南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(1)
南アフリカの民主化とF.W.デクラークの功績 その(2)
の続きです。

南アフリカ共和国元大統領フィレデリック・W・デクラークは、後にこう語っている。
「(隔離政策に)このまま永久にしがみついているわけにはいかない。武力闘争に勝者はいない。私が決断すべきことは、パラダイム(一時代の支配的な考え方や方法論)を変更するか否かということであった。そして、私はその決断をしたのだ。」
デクラークのバックグラウンドからは、彼がアパルトヘイト撤廃を決断する大統領になるなどと誰が想像できただろうか。前述したとおり、デクラークはかつては隔離政策の信奉者であり、「(黒人と白人の)それぞれの発展」もしくは「異なる二国家の成立」を支持していた。デクラークの出身地トランスバール州は保守的な地盤であり、彼は所属するNational Party(国民党)の中でも保守派である。デクラークが有力者であることは間違いなかったが、改革者というではなかった。
しかし、80年代前半には、デクラークはすでに気づいていたという。「それぞれが発展」するには南アの白人社会と黒人社会は相互に依存し過ぎていたこと、白人たちはあまりに多くの利権を手放そうとしていないこと、そして、アパルトヘイトに国の将来がないことに。しかしその彼も行動を起こすまで、彼自身が権力のトップに立つ1989年まで待たねばならなかった。
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