7月初旬、家族での登山に出かけた。場所は、カリフォルニア州北部、シエラ・ネバダ山系のPlumas National Forest に点在する、スミス・レイク、ジャミソン・レイクなど複数の湖をつなぐ縦走コースだ。標高は最高点で2200メートル、3泊4日で約20キロを歩いた。
天候、歩行距離、難易度、景色、野営に好都合な環境など、全てに恵まれた。コースについては事前に調べて行ったが、ヨセミテのような観光地とちがって詳細な情報が無く、果たして子連れでの登山に向いているかどうか、水の補給は十分にできるか、雪は解けているかなど、少々不安があった。
アメリカには、広大な自然の中に登山道は無数に存在するが、バックパッカー(登山者)の数は相対的に少ない。日本では要所に置かれている山小屋のようなものも無く、情報は必ずしも充実していない。登山前に、管理事務所で、「雪がどれくらい残っているか帰りに教えてくれ」と逆に頼まれて、驚いた。
すれ違う登山客はほとんどいない。今年は夏に入ってからも気温が低めで、2000メートル以上ではまだ雪がかなり残っている。濃い緑と残雪の白のコントラストが眩しく、湖を見下ろす眺めはまさに絶景だ。日中は27度くらいまで気温が上がり、ザックを背負って歩いていると汗だくになった。湖に飛び込んだら、ひんやりとさぞ気持ちがいいだろう、と意を決して実行したが、雪解け水は冷たすぎて、皆すぐに飛び出てしまった。
夜は湖畔にテントを張り、石で囲ってかまどを作りキャンプファイアーを焚く。私たち家族以外は誰もいない。夜、テントの中で聞こえるのは風のうなりと小動物の鳴き声、まさに大自然のただ中だ。
子供たちも、前回よりしっかり歩いた。愛犬ラナも自分用の食料を背負って小走りについてくる。今後の課題は荷物をもう少し軽くすること。谷川で補給できる水(ろ過して使う)以外は全て担いでいかなくてはならない。4人分の4日間の食料となると、半分くらいフリーズドライにしても、かなりかさばり重い。
子供たちのザックは、各自寝袋とマット、着替え、雨具、ライト、水筒、おやつなど基本のものだけで精一杯の重さになる。大人二人で、テント二つ、食料、なべやコンロなど調理器具、ロープや非常用の道具、救急箱、非常食、カメラ、電池類・・・もちろん可能な限り軽量のものだが、これらを分担すると、夫のザックは25キロ、私のも20キロ以上になった。足腰よりも、肩にずっしりとこたえる。
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日が沈み、一家4人、黒々とした山と湖に囲まれる。じっと眺めていると、底なしの闇に吸い込まれそうになる。夏山とはいえ、何かが起きて助けを呼ぼうにもすぐには呼べない、そんな幾ばくかの緊張を感じずにはいられない。自然の圧倒的な凄さと、計り知れなさがひしひしと迫ってくる。
そのせいか、普段あまり使われていない体内の本能的な感覚が目覚め、思いは果てしなく広がってゆく。例えば、かつてこの大自然を住処としていたネイティブ・アメリカンの暮らしはどんなだったのだろうかと。衣食住の確保も部族の繁栄も、全てが自然との共存の中にあったのだろう。そして、きっとこの昼の日差しと夜の暗闇の対照のように、生と死が隣り合わせる日常だったのだろう・・・。
月明かりに照らされる黒い湖と、その水面を吹き渡る風の音を聞きながら、私の思いは歴史のいくつものページを飛ぶようにさかのぼり、悠久の人類の生命を辿る。私たちの祖先が居住していたのは、もしかしたら灼熱の砂漠だったろう。あるいは熱帯の森林、川ベリの平原、あるいは険しい山岳地だったかも知れない。どこであろうと、人類の営みは大自然の中でのサバイバルだったのであり、その中で、私たちの命は今日まで繋いでこられた。そして私の思いは、自ずと自分が今この瞬間ここに存在することの不思議に行き着く。気の遠くなるような奇跡的な命の連鎖と、社会の発展と、科学技術の進歩の末に、自分がここに存在していることの不思議に。
さらに考える。今私が見ている絶景は、何千年も前のバッファローの毛皮を身につけたインディアンが見たものと、おそらく大きくは変わっていない。しかし、彼らの生活がこの自然の中で完結していたのに比べ、現代人の私は、ここでは登山用の軽量テントやダウンの寝袋やフリーズドライの食糧無しには、数日と生存できない存在だ。そして、私の存在は、下界に置いてきた多くの複雑極まりないものごと−日常生活や社会とのつながり−から、決して切り離すことはできない。
それは例えば、日々の家計のやり繰りや職場での任務であり、国の政治や経済活動であり、天災や戦争や環境汚染であり、家族や友人や地域社会とのかかわりであり、子どもを生み育てることであり、病との闘いであり、老いることであり・・・現代に生きる私たちは、おびただしいこれらのものごとにがんじがらめになって、一日たりとも逃れることはできない。これらを引き受けなければならない重圧は、生を受けた瞬間から死の床に至るまで、いやおうなく私たちにのしかかっている。
そんな日常の喧騒を離れ、つかの間自然を堪能し、自然への驚異なり畏敬の念を抱いて、またもとの場所へ帰っていく登山客の私。
人はなぜ山に登るのか、という問いがあるが、私が、うっかり足を滑らせて谷に転がり落ちても誰もすぐには助けに来てくれそうもない山奥まで汗を流して登ってきたのはなぜかといえば、そうしてこそ得られる特別な喜びや満足感を求めているから、だろう。
だが、今回歴然と気付かされたことがある。それは、こんな登山も、他のどんな旅行やお手軽ツアーと、実は一寸の変わりは無いということだ。普段肌身離さない携帯やパソコンのみならず、煩わしいものを全て下界に置いてきたつもりが、たった4日間でさえも、私は少しも自由にもなれなければ解放もされなかった。その証拠に、下界の暮らしの象徴である20キロの重み−必要最小限だけれど、現代人の私がここで数日滞在し、その峰の雄々しく美しい景観に魅了されるためには絶対不可欠な登山の装備−がずっしりと肩に食い込んでいる。
そして同時に気付かされたことは、いざこの自然が牙を剥いたとしたら、どんなに重いハイテクな装備でさえも私を守ってはくれないという予測の確かさであり、自然に対峙する人間の本質的な無力さだった。
たかが子連れの山登りで大袈裟な、と言われるかもしれないけれど、そんな自らの無力ささえ、私は日常忘れている。忘れるのはいともた易い。下界では、自らの本質的な無力さを忘れた人間集団が、自然を都合よく利用し、かき乱し、破壊しつくそうとしている。破壊し、犠牲にしているものの対価にも鈍感になった私たちは、健忘と愚の結集を、科学技術という英知への称賛で置き換えることまでをも平気でやってのける。
けれど、おそらく・・・。満月に近い月が高さを増していくのを見上げながら思う。そんな計り知れない犠牲をもってしても、皮肉なことに現代の私たちは、同じ月を見上げていた大昔の人々より、ほんの少しも自由ではなく、少しも苦悩が軽減されたわけではなく、少しも余計に幸福になってはいないのではないだろうか・・・。
そんな人間が、便利な登山グッズを背負い、何かしらの満足感を求めて山に登る登山という行為は、どこか滑稽だ。だが、山は旅人を拒まない。いつも変わらぬ佇まいで、その大らかな懐に私たちを迎え入れてくれる。人は山に魅せられ続け、懲りもせず一歩一歩土を踏みしめて登る。私も、また体力の許す限り登りにいくだろう。自然の美に眼を潤し感動すること以外、何も深い意味など求めはしない。
でも、こうも思う。もし登る度に、普段忘れているものを思い出すことができるのなら・・・眠っている感覚を目覚めさせ、研ぎ澄ませて、自然と人間のあるがままの姿を感じることができたら・・・、もしかしたらそれこそが人間の本物の英知の源となり得るではないか、と。