2011年02月20日

衰退へ向かうアメリカ その(1)大統領演説と「丘の上の町」


Wee shall be as a Citty upon a Hill, the eies of all people are uppon us” - John Winthrop, “A model of Christian Charity”, 1630.

「我々は、全ての人々の目が注がれる丘の上の町とならなければならない」−ジョン・ウィンスロップによる「キリスト者の慈善の模範」(1630年)より


1月25日、オバマ大統領の一般教書演説が行われました。「予算教書」「大統領経済報告」と合わせて三大教書と呼ばれる一般教書演説は、通常1月の最終火曜日に行われ、連邦議会議員と国民に向けて、国の現状についての大統領の見解や主要な政治課題について伝えるものです。約一時間に及ぶ演説の中で、各政治課題への具体的な提言とともに、時の政権が目指す大きな目標や大局的スロ−ガンが語られます。この、アメリカをどのような方向に導いていくのかという理念や大統領の抱負は、しばしば具体的な政策提言以上に重要でシンボリックな意味をもち、聴衆の耳を引き立てます。

大統領演説では、アメリカ歴代の大統領によって、その時々の時代背景や政治情勢を反映させた歴史に残る名スピーチが行われてきました。その大統領演説の中に、古くは建国の時代から今日に至るまで、脈々と受け継がれてきたものがあります。それが、冒頭のジョン・ウィンスロップによる有名な「全ての人々の目が注がれる丘の上の町」という象徴的なフレーズです。「丘の上の町」は、イギリスにおける国家的宗教弾圧を逃れて新大陸アメリカに渡った清教徒たちがつくろうとしていた「自由で公正な神の国」を表す比喩として用いられています。今回の記事では、「丘の上の町」をテーマに17世紀に遡る清教徒たちの(アメリカ建国以前の)建国の精神が、現代にどのように繋がっているかを見ていこうと思います。

🎨ジョン・ウィンスロップの「丘の上の町」
ジョン・ウィンスロップ(1587−1649年)は、清教徒の牧師で1620年から1640年の間にアメリカにわたったおよそ2万人の一人です。裕福な土地所有者で、初期の植民地マサチューセッツ湾岸州の初代総督に選ばれたのを含め以後も総督に12回選出されるなどリーダーシップを発揮しました。1630年、ウィンスロップは新大陸上陸前のアルベラ号上で「A Model of Christian Charity」と題する説教を行いました。その中で、「我々の目的は、神に対しいっそうの奉仕をし、キリストによる恵みと繁栄が与えられ、キリストによる救いを全うするという神との間の盟約に基づいて、神聖なる共同体を建設することである」と、新大陸における彼ら清教徒のビジョンを明確に述べました。

清教徒たちが求めていたものは、必ずしもイギリスの圧制からの開放だけではないと言われています。(参考:Gavin Finley, John Winthrop and “A City upon A Hill” )。彼らは、イギリスと袂を分かつのではなく、新天地アメリカで本国の手本となるような理想的な教会組織を建設しようとしていました。これによって、腐敗に満ちたイギリス社会を贖い、改革し、どちらの地においても、よきイギリスの復興をかなえることができると考えていたのです。つまり、全ての人々の手本となるような理想的で公正な社会を築くことを目指していたのです。ウィンスロップは、それを「これから築く新しい共同体は、世界中の目が注がれる丘の上の町である」と表現しました。その部分を、以下に引用してみます。(全文はこちらを参照)

wee shall finde that the God of Israell is among us, when tenn of us shall be able to resist a thousand of our enemies, when hee shall make us a prayse and glory, that men shall say of succeeding plantacions: the lord make it like that of New England: for wee must Consider that wee shall be as a Citty upon a Hill, the eies of all people are uppon us.

私たち10名が1000名の敵に対抗するとき、また神が私たちを誉れと栄光のものとし、後に人々がこれから建設される植民地について「主がニューイングランド(新しき英国)の植民地のようにつくられた」と言うようになるとき、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる「丘の上の町」とならなければならない(筆者仮訳)。


🎨新約聖書に語られる「世の光」
「丘の上の町」は、大元はというと、新約聖書の「マタイによる福音書」に記されたイエス・キリストの言葉です。キリストは、有名な山上の説教で聴衆に対してこう語りました。

You are the light of the world. A city on a hill cannot be hidden. Matthew 5:14
あなた方は世の光である。山の上にある町は隠れることができない。−新約聖書「マタイによる福音書」5章14節

キリストの言葉は以下のように続きます。
また、ともし火をともして升の下に置くものはいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らすのである。そのようにあなた方の光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなた方の立派な行いを見て、あなた方の天の父をあがめるようになるためである。」

ここには、世に暗闇があること、キリストの教えにそぐわない行いをしている人々がまわりにいることが示唆され、「あなたが光となって立派な行いをしなさい。山の上にある町には、人々の目が注がれていて逃げ隠れすることはできないのだから、他の人々の手本になるような生き方をしなさい」と語っていると解釈できます。

ウィンスロップの時代の暗闇とは、イギリスの圧制であり社会の廃退であり宗教弾圧でした。だからこそ、自分たちが世の光となり、新しい土地で真に神聖で公正なる神の国、すなわち「山の上の町」をつくり、全ての人々の手本となって神の栄光を世に示そうとしたのです。ここに示された清教徒たちの信仰は、犯した罪と、キリストによる罪の贖(あがな)いと、神の国の栄光、というキリスト教の真髄とも言えるものでした。

🎨現代アメリカにおける「丘の上の町」
ウィンスロップにとっての「丘の上の町」は、こうした絶対的なキリスト教信仰に基づいた「神聖な神の国」でした。しかし、独立戦争以降20世紀にかけて、「丘の上の町」というフレーズは次第に宗教的概念から解き放たれ、より普遍的な「アメリカ建国の精神」に引き上げられていきました。つまり、「丘の上の町」は、「神聖な神の国」から「進歩と自由と民主主義の理想的国家」へと呼び名を変え、しかもただの「丘の上の町」ではなく「輝ける丘の上の町」へと進化し、アメリカという国家の象徴、国民的信仰とも呼べるべきものとなっていったのです。

ウィンスロップの説教から400年近い年月を経た今日も、清教徒たちの目指した建国の理想は、アメリカ社会に生き続け、社会を動かす大きな原動力となっています。連邦政府や州の議会から、各種メディアから、キリスト教会の壇上から・・・政治の様々な舞台で、清教徒たちが目指していたものと同様のビジョンを持つ人々の声が響き続けています。ウィンスロップの「丘の上の町」のフレーズは、歴史に残る大統領演説にも繰り返し引用されてきました。

例えば、1961年1月9日、大統領選挙で勝利したジョン・F・ケネディは、就任前の演説で次のように述べています。

Today the eyes of all people are truly upon us−and our governments, in every branch, at every level, national, state and local, must be as a city upon a hill ‐constructed and inhabited by men aware of their great trust and their great responsibilities. For we are setting out upon a voyage in 1961 no less hazardous than that undertaken by the Arbella in 1630.

今日、全ての人々の目はまさに私たちに注がれている。政府の全ての機関は、連邦、州、各自治体の全てのレベルにおいて「丘の上の町」とならなければならない。その町を構成しそこに住む者は、大いなる信頼と大いなる責任を備えていなければならない。なぜなら、我々が船出しようとする1961年の航海は、かつてのアルベラ号(ウィンスロップが乗っていた船)による1630年の航海に劣らない厳しいものだからである(筆者仮訳)。


また、1989年1月、ロナルド・レーガンは、大統領として最後の演説で、こう語っています。

I've spoken of the shining city all my political life, but I don't know if I ever quite communicated what I saw when I said it. But in my mind it was a tall proud city built on rocks stronger than oceans, wind-swept, God-blessed, and teeming with people of all kinds living in harmony and peace, a city with free ports that hummed with commerce and creativity, and if there had to be city walls, the walls had doors and the doors were open to anyone with the will and the heart to get here.

And how stands the city on this winter night? More prosperous, more secure, and happier than it was 8 years ago. But more than that: After 200 years, two centuries, she still stands strong and true on the granite ridge, and her glow has held steady no matter what storm. And she's still a beacon, still a magnet for all who must have freedom, for all the pilgrims from all the lost places who are hurtling through the darkness, toward home.(スピーチ全文はこちらを参照)

「輝ける(丘の上の)町」について、私は政治家として生涯にわたり語ってきたが、私が見たものは何だったか果たしてしっかりと伝えることができただろうか。私の心の中に見たそれは、海の荒々しい波にも吹きすさぶ風にも揺るがない堅固な岩の上に建てられた堂々とそびえ立つ町である。その町は神に祝福され、あらゆる人々が調和を保って平和に暮らしている。町の開かれた港は貿易や創造的な活動で賑わい、もし町に塀に囲まれているのならその塀には門があり、その門は入る意思と希望を持った者にならば誰にでも開かれている。

この冬の今宵、その町はどのように立っているだろうか。8年前より豊かで、安全で、幸福である。それ以上に、(独立から)200年、2世紀のを経た今も、この国は力強く真に堅固な岩の上に立ち、そしていかなる嵐の中にあっても町は輝き続けている。そして、この町は今も自由を求める人々の灯台であり、失われた場所の暗闇の中から安住の地を求める全ての旅人たちを惹きつけてやまないのである(筆者仮訳)。


🎨オバマ大統領の「世の光」
そして、2011年1月25日、オバマ大統領の一般教書演説の中にも、国民的信仰の最新バージョンが盛り込まれていました。「輝ける丘の上の町」の代わりに、「世界の光」“Light to the World”という言葉が用いられていました。演説の導入部では、共和党が下院で多数を占める難しい状況にあることを踏まえ、次のように切り出しています。

今夜ここに集まった民主・共和両党議員の間に意見の対立があることは明らかである。論戦では、それぞれの主張を訴えて激しく戦ってきた。それは、良きことである。活力ある民主主義そのものであり、それこそアメリカが他国と異なるところである。

しかし、タクソンの悲劇(今年1月8日、アリゾナ州タクソンで起きた銃撃事件)に、我々は考えさせられている。政治討論の熱戦や嫌悪の真っ最中にあって、誰でも、どこの出身であろうと、我々は党派の違いや政治的信条の違いを超えた偉大なるものの一部なのだということを、タクソンは思い出させてくれている。我々はみなアメリカン・ファミリーの一部だ。我々は、この国には様々な人種、信仰、価値観が共存しながらも、人々が一つに結ばれていること、共通の希望と信条を持っていること、あのタクソンの少女(銃撃で犠牲になった9歳の少女)が抱いていた夢は我々の子供たちが描いている夢と大きく違わないこと、そして、全ての人々にチャンスが与えられるべきことを信じている。それもまた、アメリカが他の国と異なるところである(筆者要約)。


そして、現在アメリカが直面している大きな困難に立ち向かっていくためには、党派を超えた協力が必要であり、それが有権者から託された責務であると述べました。その上で、アメリカが「世界の光」であり続けられるかどうかが私たちの手にかかっている、と続けました。この部分の英文を引用してみます。

“New laws will only pass with support from Democrats and Republicans. We will move forward together, or not at all -- for the challenges we face are bigger than party, and bigger than politics.” “At stake is whether new jobs and industries take root in this country, or somewhere else. It's whether the hard work and industry of our people is rewarded. It's whether we sustain the leadership that has made America not just a place on a map, but the light to the world.”

「民主・共和両党の協力がなければいかなる新しい法案も通りません。この国が前進できるかどうかは、両党が共に協力できるかどうかにかかっています。我々が直面している試練は、党利や政治的駆け引きを超えた大きなものなのです。」「アメリカに新たな雇用や産業がこの国に根付くのか、それとも国外に流出してしまうのか。働く人々の一生懸命さや勤勉さが報われるか否か。そして、アメリカが世界のリーダーシップを摂り続け、単なる地図上の国でなく、「世界の光」であり続けられるかどうか、そのすべてが我々の手にかかっているのです。」(筆者仮訳)



さて、オバマ大統領が使った「世界の光」のという言葉。これまでにも政治の舞台で引用されてきた「丘の上の町」や「輝ける灯台」といった国民的信仰や伝統のようなものを継承したセリフだと、受け止めればそれで済むのかもしれません。しかし、現在の世界情勢の中で、アメリカがどのような位置に立っているかを考えたとき、「世界の光」という表現はふさわしいでしょうか?そこだけ何か浮いてしまったような、決まりの悪い印象を受けたのは筆者だけでしょうか?次回の記事では、オバマ大統領の抱負と政権が直面する課題について、詳しく見ていきたいと思います。
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posted by Oceanlove at 04:26| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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