え、核廃棄物は将来の世代を害する。国民の大多数も望んでない。この政策は、原子力をめぐる長い論争解決のワンステップだ」として、脱原子力政策を積極的に推し進めました(ドイツの脱原発 全廃へ多難な道)。その立役者となったのが、環境相となった緑の党のユルゲン・トリッティンでした。トリッティンは「再生可能エネルギーの普及により原発の廃止は可能」と訴え続け、脱原発運動の先頭に立ってきた人物です。

シュレーダー政権は、コール政権末期に導入された制度を受け継ぎ、さらに脱原発の実現に向けて、様々な環境・エネルギー分野に特化した制度改革と規制緩和を推し進めていきました。以下に、1990年代〜2005年に導入された環境・エネルギー分野の5つの重要法律の概要を簡単に解説します(カッコ内の年代は施行開始年)。

1)   電力供給法(1991−1999年)
2)   エネルギー事業法(1998年)
3)   環境税の導入(1999−2003年段階的導入)
4)   再生可能エネルギー法(2000年、2004年)
5)   改正原子力法(2001年)  

1)  電力供給法(Electricity Feed Act 1991−1999年)

再生可能エネルギーの市場開拓が命題であるという認識の下に、ドイツでは早くも1991年、再生可能エネルギー法の前身ともいえる電力供給法が施行されました。これは、電力供給事業者に水力・風力・太陽光・廃棄物ガスなどから生産される電力の買い取り義務を課す制度です。国家レベルでの再生可能エネルギー買い取り制度の導入はドイツが初めてです。
 
買い取り価格は小売価格に対する比率で定められ、特に風力・太陽光エネルギーの買い取り価格は小売価格の約90%と高く設定されました。水力や廃棄物ガス、バイオマスについては75%とされました。ただし、これらのうち5メガワット以上の発電施設からの電力は買い取りが免除されました。 

1994年の見直しでは、水力、廃棄物ガス、バイオマスなどによるエネルギーの買い取り価格が75%から80%に引き上げられています。しかし、1998年の改正では、買い取り義務の上限として、電力供給事業者が一年間に供給する電力の5%を超える場合の免除規定や、電力価格の上昇を抑えるための免除規定が定められました。 

ドイツ再生エネルギー法より
The Original Electricity Feed Law in Germany

BMU response to renewed criticism of EEG by RWI: Well known and refuted a long time ago
  

2)  エネルギー事業法(Energy Industry Act 1998年施行開始)
 

閉鎖的な企業体質と価格の高さが競争力低下を招いていた電力業界に対し、初めて抜本的な規制緩和、競争力強化に乗り出します。とはいえ、地方自治体や電力業界の反対圧力はまだまだ強く、1994年に提出された最初の改革法案は棄却されています。

その後、1996年のEUにおける電力指令(
EU加盟国は2003年までに電力を自由化する合意)の流れを受けて、一年以上の議論の末、1998年4月、エネルギー事業法が成立しました。いわゆる電力の全面自由化です。これにより、発電部門の参入規制が緩和され、送電部門の会計・機能分離が始まりました。電力会社は、他社の電力供給にも送電網を共有することを義務付けられ、事業者も個人も自ら電力供給会社を選べる仕組みとなりました。 

電力自由化による競争の激化から、各電力事業者によるコスト削減や提携強化、合併や買収が進んだ結果、大手8社体制から4社体制(E.OnRWE、ファッテンファル、EnBW)となり、電力市場の寡占化が進みました。 

電気料金は一時的に2割程度低下しましたが、2000年以降再び上昇に転じています。これは、発電分門と送電部門の分離が十分でなかったことや、事業者間での送電網の接続料の問題、石油価格の高騰や、環境税(1999年)の導入により電力への課税額が増えたことなどが理由として挙げられます。 

しかし、ドイツの電力自由化の特徴は、自由化によって不利になるとみなされていた再生可能エネルギーやコジェネレーション・システム(電気と熱を同時に生産する方式)を保護する政策を同時に開始したことです。これを境に、再生可能エネルギーを販売する会社が数多く誕生していきます。 

電力自由化の成果と課題−欧米と日本の比較
German Energy Law

3)  環境税の導入(Ecological Tax Reform Act)(1999−2003年)

軽油、ガソリンなどの石油製品と電力に対して環境税として課税し、その税収を年金保険料を引き下げることをセットにした制度で、1999年から2003年にかけて段階的に導入されました。環境税導入の目標は、エネルギー消費とそれに伴うCO2排出量の抑制、再生可能エネルギーの技術開発の促進、かつ企業の人件費(年金保険料の企業負担)の軽減による雇用促進です。環境税を、温暖化対策のための目的税とすべきという議論もありましたが、社会的公正さを維持するためとして、90%は年金財源に、10%はCO2削減対策として使われています。

環境税導入で、ガソリンは初年度に1リットルあたり3.07セント(ユーロ)、5年間で約15.34セント(ユーロ)の増税となりました。現在ガソリン税は1リットルあたり約66セントですが、そのうち15セントが環境税によるものです。また、電力については、1.02セント(キロワット毎時)、その後毎年0.26セントが加算され、最終的に2.05セント(キロワット毎時)が課税されました。ただし、再生可能エネルギーによって発電された電力については非課税となった他、産業に打撃を与えないように製造業者や農林漁業者、公共交通機関事業者などへの課税は低率あるいは免除が規定されました。

環境税の導入の成果は、地球温暖化ガスの排出抑制効果、消費者の負担増、経済効果など多角的観点から、およそ次のようなプラスの評価があげられています。

・環境税による税収は、2003年には187億ユーロとなり、その90%に当たる161億ユーロが年金の財源に当てられた。
・雇用主の年金積み立て負担率は1998年の20.3%から2005年の19.5%に減少した。
・ガソリンの消費は2000年には4.5%、2002年には3.3%の減少となった。
・CO2の削減については、環境税が導入されなかった場合の予想値と比較し2003年には2.4%、2000万トンが削減された。2010年には3%、2400万トンの削減に達した。
・雇用増進は、2003年にもっとも大きな効果を見せ、25万人の増加となった。
・78%の人々が家電製品の電源をこまめに切る、車を使わずに公共交通機関を利用するなど、節電を意識した行動するようになった。
・節電効果の高い製品やサービスの市場の業績が伸びると同時に投資を促す効果も得られた。

Effects of Germany’s Ecological Tax Reforms on the Environment, Employment and Technological Innovation
How Germany Became Europe’s Green Leader: A Look at Four Decades of Sustainable Policymaking
ドイツにおける環境税制改革の影響
ドイツの環境税とエネルギー政策−再生可能エネルギー法に関連して−


4) 
再生可能エネルギー法(Renewable Energy Sources Act 2000年、2004年)
 

これは、上記の電力供給法の延長上にできたもので、電力会社に再生可能エネルギー電力の固定価格買い取り義務(Feed-In-Tariffs)を導入したものです。水力・風力・太陽光・廃棄物ガス・汚泥ガス・バイオマスに加え、地熱と坑内ガスも対象とされました。各電力ごとに設定された買い取り価格は次のようになっています。

 (発電規模500キロワット以下の場合、単位:キロ・ワット時) 
・風力発電9.10セント(稼動から5年以内)
・水力・廃棄物ガス・汚泥ガス発電・・・7.67セント
・バイオマス・・・10.23セント
・地熱・・・8.95セント
・太陽光・・・50.62セント  

2004年、再生可能エネルギー法が全面改訂され、再生可能エネルギーの総発電量に占める割合を2010には12.5%、2020年に20%にするという目標を定めました。(2001年時点では7.8%)。これは、2001年にEUで規定された再生可能エネルギー促進のための国別目標値でもあり、EUレベルでの政策協調を反映しています。 

改訂法では、各電力の買い取り価格が見直され、水力発電や地熱発電などでは500キロワット以下の小規模施設における電力の買い取り価格が引き上げられるなど、優遇が強化されています。 特に風力発電の普及は目覚しく、1990年には1,500機だった発電機は2004年には16,000機まで増加。2000年には7,000メガワットだった発電量は2003年には14,600メガワットとなっています。2005年には総電力に占める風力発電の割合は5.8%まで伸びました。

2011年1月時点で、ドイツでは電力の17%を再生可能エネルギーで賄っていました。2010年一年間で、再生可能エネルギーの利用により、1億1千万立方メートルの二酸化炭素排出が削減されたと報告されています。また、1998年には3万人だった再生可能エネルギー産業全体の雇用が、2010年には35万人と著しく増加しています。

ドイツの環境税とエネルギー政策−再生可能エネルギー法に関連して−
ドイツ再生エネルギー法
 

5)  改正原子力法 (Atomic Exit Law 2001年)

この法律は、「原発の新設は認めず、既存の原発19基の運転期間を32年に限る。その年数をベースに、2000年1月1日以降の原発の総発電量を2兆6233億キロワット時と設定する」というものです。最新の原発は1989年から稼働しているので、2021年には全ての原発が廃止されることになりました。2002年4月にはこの法律が施行され、世界初となる脱原子力政策が動きだしました。この法律が成立した経緯について、この後詳しく書きます。

アート政府と電力業界はどのようにして合意に達することができたのか


さて、社会民主党(SPD)と緑の党の連立の下、脱原発に向けた数々の法整備を進めていったシュレーダー政権ですが、それは決して平坦な道のりではありませんでした。

まず、1999年1月、ドイツ環境省は、原発の即時閉鎖、新規原発施設の許認可の禁止、使用済み核燃料の海外再処理の禁止、電力会社への賠償を行わないなどとする脱原発政策を発表しました。

しかし、緑の党が長年訴えてきた即時脱原発
(2004年までに全廃)を前面に出したドラスティックな政策は、電力業界の反発はもちろんのこと政府内外からの厚い壁に阻まれます。脱原発の国内世論や緑の党の躍進があったとはいえ、国内総発電量の約3割を占めていた原発の廃止、すなわち巨大利権と収益の損失を電力業界がすんなり受け入れるはずがありません。

しかし、翌2000年6月の時点で、ドイツ政府と電力事業者の間では脱原発の原子力コンセンサス」が合意されています(改正原子力法の成立は2001年9月)。この一年半の間にどんな交渉が行われ、政府は電力業界の抵抗をどのようにしてクリアし、原子力コンセンサスを取り付けることができたのでしょうか。即脱原発を求める政府と、原発を継続したい電力業界が、合意に至った経緯と内容を簡潔にまとめると以下のようになります。

交渉の場】 政府は、電力事業者に対し脱原発へのコンセンサス協議への参加を求めた。シュレーダー首相、トリッティン環境相、経済相、電力事業者8社のトップが同席するコンセンサス会議は、1999年から2000年にかけて4回にわたり行なわれた。この会議が、政府と電力業界が互いの妥協点を探りつつ合意形成をしていく場となった。

交渉の着地点】 電力業界側は、新規の原発建設は断念することで妥協。現存の19基の原発については、各原子炉が40年間100%の全出力を終えるまでは閉鎖しないか、あるいは稼動年数を最大限引き伸ばす構えで臨んだ。一方の政府側は、原発の即時閉鎖は断念し、段階的閉鎖で妥協。この段階的閉鎖をできるだけ短期間で行ないたい政府と、できるだけ引き伸ばしたい電力会社の間で、交渉が続けられた。

その結果、「原発の新設は認めない。19基の原発の運転期間を32年に限る。その年数をベースに、2000年1月1日以降の原発の総発電量を2兆6233億キロワット時と設定する」という妥協点を見出した。最新の原発は1989年から稼働しているので、2020年をもって全ての原発が廃止されることになった。

要するに、この合意内容は「2020年をもって原発は全廃するが、それまでの20年間は稼動を認める」という取引だったと言える。しかも、残存発電量の移管(低効率で古い原発に割り当ての発電分を、より新しい原発の発電に振り替えること)を認めたことにより、全廃時期は数年から10年程度ずれ込む可能性が生まれた。つまり、2020年というのはあくまで一番早いシナリオであり、この条件により、電力事業者は原発を廃炉にする時期を決定する裁量権を有利に獲得した形になった。

使用済み核燃料再処理問題】 当初の政府の提案による使用済み核燃料の海外再処理の禁止に関しては、これまで委託業務を行っていたフランス企業やイギリス企業、および両国政府からも契約不履行の抗議があり、即時禁止も断念することとなった。

その代わり、政府は原発事業者に対し原発の敷地内かその近郊に中間貯蔵施設を設置する義務を課し、施設の準備が整うまでの間、政府は使用済み核燃料の再処理のための輸送許可を交付するとことで合意した。ただし、輸送は2005年7月以降は禁止されるとした。また、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の完成は2030年をめどに進められることとなった。

段階的脱原発の合意は、政府が再生可能エネルギー産業を育成し、電力事業者がバックエンド問題(原子炉の廃炉、放射性廃棄物処理、核燃料サイクルにかかわる事業)を具体化するための時間的余裕をもたらす形ともなった。

電力供給不足をどう補うか】 政府は、段階的原発閉鎖に伴う電力の供給不足を補う対策として、電力需要の削減(省エネ)、既存発電設備の稼動効率向上、電力の輸入、再生可能エネルギーによる発電の開発と普及の4つをあげた。そのうち最も重点が置かれたのが再生可能エネルギーの開発と普及である。

すでに書いたように、ドイツでは2000年に施行開始された再生可能エネルギー法により、電力販売会社に対し、再生可能エネルギーの固定買い取り価格義務が課されるようになった。ドイツの再生可能エネルギー政策は、EU全体の目標(EU域内の再生可能エネルギーによる電力供給を2010年までに12%にするという目標)と連動している。ドイツに課された数値目標は12.5%である。

2002年には、今後25年間でバルト海や北海で2,000〜2,500万キロワットの海上風力発電を建設する計画も進行した。2030年までに総電力需要の4分の1をまかなう予測である。

German Energy Law
Nuclear power phase-out
欧州におけるエネルギー政策について

ドイツの1998年総選挙後の脱原子力政
ドイツにおけるエネルギー政策の転換と電力メジャーの経営戦略
ドイツの電力事業および原子力産業

アート電力会社の長期的戦略

さて、電力業界が段階的脱原発の合意に至った背景には、緑の党を含む多数派与党のリーダーシップと政治決断のほかにも、原発の経済性という観点、また、電力会社の長期的な経営戦略という観点かからのシビアな検討もありました。

巨額な初期投資、減価償却期間の長さ、廃炉費用の負担等、原子力エネルギーは現実的に価格競争に弱いことはすでにドイツ電力業界内でも認識されていました。そして、発電コスト上十分に対抗できる他の発電方法も模索されていました。

例えば、電力自由化前の90年代後半から、天然ガスによる発電は著しく成長しています。特に効率の高い複合発電(ガスと蒸気の組み合わせによる発電)が普及してきていました。燃料費の変動が激しい天然ガスも、コジェネレーション化などにより、代替エネルギーとして十分に対抗できると見られていました。

また当時、ベルギー、オランダ、イギリスなど欧州諸国でも原発エネルギーの利用を将来的に廃止する計画を練っており、EU全体でも再生可能エネルギーへの転換初期にあったのは紛れもありません。そんな流れの中、ドイツの大手電力事業社は、原発からの脱却を視野に入れ、経営のグローバル化と多角化を長期的な企業戦略としはじめていました。

つまり、電力を売るだけの電力会社ではなく、ガス、水道、環境サービスなど関連事業を柱とした総合的なユーティリティ会社への転換でです。ドイツ電力大手の
RWEは、グループ全体に占める電力の割合は2002年には50%程度となっています。また、RWEの国内売り上げは60%に留まり、イギリス14%、アメリカ9%など海外への展開も始まっていました。

Effects of Germany’s Ecological Tax Reforms on the Environment, Employment and Technological Innovation
The Change of Energy Policy and Strategies of Major Electric Power Companies in Germany
 

アート緑の党の苦悩

しかし、このドイツ政府と電力業界の間の段階的脱原発の合意「原子力コンセンサス」に関し、緑の党では内部対立が起きていました。党の理念を堅固に維持したい原理主義派と、妥協をしても連立政権維持を優先したい現実主義派との間の意見の相違です。

連立政権の座についてからというもの、緑の党は外交問題、党内民主主義、原発問題など軒並み、これまでの持論を180度方向転換したり、妥協を迫られていました。例えば、副首相で外相も務めたジョシュカ・フィッシャーは、これまで非暴力主義、NATOからの撤退を掲げてきたにもかかわらず、1999年にはコソボやセルビアへの派兵や、2001年のアフガニスタンへの派兵も支持する側に回りました(緑の党の国会議員の中には、これらに反対票を投じた議員もいます)。

脱原発を実現させるための改正原子力法でさえ、党内では厳しい批判があがり足並みは乱れていました。政権発足当初、緑の党が実現させようとしていたのは原発からの即時撤退でした。最低でも、2002年までには一基を停止・廃炉にさせるという方針だったのが、結局の実現したのは、ドイツでもっとも古い原発のオブリハイム原発を2005年までに廃止するというバーデン・ヴュルテンベルク電力との合意、たった一つに過ぎません。

緑の党内の急進派は、原子力コンセンサスは、言い換えれば2020年までは原発の運転を容認するという合意であり、連立政権は電力業界の要求を呑み今後30年間も原発を存続させ、使用済み燃料の輸送を保障する合意文書に署名をしたのだとして、到底容認できないとしました。非難の矛先は環境大臣となった緑の党のトリッティン氏にも向けられ、実際に党を離党する議員が出る事態にもなりました。

環境活動家のトリッティン氏は、以前は核廃棄物の輸送に反対し、しばしばその妨害活動で警察に連行された経歴の持ち主です。使用済み燃料を一旦フランスの再処理施設に送り、そこから中間保管施設に列車で輸送するといった手続きが必要不可欠なドイツの原発産業のあり方は、政権を担う立場となったかつての脱原発指導者を難しい立場に立たせました。

原子力改正法(2001年)に基づくドイツの脱原発政策は、原発からの即時撤退を望む者たちにとっては妥協が多く、電力業界には多くの時間的猶予と原発の廃炉時期に関する有利な裁量権が与えられたものとなりました。しかし、この時点のドイツ政府の意図は、「原子力発電所は運転期間32年ですべて廃止する」という段階的脱原発政策の策定であり、それにより電力業界との間に生じうる訴訟を避けるためのギリギリの決断でした。

この緑の党が躍進し連立政権を担い始めた1998年から、環境・エネルギー関連の数々の重要改革、2001年の改正原子力法の成立を経て、ドイツ脱原子力政策が動き出した期間(〜2005)を、ドイツ脱原発第二転換期、とすることにします。

しかし、脱原発政策はスムーズには進んでいきません。話はまだ続きます。改正原子力法は成立したものの、何とか原発を維持したい電力業界は、シュレーダー政権への反発を強めます。その後の選挙では、野党のキリスト教民主同盟(CDU)は脱原子力政策の撤回を公約に掲げ、電力業界の強力なバックアップで政権奪還に向けて動き出すのです。

次回へ続く・・・



posted by Oceanlove at 07:26| 震災関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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