2016年04月06日

エスタブリッシュメントが描く国家戦略とアメリカ国民の覚醒

アメリカ大統領予備選が始まって約2ヶ月、共和党ではドナルド・トランプ氏が依然トップを走り、民主党はバーニー・サンダース氏がヒラリー・クリントン氏との差をじわじわと縮めてきている。この予想外の展開に、いったいなぜ、あんな人(トランプ氏)が大統領候補に?サンダース氏ってチャンスあるの?といったよく質問を受ける。


トランプ人気や、トランプ氏と共和党主流派との対立など、すでにニュース解説等もありネット上でも様々な憶測が飛び交っているが、私は「アメリカ国民が、ようやく何かに目覚めアメリカ政治の本質を理解し始めたがゆえの現象ではないだろうか」という思いを抱いている。


今回の記事では、アメリカ国民が何に目覚め始めたのか、アメリカ政治の本質とは何か、いったい今回の大統領予備選で何が起きているのかを、表題にある”エスタブリッシュメント(後に詳述)”をキーワードに、独自に分析してみた。


■巨大資本が操る大統領選


アメリカは民主国家であり、国民に選ばれた大統領が国民のための政治を行う、ということになっている。


しかし、まず始めに言えることは、アメリカ大統領選挙が行われるシステムも、大統領が行う政治も極めて非民主的であるということだ。

大統領に立候補して半年近くに及ぶ予備選を勝ち抜き、さらに本選で戦えるのは、民主党候補であれ、共和党候補であれ、それだけの資金を集めることのできる有力な候補に限られている。


二大政党以外の政党も数多く存在するのだが、候補者と認められるための法の壁と圧倒的資金不足のために、ディベートへの参加の機会もなく、名前さえ知られないまま終わってしまう。


その二大政党の有力候補の後ろについているのが、PACSuper Political Action Committee)と呼ばれる政治資金団体である。アメリカでは個人献金の限度額は2,700ドルと決まっているが、企業からのPACへの献金額には規制がない。


これは、2010年、連邦最高裁判所において下された、政治と金の問題をめぐるある判決に基づいている。この判決で、企業による政治献金の規制は、“企業の政治表現権の侵害”であると判断され、それまで個人にしか認められていなかった合衆国憲法修正1条が保障する「表現の自由」が、企業にも認められることとなったのだ。


これにより、候補者らは自らのPACを通して、大企業など大口ドナーから事実上無制限に選挙資金を調達できるようになった。以後、PACは近年巨大化し、スーパーPACと呼ばれるようになった。


下の表は、今回の予備選が始まってから、これまでに各候補者が収集した寄付金をまとめたものだ。


 

総額

個人献金

PAC

PAC比率

ブッシュ

1億5,760

3,350

12,410

78.7

クルーズ

1億 420

5,470

4,960

47.6

ルビオ

8,460

3,470

3,420

40.4

クリントン

1億8,800

13,040

5,750

30.5

トランプ

2,730

2,550

180

6.5

サンダース

9,630

9,630

10万未満

0.001

            (216日ニューヨークタイムズ) 単位:ドル


共和党候補のブッシュ氏の資金は、実に78.7%がPAC、つまり大口ドナー(巨大企業など)からの献金によるものだ。クルーズ氏もルビオ氏も、4割から5割近い額をPACに頼っている。トランプ氏は、キャンペーンのかなりの部分を自己資金でまかなっているので、全体として受け取っている献金額も少ないく、大口ドナーからの献金も少ない。


民主党では、クリントン候補がPACから5,750万ドル(全体の約30%)の提供を受けているのに対し、サンダース候補はPACからの献金をほとんど受け取っていない。サンダースの資金はほとんどが平均額が27ドルの草の根の個人献金でまかなわれている。それだけ支持者の裾野が広いということだ。


重要なのは、これらの数字が何を意味するかだ。政治家の行動は、ドナーの意向を反映する。PACからの大口献金を受けている候補者は、資金提供元である大企業や巨大資本の意向には逆らえない。


要するに、アメリカの政治は、巨大資本に操られているということである。


■「エスタブリッシュメント」対「非エスタブリッシュメント」


アメリカの大統領選挙といえば、これまで「リベラル・民主党」対「保守・共和党」という構図が支配的であった。ところが、今年は両党共に、「エスタブリッシュメント」対「非エスタブリッシュメント」という構図が明確になってきている。


エスタブリッシュメントという言葉が政治用語として使われ始めたのは1960年代ごろからだ。当初は、「リパブリカン・エスタブリッシュメント」のように、党の中核をなす人々を狭義的に指していた。


それが最近では、エスタブリッシュメントは、二大政党と、スーパーPACPACへ大口ドナーである巨大企業、金融資本、軍需産業、さらには大手メディアなどで構成されると考える広義のエスタブリッシュメントとして使われることが多くなった。そこから導かれるのは、エスタブリッシュメント=既成政治、富の独占、1%の白人エリート、ウォールストリート、軍需産業・・・という図式だ。


「エスタブリッシュメント」対「非エスタブリッシュメント」という構図の背景にあるのは、雇用にしろ軍事にしろ人種差別にしろ、国民の既成政治へのかつてない信用の落ち込みと不満である。その不満の矛先が向かっているのが、エスタブリッシュメントなのである。


アメリカ国民はようやく気付き始めたのである。


エスタブリッシュメントは、自らが擁立する候補者を、スーパーPACを通じて莫大な選挙資金でバックアップして当選させ、自分たちが望むような政策を実行させているということに。


二大政党のどちらが当選しても、大枠では国家戦略に大差がないのは、背後から彼らを操っているのは、巨大企業、金融資本、軍需産業などで構成されるエスタブリッシュメントだからだということに。


言うなれば、アメリカ政治は二重構造になっている。潤沢な資金を持ち、国家戦略を作り、舞台裏で活躍するエスタブリッシュメントと、エスタブリッシュメントの資金援助を受けて選挙で選ばれ、エスタブリッシュメントの作った国家戦略を表舞台で実行する大統領や政治家たち。


言い換えれば、アメリカ国民はこれまで、自分たちが民主的に選んだ大統領は「国民による国民のための政治」を遂行するものと思ってきたが、実際には大統領は、エスタブリッシュメントが作った戦略を実行するための傀儡であるということに、ようやく気づき始めたのだ。


トランプ氏が共和党トップをひた走り、サンダース氏が予想外の追い上げでクリントン氏を脅かしている理由はここにある。


彼らが、エスタブリッシュメントと袂を分けた候補者だからだ。彼らがエスタブリッシュメントから大口献金を受けていない候補者だからだ。人々は彼らの「非エスタブリッシュメント性」に支持を表明している。


■「ネオリベラル」対「ネオコン」とショック・ドクトリン


さて、二大政党のどちらが当選しても大枠の国家戦略に大差がないと先ほど述べたが、近年、エスタブリッシュメントの中核を担い、国家戦略を描いているのは、従来的な「リベラル・民主党」や「保守・共和党」ではなく、実は「ネオリベラル」や「ネオコン」の勢力だ。


ネオコンは、石油産業や軍事産業を後ろ盾にした共和党保守で、ブッシュ政権でアフガニスタンやイラク戦争を強行した。一方、人権や民主主義を重視しリベラルを自称しているが、実質的には武力行使を厭わないのが民主党ネオリベラルである。好戦的なクリントンはその代表格だ。


ネオコンとネオリベラルは、二大政党制の両側に対峙してはいるが、共にエスタブリッシュメントの構成員として経済・外交・軍事など各分野において覇権国アメリカの国家戦略を描いてきた。


カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クライン氏は、そのようなアメリカの国家戦略を、「ショック・ドクトリン」と名付けて分析した。著書「Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism(惨事活用型資本主義の勃興)」で主張した、「大惨事に漬け込んで実施される過激な市場原理主義改革」は大きな反響を呼んだ。


「ショック・ドクトリン」の中で、クラインは、「シカゴ学派」と呼ばれる、経済学の分野において最も急進的な市場主義を提唱する一派を糾弾している。投資家の利益を代弁するとも言われるこのシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマン氏は、「真の改革は危機状況によってのみ可能となる」と述べた。つまり、戦争や大規模な自然災害といった社会的混乱によって、国民が一時的なマヒ状態に陥っているときこそ、急進的な市場経済改革を成し遂げる好機であるというのだ。


通常、国家の非常事態にある時、人々の恐怖心や危機意識につけ込んで、国家権力によって市民の自由や権利が剥奪されたり、人権侵害が起きる危険性は増大する。しかし、危険性はそれだけではなく、これらの非常事態は、急進的な市場主義改革を強行するためにも、利用されてきたという。


例えば、大災害などの混乱に乗じて、「民営化」、「公的な社会福祉や助成制度の廃止」、「貿易自由化の加速」など、巨大資本が優遇される政策が、災害の収拾とは無関係に強行されること。これがショック・ドクトリンだ。


クラインは、チリのピノチェトによるクーデター(1973年)、ソ連崩壊(1989年)、同時多発テロ(2001年)、イラク戦争(2003)、ハリケーン・カトリーナ、アジアの津波災害時などにも、ショック・ドクトリンにより、急進的な市場経済主義改革や国家権力の拡大、あるいは市民権の喪失が起きてきたことを綿密に検証した。ショック・ドクトリンは、現代のもっとも危険な思想だと述べている。


■ショック・ドクトリンを推し進めてきたアメリカ


ブッシュ政権からオバマ政権にかけての期間だけとってみても、アメリカで起きた社会的混乱と、その後に導入された政策を振り返ってみると、ショック・ドクトリンに当てはまるケースは枚挙に暇がない。


例えば、911後、テロ対策の名の下に、市民のプライバシー等を奪う愛国者法や国家権限法などが相次いで導入された。国家安全保障局(NSA)による大規模情報収集が始まり、大統領がNSAに対し個人の電話の盗聴を極秘裏に承認していたことも明らかとなった。ボストンマラソンテロ、パリテロなどを経て、国家による個人の監視と、憲法で保障された個人の自由やプライバシー保護の戦いは現在も続いている。


2007年の金融危機に続く大不況の中、政府は破綻しかけたウォールストリートの金融機関を救済措置として7,000億ドルもの国家予算がつぎ込まれたが、同じころ、ミシガン、オハイオ、ウィスコンシン、インディアナ州など複数の州で、財政危機を理由に公務員の団体交渉権を奪う州法や、労働組合をつぶす法律が相次いで制定された。州議会の議事堂が、反対を唱えてデモする人々で埋め尽くされた。このような州法の導入は、財政問題の解決とはまったく関係ないにもかかわらず、火事場泥棒的に労働者の権利を奪う、まさにショック・ドクトリンだ。


外交はどうだろうか。好戦的なネオコンを後ろ盾にしていたブッシュ政権に比べて、民主党オバマ政権が人権擁護、民主的、反戦的だったかというと必ずしもそうは言えない。


オバマ政権は、イラク・アフガニスタン両戦争の泥沼からの撤退を何とか実現した。しかし、2011年からチュニジア、エジプト、リビア、シリアなどアラブ諸国で巻き起こったいわゆる「アラブの春」では、混乱に乗じて民主化を支援する戦略に出た。独裁政権下で抑圧されてきたアラブ諸国の市民の自由や人権を取り戻すための民主化運動への支持が名目であった。


だが、国務長官だったタカ派ヒラリー・クリントンはリビアに軍事介入し、カダフィを殺害させた。その結果もたらされたのはリビアの混乱、政府と反政府組織の対立の激化、その対立に便乗したイスラム過激派の勢力拡大だった。エジプトやシリアでも同様である。


ネオリベラルの外交政策は、人権擁護や民主化支援に名を借りた他国への政治介入、そして、その後に続く終わりの見えない軍事介入だ。他国に対して行われるショック・ドクトリンである。


また、オバマ政権は、経済分野において究極的な巨大資本の優遇政策であるTPPの導入を推進した。これはショック・ドクトリンというよりは、むしろ全てが密室で企てられたシークレット・ドクトリンだ。TPPは単なる貿易協定ではない。TPPは、非民主的な政策決定プロセスにより、環境・健康・労働者の権利よりも企業利益を優先するルールを制定し、国家主権の弱体化と巨大資本による世界の経済支配を可能にする一大改革である。


ショック・ドクトリンは、権力者が権力を強化し、弱者である市民を更に締め付ける政策を、どさくさに紛れて行うという卑怯極まりない手法だ。このような政策・国家戦略が国内外で行われるのを目の当たりにし、痛い目に合わされてきたら、国民は怒りを覚えないはずがない。むしろ、いい加減に“目覚め”ないほうがおかしいだろう。


■誰も予測できないトランプやサンダースのアメリカ


エスタブリッシュメントによる政策・国家戦略と、それを実行するためにエスタブリッシュメントが擁立する大統領。このようなアメリカ政治の本質を国民は理解し始めている。トランプ氏とサンダース氏は、まったく異なるバックグラウンドや思想を持つが、“打倒エスタブリッシュメント”では一致している。


反戦主義者のサンダースは、過去にはイラク戦争に反対票を投じた。軍事介入はしないだろう。もちろんTPPには反対だ。大口ドナーに頼らない、平均27ドルの草の根選挙キャンペーンは留まるところを知らない勢いだ。


政治に素人のトランプは、過激で偏狭な、趣旨一貫性のない暴言も繰り返しているが、突き詰めてゆくと、「独善的な不干渉主義」だ。アメリカに手出しをするやつは許さない、徹底的に制裁を加えてやる。ただし、不必要な軍事介入や他国への無駄な干渉はやらない、という態度だ。


だから、経済大国の日本を守る必要はない、在日米軍は撤退させる、などとという話にもなってくる。荒唐無稽に聞こえるが、それはエスタブリッシュメントにとっては荒唐無稽ということだ。無論、在日米軍は日本を守るためというより、アメリカの軍事作戦のために存在するので、トランプの一声で撤退できるものでもない。しかし、それが米軍の世界展開の見直しの一環だというのであればまったく筋が通ってない話でもない。


要するに、サンダースは党内のネオリベラルを、トランプはネオコンを排し、両者共にエスタブリッシュメントが描いてきた国家戦略を破壊しようとしている。サンダースは「これはアメリカ政治の革命だ」と訴えているが、まさにその通りである。


ただし、破壊した後の世界のことは、おそらく候補者本人も支持者たちも、誰も予想していない。できない。


サンダースが大統領になったら「国民の国民による国民のための政治」が行われるなどと考えるほど支持者たちもナイーブではないだろう。また、トランプに熱狂的な支持者たちも、大多数は政策のことなど深く考えず、溜まりにたまっている既成政治への鬱憤を晴らしているだけの愚衆かもしれない。


だから、サンダースやトランプの予想外の善戦をもって、アメリカ国民の覚醒と結論付けるのはあまりにも拙速だ。


しかし、今回の大統領予備選で、二大政党の中からそれぞれネオコン、ネオリベラルと袂を分かつ勢力が現れ、本家本元を脅かしているという事実と、「エスタブリッシュメント」対「非エスタブリッシュメント」という戦局が生まれたこと自体、決して看過できないアメリカ政治の変化であることは間違いない。


これまではごく一握りの国民にしか見えていなかった民主主義国家アメリカの虚像が、一般大衆の目にも映るようになった、トランプ・サンダース現象は、そのことを表しているではないかと思うのである。





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posted by Oceanlove at 07:18| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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