2013年04月30日

日本の安全保障と将来の道 シリーズ(3)米中対立−南シナ海の領有権問題

前回の「シリーズ(2)米中対立−台湾問題」に続き、米中間の利害対立である南シナ海における領有権問題について、詳しく見ていきたいと思います。 

近年南シナ海では、中国の海洋進出に伴い、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ブルネイなど複数の東南アジア諸国と、領土・領海をめぐって対立と小競り合いが引き起こされています。地理的に日本から離れているので直接関係ないと思われるかもしれませんが、ここにも米中の対立構造があることを理解することは極めて重要です。

それは、南シナ海が中東から日本へのエネルギー供給の大動脈、いわゆるシーレ−ンだからという理由だけではありません。この海域における中国の海洋戦略とアメリカの対中戦略を理解することで、実は、南シナ海・東シナ海の両者に類似した米中対立の構図があることがわかり、アジア太平洋地域のおかれた現状を概観より客観的に把握することができるからです。
 

今回は、南シナ海の領有権問題のあらましと、海洋における法の支配の基本である「国連海洋法条約」について、解説します。

アート南シナ海の領有権争いのあらまし 

南シナ海における中国と各国間の係争の舞台は、南沙諸島、および西沙諸島などの数百に及ぶ小島や環礁が含まれます。南シナ海の海域は約350万平方キロで、中国が自国の管轄だと主張している海域は200万平方キロです。そのうち、他の国々が同様に管轄を主張している海域は154万平方キロで、係争のない海域は46万平方キロしかありません。(李 国強 中国と周辺国家の海上国境問題より)  

南シナ海において、各国が領有権を主張している範囲は、以下のようになっています(下記地図を参照)。 

【中国】 排他的経済水域・大陸棚原則および歴史的理由により、南シナ海ほぼ全域を要求。南沙諸島の一部を軍事占拠。西沙諸島をベトナムから奪還。東沙諸島を要求。
【台湾】 南シナ海ほぼ全域を要求。南沙諸島の一島に滑走路を建設済み。東沙諸島を実効支配。
【ベトナム】 排他的経済水域・大陸棚原則に基づき、南シナ海の大部分を要求。中国に奪われた西沙諸島を要求、南沙諸島のうち20島を占拠。
【フィリピン】 排他的経済水域・大陸棚原則に基づき、南シナ海の約半分を要求。南沙諸島の8島を実効支配。
【マレーシア】 排他的経済水域・大陸棚原則に基づき、南沙諸島の3島を要求。 

South China Sea Dispute


(図) 石油エネルギー技術センター、2012年JPECレポート「ベトナムのエネルギー産業と南シナ海の領有権争い」より  

以下に、南シナ海において、1970−90年代に中国と関係各国との間で起きた事件の主だったものを挙げてげてみました。

・ 1974年、西沙諸島でベトナム軍と中国軍が衝突。以来、中国は武装した軍関係者を島に定住させ、実効支配を固める。
・ 1988年、中国は西沙諸島の主島である永興島に空港と港湾施設を建設する。
・ 80年代、中国は南沙諸島およびベトナム南部海域で海洋調査を始める。1988年、ジョンソン礁周辺で中越両海軍が衝突(ベトナム兵80名死傷)。中国による南沙諸島の実効支配が始まる。
・ 90年代、フィリピン西方海域の調査に乗り出し、95年フィリピンが領有権を主張しているミスチーフ礁にも主権を誇示する標識を立てる。後に恒久的軍事施設を建設して、実効支配を進める。
 

中国政府によれば、中国は1950年代には、西沙諸島や南沙諸島を含む南シナ海一帯の領有権をすでに主張していたとしています。中国が初めて公式に「領海に関する声明」を発表したのは1958年です。この声明には、中国の領海は
12カイリであること、一切の航空機と軍艦は中国政府の許可なく中国の領海と上空に立ち入ってはならないこと、そして、澎湖列島(台湾の西岸沖)、東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島は中国に属すると明記されていました。(ちなみにこの時点では、尖閣諸島は明記されていません。尖閣諸島の主権を主張するようになったのは1971年以降のことです。) (毛利亜樹 「現代海洋法秩序の展開と中国」より) 

近年になって、中国が管轄の海域について立場を明らかにしたのは、1992年の「中華人民共和国領海および接続水域法」です。同法では、台湾、魚釣島(尖閣諸島)、澎湖列島、東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島を中国領土とし、その領土に隣接する一定範囲の海域を中国の領海と定めるとしたのです。この一定の範囲とは、中国が国家利益を追求する海上の「戦略的辺境」の範囲のことです関山健 「中国の海洋権益と南シナ海」より
 

改革開放路線に踏み切り著しい経済成長を続ける中国は、90年以降、この「戦略的辺境」をそれまでの12カイリの領海から、国連海洋法条約(このあと説明)で認められた「排他的経済水域」の200カイリ、さらには中国の歴史的な管轄領域である九点線内部の南シナ海全域に拡大するようになりました(九点線については後の章で説明します)。そして、この「戦略的辺境」における、海洋調査や天然資源開発、海上交通、海域の管理・防衛など、様々な海洋利益を確保することを、国家の海洋戦略として打ち出していったのです。 

この近年の中国の海洋戦略が、東南アジア諸国を脅かし、係争を引き起こしているわけですが、中国の海洋戦略について説明を始める前に、まず、領海と排他的経済水域、そして国連海洋法条約について解説を加えておきましょう。
 

アート「国連海洋法条約」とは
 

国連海洋法条約とは、海洋に関する伝統的な慣習に対し、近年増加した海洋をめぐる様々な問題に対応するため、海洋を人類の共有財産とし、資源開発の権利、平和利用や環境保全の義務を規定した条約です。1982年に国連で採択され、「領海および接続水域」、「公海」、「漁業および公海の生物資源の保存」、「大陸棚」に関する4つの関連条約が1994年に発行しました。日本は1983年に署名(1996年に批准)、現在162カ国が批准していますウィキペディア 「海洋法に関する国際連合条約」より 

国連海洋法条約では、沿岸から12カイリまでを沿岸国の領海、200カイリまでを沿岸国の排他的経済水域として認められる、と定めています。ただし、領海や排他的経済水域は自動的に与えられるわけではなく、沿岸国が国内法で規定することにより、それぞれ12カイリ、200カイリ以内の範囲で認めらるとされています。「領海」には「領土」と同じく沿岸国の主権すべてが及ぶのに対し、「排他的経済水域」においては、「経済的主権(水産資源の利用、天然資源の開発、建造物の設置、海洋調査権、環境保全の責務等)」が沿岸国に認められています 

他国の領土との間に24カイリ以上ない場合には、両国それぞれが領海を12カイリとすることは物理的にできませんから、「衡平の原則」により、互いの話し合いと合意の上で領海を決定することになります。両国の中間線になることもあれば、互いに合意に達することができず国際司法の場に持ち込まれることもあります。
 

排他的経済水域の場合も同様で、例えば、日本と韓国のように領土の間隔が400カイリ未満の海域では中間線を引いて排他的経済水域を定めています(ただし、竹島を含む係争地については、日韓で暫定的に協定を結び「暫定水域」を設け、日韓の両国が漁業を行うことができるようになっている場所もあります)。
 

海洋法条約では、排他的経済水域において、経済的主権は沿岸国にあるとしていますが、他国の船舶にも航行の自由や、上空飛行の自由が認められています(無害通航権)。漁業活動などを行わない限り、他国の船が平穏に通過するだけで拿捕されるようなことはないのです。「排他的経済水域・基礎知識」
 

アート国連海洋法条約の限界と矛盾
 

しかし、海洋法条約は、現代の海洋利益にまつわる様々な問題に対処し、海洋における法の支配の確立を目指したものであるにもかかわらず、その文言に異なる解釈の余地を残した不完全な条約でもあります。条約の一部を見てみましょう。海洋法に関する国際連合条約
 

58条(排他的経済水域における他の国の権利および義務)
1項 すべての国は、排他的経済水域において、(中略)航行および上空飛行の自由並びに海底電線および海底パイプラインの敷設の自由ならびにこれらの自由に関連し及びこの条約のその他の規定と両立するその他の国際的に適法な海洋の利用(船舶および航空機の運航ならびに海底電線および改定パイプラインの運用にかかる海洋の利用等)の自由を享有する。 

排他的経済水域において沿岸国の経済的主権を認める一方、他国にも船舶の自由な航行やパイプラインの敷設など、広く国際社会の利益となる調査活動や環境保護活動等を認めています。
 

58条(排他的経済水域における他の国の権利および義務)
3項 いずれの国も、排他的経済水域において、この条約により自国の権利を行使し及び自国の義務を履行するに当たり、沿岸国の権利および義務に妥当な考慮を払うものとし、またこの部の規定に反しない限り、この条約および国際法の他の規則に従って沿岸国が制定する法令を遵守する。 

排他的経済水域において自国の権利を行使する場合には、沿岸国に考慮を払わなければならない、とあります。しかし、沿岸国間に領土問題が存在すしたり、排他的経済水域と主張する範囲が重なる場合、その海域に海底油田や豊富な漁場などがある場合、また、船舶の航行に軍事演習が伴う場合、その海域はしばしば係争地となり、船舶の衝突や武力衝突に発展し得るのです。
 

59 条(排他的経済水域における権利及び管轄権の帰属に関する紛争の解決のための基礎)
この条約により排他的経済水域における権利又は管轄権が沿岸国又はその他の国に帰せられていない場合において、沿岸国とその他の国との間に利害の対立が生じたときは、その対立は、当事国及び国際社会全体にとっての利益の重要性を考慮して、衡平の原則に基づき、かつ、すべての関連する事情に照らして解決する 

互いに意見が食い違った場合には、衡平の原則に基づいて解決するとは言っていますが、問題は「当事国及び国際社会全体にとっての利益の重要性を考慮して」という文言です。関係国それぞれにとって都合のよい解釈が可能なため、「衡平な解決」は極めて困難な状況です。
 

その一つの例が、2010年11月、黄海の中国の排他的経済水域で米原子力空母が参加して行なわれた米韓の合同軍事演習です。米政府は中国政府に対し事前に通知しましたが、中国は「排他的経済水域内で許可を得ずにいかなる軍事行動を取ることも反対する」と抗議し、米中間に緊張が走りました。

中国大陸と朝鮮半島に挟まれた黄海は、総面積38万平方キロ。そのうち、中国は25万平方キロの海域を排他的経済水域と主張しているのに対し、韓国側は両国の中間線を取ることを主張しており、両者の主張範囲は約7万平方キロ重複しています。(李 国強 
中国と周辺国家の海上国境問題
 

中国は、黄海での米韓軍事演習を「排他的経済水域における沿岸国の安全を脅かすものだ」と抗議したのに対し、米韓は、「排他的経済水域で、軍艦の航行中に訓練を行なうことは自由である」と主張しました。その根拠は、米韓の軍事演習は、「地域全体の安全や安定を維持する」ためのものであり、「国際社会全体にとっての利益」だからというのです。
 

海洋法条約が、その解釈に大きなあいまいさを残している理由は、条約採択のプロセスに見ることができます。
 

海洋法条約が締結されるまでは、領海や公海に関する明確な国際的な基準はなく、公海は「どこの国にも属さない公の海域」として、習慣的に自由な航行や漁業が行われてきました(公海自由の原則)。とはいっても、
19世紀までの海洋における活動とは、伝統的な海洋国家であるイギリス、アメリカ、ロシアなどの大国による、植民地政策と貿易、軍事活動そのものだったのです。

当時の国際社会では、軍事行動さえも「公海において伝統的に認められた海洋の自由利用原則のひとつ」であるとされてきました。ですから、これらの大国は、自らの海洋権益や自由が縮小される可能性のある新しい国際的ルール
(海洋法条約)作りには、当初否定的でした。
 

海洋法条約の規定の議論の焦点は、海洋先進国家が保持していた「公海自由の原則」と、その他の国々が求めていた「沿岸国の権利拡大」の妥協点を見出すことでした。200カイリの排他的経済水域の規定は、その他の国々が求めていた沿岸国の経済的主権(水産資源の利用、天然資源の開発、建造物の設置、海洋調査権、環境保全の責務等)を認めたものであり、逆に言えば、沿岸国が勝ち取ったものとも言えます。

しかし、海洋先進国は、沿岸国の排他的経済水域(かつての公海の一部)が、完全に沿岸国の管轄になってしまわないように、沿岸国に認められるのはあくまで経済的主権であり、それ以外の権利(政治的・軍事的な主権など)は認められないい、と主張しました。
(毛利亜樹 「現代海洋法秩序の展開と中国」より)
 

また、条約には、排他的経済水域における軍事行動(軍艦の訓練や諜報活動など)に関する明確な規定が盛り込ませませんでした。中国は、他国の艦船の航行や上空飛行は、沿岸国への事前の通知と許可が必要だと主張しましたが、これも規定されませんでした。興味深いのは、1982年の条約採択より前の時点ですでに、アメリカを中心とする海洋先進国と中国の間で海洋権益をめぐる対立があったということです。

結局、海洋法条約は、沿岸国の排他的経済水域においても、他の国の艦船が自由に航行したり軍事演習を行う自由は認められる、という解釈が成り立つ、玉虫色の規定となりました。
 

条約の作成は、1958年の第一次国連海洋法会議を機に始まり、1982年に採択されるまで、実に24年の年月を費やしています。それでもなお、深海底開発の権益など部分的に合意に達することができず、アメリカは採択に反対、イギリス、西ドイツ、ソ連等は棄権しました(後に、これらの国々も条約に署名しました)。アメリカは署名はしましたが、現在も批准はしていません。
 

条約締結30周年に当たり、国連の藩基文国連事務総長は、「地球上の70%を占める海洋が、すべての人々と世界の諸国の持続可能な発展にとって不可欠な存在となっており、国連海洋法条約が海洋における法の支配を確立する上で最も重要な基本法になっている」と述べました。(田中則夫「国際海洋法条約の成果と課題−条約30周年の地点に立って」
 

しかし、
30年の条約の歩みの中で、顕著になったのは、条約の抱える矛盾や適用の難しさのみならず、海洋権益を欲しいままにしてきた超大国アメリカと、刻々と強大化する中国との対立構図であり、海洋支配におけるパワーバランスの変化だと言えるでしょう。



posted by Oceanlove at 02:30| 日本の政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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