2011年03月29日

福島原発−海外在住の日本人の思い

前回の記事「福島原発−国家的危機に私たちがしなければならないこと」の中で、

・原子炉で核燃料溶融が進むと、放射能の広域汚染の可能性が否定できないこと
・放射線量の検出では、毎日の測定値は極微量でも、長期間の被曝が健康に及ぼす影響を考えるべき


という趣旨の記事を書きました。それに対し、

「(人々が)どのくらい怖がっているか、来てみないと分からない」
「こういった情報には非常にナーヴァスになっている」
「地獄へ落とされる気持の人もいる」

というご批判をいただきました。

私はアメリカ在住です。確かに、私の記事は、放射能の脅威のない場所にいながら、人事のように書いたと受け取られても仕方がないかもしれません。日本国内では、原発事故に関してニュースや週刊誌などで憶測や恐怖を煽り立てるような情報が飛び交い、人々は大きな不安に駆られています。記事では、既に多くの人々が不安に思っておられることを、無神経に繰り返すような形にもなってしまいました。気分を害された方、更に落ち込んでしまわれた方々にお詫びを申し上げます。ブログの記事に寄せていただいたご意見、ご批判は、全て謙虚に受け止めてまいります。


さて、前回の記事の中に次のように書いた部分があります。

私たちは国家的危機に直面しています。(中略)私たちは政府の情報を鵜呑みにして行動するわけにはいきません。かといって、いったい事実はどうなっているのか、何が正しいのか、判断するのは難しい状態です。自ら、自分や家族、周りの状況を考えて、重大な判断をするべきかもしれません。(中略)取り返しのつかないことになってからでは、いくら政府を責めても無駄です。一人一人が、己の信念に基づいて覚悟を決めなければならない事態になっているのかもしれません。

この部分について、言葉が足りず、真意が伝えられなかったように思います。今回、ここで補足させていただき、このようなことを書いた私の心境について書かせていただこうと思います。


🎨海外在住の日本人の思い
震災が起きてから、私たち在外の日本人もみな心えぐられるような思いでテレビ画面を見つめてきました。現地に飛んでいって被災した人々を助けたい、何かできることがあれば・・・そういういても立ってもいられない気持ちは、日本にいる人々と変わりはないと思います。

こちら(アメリカ)にいる日本人同士、連絡を取り合い、日本にいる家族の安否を確認しあい、情報交換をしてきました。遠くにいるもどかしさに苛まれながら、そして平常の生活を送っていることへの罪悪感と折り合いをつけながら、でも何かせずにはいられずに、支援活動などを始めています。

原発の懸念が高まったとき、ある友人から「ご両親を呼寄せたら・・・」というメールをいただきました。こちらの日本人はみな一度は同じことを考えたと思います。私も両親に一度だけ、こちらへ避難したらどうかと話をしました。でも、予想通り、両親はそういうわけもいかないよ、と言葉を濁しました。説得を試みることもできたかもしれませんが、両親の答えは分かっていましたのでそれ以上何も言いませんでした。

長年住んだ土地、家族、高齢の兄弟姉妹たち、大切な友人たち、そんな周りの人々をおいて、自分たちだけアメリカになど絶対にくることはないと、分かっていました。困難な事態になったとしても、それが両親の選択であり、私などが言うまでもなく、彼らなりの覚悟を決めているということです。その上で、両親は祈り続けているといっていました。二人とも、断食までしました。

もし、私たちが日本にいたらどうしていただろうか、あるいはもしアメリカの私たちの近くで原発事故など同様の事態が起きたらどうするだろうかと、考えました。当然、より正確な情報をつかもうとするでしょう。あらゆる事態を想定するでしょう。でも、政府や原発専門家がなんと言おうと、いくら情報を集めて分析しようと、一般市民の私たちにはすべてを把握できる術はありません。100%頼りになるものなんて何もない中で、いったい自分はどのような選択をするでしょうか?

万が一を考えて、避難ができるならするかもしれませんし、子供たちだけでも安全な場所へ送るかもしれません。いえ、そんな「選択」することさえできずに、なるようにしかならない、という状況におかれるかもしれません。誰にとっても、これが正解というのはなく、最終的には、心鎮めて、自分と家族で決めたことを信じて、覚悟を決めるしかないのではないでしょうか。「自ら、自分や家族、周りの状況を考えて、重大な判断をするべきかもしれない」「一人一人が、己の信念に基づいて覚悟を決めなければならない」と書いたのはこういうことです。

もちろん、覚悟を決めるというのは、諦めるということではありません。それぞれのおかれた場で困難に立ち向かう決意をするということです。最悪の事態が避けられても、困難な事態は続くでしょう。被災した人々への支援、日本全体の復興、原発問題、将来のエネルギー問題、それには、人々が英知を働かせて、立ち向かっていかなければなりません。

それならば、私はここにいて、私にできることをするほかはないと思いました。このブログで、情報を発信することも一つ、被災者支援のための募金活動などもその一つです。また、日本の両親の選択を尊重し、私なりに受け止めなければなりません。それも、受動的ではありますが私にできる選択です。

そして私も、心を合わせて懸命に祈ります。私は、放射線の脅威にこそ晒されてはいません。でも、どこに在住していようと、私は日本人です。在外の日本人の多くが皆そうであるように、遠くにいるからこそ、日本を思う気持ち、故郷を愛する思いは人一倍持っていると自負しています。遠く離れていようとも、いかなる立場にいようとも、人々の力を信じて、日本の復興を信じて、自分にできる行動をするだけなのだと、改めて思っています。


posted by Oceanlove at 05:34| 震災関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月22日

福島原発−国家的危機に私たちがしなければならないこと

日本中を、そして世界中を悲しみに包んだ東北関東大震災。犠牲者の方々に心からお悔やみを申し上げるると共に、被災されている方々に一日も早い支援の手が差し伸べられますことを心より願うばかりです。

福島第一原発は、予断を許さない状況が続いています。様々な情報が錯綜し、政府や電力の会見では、いったいどこまで明らかにされているのか、実際には何が起きていて、今後どんな状況になる可能性があるのか、私たちには知る良しもありません。ここに、分かる範囲で調べたことを記録しておきます。そして、私たちにできること、しなければならないことを考えました。

🎨原子炉で何が起きているか?
今後の懸念の一つは、燃料ウランが溶融して再臨界(再び核分裂を行う熱量レベル)に達してしまう可能性がどれくらいかということです。炉心温度が高まり燃料を覆っている被覆管が破損し、燃料ペレットがおちてきて集積して底に溜まった時の形状が、一定条件下(臨界量以上の塊となり、周りを飛び回っている中性子が壁に反射したりして核連鎖反応を引き起こすなど)で、再臨界に達する可能性は、否定できないようです。

二つ目は、再臨界に達しないとしても、燃料が溶融し圧力容器を破損して外部に漏れることはないかということです。1・2・3号機では、原子炉内部の温度がどれくらいなのか不明です。燃料を覆っているジルコニウムという金属は500度で水蒸気と反応し水素を発生し始めます。そして、1200度でジルコニウムが溶け、それが圧力容器や格納容器を破損し、外部の水分と反応して水蒸気爆発を起こし、それが放射線を大量に拡散する可能性があるのです。

三つ目は、放射性物質をどこまで閉じ込めておくことができるかです。既に、水素爆発や圧力を下げるための措置で放射性物質を含んだ蒸気が外部に漏れています。格納容器の耐圧は4−8気圧、内側の核燃料が入っている圧力容器は80気圧にも耐えられるといわれています。しかし、上記の再臨界や燃料の溶融による破損、水蒸気爆発が起きれば、放射性物質をここに閉じ込めておくことはできなくなり、放射能汚染が広域に広がります。

🎨海水注入や放水による冷却は正しいか?
現段階で一番の懸念は、3号機の使用済み核燃料プールの水位が低下して温度が上がっていることです。ここにヘリで散水したり、高圧放水車で水をかけたりしている模様ですが、必ずしも最善の対処ではないとの懸念もあります。高温状態の燃料棒に急に水をかけると、台所で空焚きしたところへ水をかけるとジュッと水蒸気が飛び散るように、水蒸気の圧力で燃料棒が崩れる可能性があるのです。燃料棒が崩れて底に溜まるようなことにあると再臨界の可能性が出てきます。

東電は、電力の供給停止により冷却システムを稼動することができなかったため、当初から海水の注入を始めました。冷却が必要だということで海水を使ったわけですが、そもそもこれが大きな間違いだと指摘もあります(参照)。高熱の炉心に海水をむやみにかければ、水蒸気が発生し、その後に残るものは塩です。かければかけるだけ塩が溜まり、そこには水が流れなくなり冷却はできなくなるというのです。

今回の原発事故の発端は、冷却装置、非常用発電機とその燃料タンクが津波でさらわれてしまったことです。つまり、安全の命綱である冷却システムを、津波で洗われるような場所に、すべて設置してあったことが問題だったのではないでしょうか。地震と津波に襲われる頻度の高い日本の原発で、100%事故が回避できる設計になっていなかったことは、今後大きな責任問題となっていくでしょう。

政府や東電の会見では、日本の原発は、チェルノブイリの原発とは、原子炉の設計が全く異なるので、心配はないと言い続けています。確かに、炉の設計についてはそうでした。が、冷却が進行せず、放射性物質を完全に閉じ込められていない状態、燃料の溶融や再臨界が起こりうる予断を許さない今の状態は、チェルノブイリが起きる可能性がまだあるということです。在日外国人が出国を始めました。各国大使館が、国民の帰国を勧めているのはその危険性のためです。アメリカでは福島第一原発から半径80キロ圏内の国民に避難指示が出て、横須賀の米軍基地の家族を帰国させています。

その可能性について、日本政府は確かな事実を伝えていないのではないかという不安の声が沸きあがっています。しかし、いずれにしても、現場の正確な状況や数値が把握できていないことにより、100%予測することは困難であるというのも事実のようです。

🎨放射線量の検出について
現在、各地の放射線量が一時間おきに測定され、発表されています。ニュース報道では、観測されている放射線は健康に害のないレベルだと繰り返し言われています。例えば、18日、比較的高い数値の見られる茨城県では毎時1.03μシーベルト、都心では毎時0.05μシーベルトなどとなっていました。これは極微量で、これだけでは人体に影響の出る値ではありません。

でも、気をつけなければならないのは、これは一時間あたりに出ている値です。被曝は、放射線を浴びた総量、蓄積量です。もし、日常的に1.0μシーベルトの放射線のある環境で一年間生活するとしたら、単純計算で24時間x365日=8760倍、8.76シーベルトが蓄積されます。一年間に、自然に浴びて害なしとされている放射線量は1〜2ミリシーベルトですから、既にこの4〜8倍です。

18日に原発から30キロの地点では150μシーベルトが記録されていました。その場所に居続ければ、24時間で3.6ミリシーベルト、2ヶ月近くで200ミリシーベルトを越えます。200ミリシーベルトは、人体に危険なレベルです。200ミリシーベルト以上の被曝については、被曝線量と発ガンの確率が「比例」していることが分かっています。

ニュースでは、人の衣服の周りをカウンターのようなもので測定している画像が出ますが、これはその時に衣服についている放射性物質の量を図っているだけで、本人がどのくらい被曝したかということとは無関係です。

また、皮膚を通した体外被曝だけでなく、呼吸や経口で体内に取り込まれた放射性物質による「体内被曝」もあります。衣服や皮膚についた放射性物質は、洗い落としたり除去することも可能ですが、体内被曝は放射性物質が体内にある限り続きます。

🎨私たちにできること、しなければならないこと
私たちは国家的危機に直面しています。日本政府にできることには限度があり、その対応は私たちを安心させてくれるものではありません。私たちは政府の情報を鵜呑みにして行動するわけにはいきません。かといって、いったい事実はどうなっているのか、何が正しいのか、判断するのは難しい状態です。自ら、自分や家族、周りの状況を考えて、重大な判断をするべきかもしれません。

自力で避難できる人もいるでしょうし、避難したくても様々な事情でできない人もいるでしょう。自分さえよければいいなどとは思えない、だからここに留まる、そういう考え方もあるでしょう。取り返しのつかないことになってからでは、いくら政府を責めても無駄です。一人一人が、己の信念に基づいて覚悟を決めなければならない事態になっているのかもしれません。

福島原発に関して、今の時点で私たちにできるのは、臨界が起こらないこと、チェルノブイリのような広域放射能汚染が起きないことを祈ることくらいです。現状維持でいてくれれば、電力が回復すれば炉心冷却が進むかもしれません。それでも、爆発でいろんな部分が破損したり、強い放射線のために作業は困難を極めるでしょう。いずれにしても数年かけて炉心の熱が下がっていくのを待つしかありません。

しかし、今、そしてこれから、私たちが日本人として真剣に考えなければならないことはたくさんあります。今後、福島県一帯は、大気・土地・海洋の放射能汚染で、居住も農業漁業などの経済活動も長い年月できない恐れがあります。福島の人々の避難生活、将来のすべてのことは彼らだけの問題ではありません。そのことについて、私たちはどう長期的に対処し、助け合い、この地域のそして日本全体の復興に取り組めばよいのか、考えなければなりません。また、政府が放射能汚染地域と被害をこうむった人々に、政府としてどのような決断と対処をしていくか見守り、声を上げていかなければなりません。そして、もっとも重大なことは、原子力発電の安全性の検証をすること、将来の日本のエネルギー問題について、一人一人が真剣に考え、議論に備えていかなければなければならないということです

現在も、決死の覚悟で冷却作業を行い、電気システムの復旧作業をされている技術者、自衛隊、消防隊、警察官らのすべての関係者の安全と健康被害が最小限にとどめられるように、そして彼らの努力が報われ、原発が一刻も早くコントロール下に置かれるよう、心から祈るのみです。
posted by Oceanlove at 06:59| 震災関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月27日

衰退へ向かうアメリカ その(2)  オバマ政策と2012年度予算案


この記事は、前回の衰退へ向かうアメリカ その(1) 大統領演説と「丘の上の町」の続きです。

前回の記事では、17世紀の清教徒ジョン・ウィンスロップによる「全ての人々の目が注がれる丘の上の町」、ジョン・F・ケネディとロナルド・レーガンによって引用された「輝ける丘の上の町」、そして、今年1月オバマ大統領の一般教書演説で使われた「世界の光」という言葉を紹介しました。これらは、アメリカ建国の精神であり、「進歩と自由と民主主義」の象徴として現代に生き続ける国民的信仰とも言えるものだということを述べました。

筆者は、オバマ大統領が使った「世界の光」という言葉に強く引っかかっています。今日アメリカは様々な国内・外交問題を抱えています。景気回復の兆しはあるものの高い失業率と過去最大の財政赤字、中国やインドなど新興国の台頭、中東・アラブ地域における民主化の動き・・・覇権国アメリカの地位を揺るがすような大きな変動が、今まさに起きています。そんな中、オバマ大統領はアメリカが「世界の光」であり続けられるかどうかは、我々の手にかかっている、つまり、いわゆるねじれ状態の連邦議会にあって、どこまで民主・共和両党が協力して法案を通過させ、政策を実行し、苦難を乗り越えていくことができるかにかかっていると言っているのです。

「世界の光」という言葉は、いったいどのような意図をもって使われたのでしょうか?世界最強の大国の地位を保ち続けるということなのでしょうか?今回は、アメリカがどのような方向に向かおうとしているのか、どのような政策を実行しようとしているのかを探ってみました。具体的には、オバマ大統領の一般教書演説で掲げられた政策目標(オバマ政策)と、その実行のため予算が、現在連邦議会で議論が進行中の2012年度連邦予算案にどのように反映されているのかを中心に見ていきたいと思います。

🎨現代版スプートニク
オバマ大統領は、一般教書演説の中で、冷戦時代の敵は旧ソビエトだったが、今日の敵は中国やインドなどの新興国であり、これまでのやり方では競争に勝てなくなってきているとして、アメリカの経済大国としての地位が揺るがされている現状に大きな危機感を示しました。そして、“ゲームの途中でルールがすっかり変更になって戸惑っている”多くのアメリカ人に対し、歴史を振り返り、アメリカはこれまでも数々の困難を乗り越え未来を切り開いてきたという精神を説いています。

そこで取り上げられたのが、約半世紀前、旧ソビエトがスプートニクという名の世界初の人工衛星の打ち上げに成功し、宇宙開発競争で宿敵に遅れをとった苦い出来事です。当時、NASAはまだ立ち上げられておらず、どうやってソビエトに追いつき追い越すか、暗中模索でした。当時のケネディ大統領は、「10年以内に人類初の月面着陸を成功させる」という大目標を掲げ、宇宙開発事業の国家的プロジェクトを立ち上げ、その研究と技術開発に大規模な投資を行いました。

その結果、アメリカは旧ソビエトを凌ぎ、1969年〜1972年の6回のミッションで人類初の月面着陸に成功し、大目標を達成したのです。そればかりではなく、そのプロジェクトは新たな大規模産業と多大なる雇用をももたらしました。オバマ大統領は、新興国と経済大国の座を争う現在の状況を、かつての宇宙開発競争に例えて、現在我々は「現代版スプートニクの瞬間」にいると述べたのです。

オバマ大統領のスピーチは、アメリカ国民に今一度「建国の精神」を呼び起こさせて勇気づけ、共にがんばって自らの手で将来を勝ち取ろうという、いかにも一国のリーダーらしいメッセージでした。では、現代版スプートニクの瞬間にいるアメリカに課せられた課題とはいったいなんでしょうか?いわゆるオバマ政策は、演説中の次の一文に凝縮されていました。

We need to out-innovate, out-educate, and out-build the rest of the world. 
我々は、革新競争に勝ち、教育で勝ち、建設競争で世界に勝ち抜いていかねばならない。


すなわち、オバマ政策とは、
•  クリーンエネルギー分野の技術革新
•  教育改革
•  道路整備や鉄道建設事業における雇用拡大

の3つを柱とする政策です。その上でオバマ大統領は、Win the Future(未来を勝ち取ろうではないか)という言葉を演説中で11回も使い、これらの政策の実現が、アメリカの再生と輝かしい未来に繋がることを強調しました。

オバマ政策の目玉ともいえる「クリーンエネルギー分野の技術革新」と「道路・鉄道整備事業」とはどんなものか、また、それらが2012年度予算案の中でどのような位置づけとなっているか、以下に簡単にまとめてみました。

🎨クリーンエネルギー分野の技術革新 
オバマ大統領が掲げた「80%をクリーンエネルギーに」 は、2035年までに、国内で消費する電力の80%を太陽光、風力、原子力、天然ガスなどを含むクリーンエネルギーでまかなうという大胆なエネルギー政策です。この実現を目指すため、エネルギー省予算案は、現状より12%増加の295億ドルが提案されました。そのうち、クリーンエネルギー関連のR&D(研究開発)費用には、129億ドルが当てられています。

クリーンエネルギー政策の最大の鍵といわれているのが、「電力貯蓄技術」と「スマートグリッド(費用対効果にも優れた電力の安定供給システム)の開発」で、世界の研究者たちが研究開発に凌ぎをけずっています。オバマ政策には、研究者たちがチームワークで技術革新に取り組めるように、国内のクリーンエネルギー技術開発の「ハブ」(拠点)を、現在の3箇所から6箇所に増やす計画が盛り込まれ、そのための予算として、省全体の予算のうち1億4600億ドルが当てられています(参照)。

エネルギー省では、既にクリーンエネルギーの技術革新のためのハブ構想に既にいくつか着手しています。例えば、ウィスコンシン州マディソンのウィスコンシン大学に設置されたバイオエネルギー研究センターは、政府主導で推進された施設で、ミシガン州やアイオワ州の大学と共同でバイオエネルギー研究が進められています。このような「ハブ」は、電力貯蓄やスマートグリッドの技術革新プロジェクトに、大学だけではなく地元の技術関連企業や国立の研究機関が共同で取り組む大規模な構想で、オバマ大統領は、これを「現代のアポロ計画」と呼んでいます。

また、クリーンエネルギー政策の一環として、原子力発電関連予算を現状の185億ドルから約2倍の360億ドルに引き上げました。連邦政府のローンなどと合わせ、新たな発電所を6〜8基建設することが見込まれています。

🎨百万台の電気自動車
オバマ大統領は、「2015年までにアメリカで世界に先駆け百万台の電気自動車を走らせる」という目標を宣言しました。この目標達成のために提案されたのが、電気自動車を購入すると7500ドルのリベート(払い戻し)が得られる仕組みです。これまでは電気自動車を購入すると税控除が得られる仕組みでしたが、リベートは購入時点で還元されるので、消費者にとってより大きなインセンティブになります。

「2015年までに電気自動車百万台」は、現実的には様々な面でハードルは高いのが現状です。例えば、価格面でハイブリッドのプリウスが23,000ドルに対して、電気自動車のVolt(GM)は40,280ドル、Leaf(日産)は32,780ドルです。アメリカにおける電気自動車市場は昨年スタートしたばかりで、合計で700台あまりを販売したに過ぎません。

オバマ政権は、これまでも電気自動車の研究開発・製造・市場整備に意欲的に取り組み、財政投入と共に燃費基準の引き上げなどの改革を行ってきました。2009年から施行されている景気刺激策にも具体的な支援が含まれています。例えば、全国3箇所の電気自動車製造工場の建設費として24億ドルを貸し付け、電気自動車用バッテリーやモーターなどの部品の複数の製造工場に計20億ドルを交付してきました。これらの工場では、今年度中に5万個、2014年までには50万個のバッテリーの製造を予定しています。

また、7500ドルのリベートのほかに、自治体へのインセンティブとして、電気自動車の利用を促進する30都市に対し、都市整備やパワーステーション拡充のための補助として各1000万ドル、計3億ドルを支給することも計画されています。

クリーンエネルギー政策への重点的な財政投入に当たり、エネルギー省予算案では、その財源として、これまで続けてきた石油産業界への462億ドルに上る税優遇措置の廃止、無駄の削減、費用対効果の薄い政府の助成金制度などの廃止を提案しています。しかし、共和党を中心に、「石油会社への税優遇措置を廃止すると、ガソリン価格に跳ね上がって消費者の首を絞めることとなる」などとしてこの措置に反対しています。

🎨道路・鉄道整備事業による雇用拡大
さて、もう一つのオバマ政権の目玉政策が、道路や鉄道などの整備事業、つまり公共事業による雇用の拡大です。オバマ大統領は、「将来を勝ち取る」ためには、文字通り「アメリカを建て直さなければならない」と訴えました。つまり、アメリカ経済を立て直すためには、人やモノや情報の移動のための最速で最も安全な手段―つまり高速鉄道や高速インターネットが必要だというわけです。ヨーロッパ諸国や中国では世界最速・最新の鉄道建設が進む中、アメリカでは修理や整備の遅延が続く高速道路や橋、不便極まりない鉄道システムには何十年も手が入っていない状態です。しかも、建設業に従事する人々の4分の一が失業しているのが現状です。

オバマ大統領は、壊れかけた道路や橋を修復する仕事にもっと多くの人々を雇い、給与や民間投資を保証するなど、アメリカの衰退した建設業界に数千数万規模の雇用を生み出す21世紀型公共事業を倍増していく事を明言しました。更に、今後25年間で、80%のアメリカ人が高速鉄道を利用できるようにするという目標も掲げました。

そのために、道路・橋・公共交通機関および鉄道の整備事業に、6年計画で総額5560億ドルという過去最大の予算が提案されました。通常、国土交通整備事業は5年計画で予算が組まれ実施されますが、前回の予算(5年間で2850億ドル)が2009年で期限切れとなって以来、長期計画の予算は承認されてきませんでした。新たな6年計画では、初年度の2012年度に1280億ドルが見込まれ、州や自治体に配分して、すぐにも建設事業に着手できるように計画されています。530億ドルは高速鉄道の建設、また、300億ドルは交通整備事業銀行の設立基金に当てられ、高速鉄道建設事業に民間の投資家を呼び込む考えです。

🎨「アポロ計画」に匹敵する国家プロジェクト?
さて、オバマ政策の目玉である「クリーンエネルギーの技術革新」と「道路・鉄道整備事業」、そしてそこに投入された予算案をごく大雑把に見てみました。しかし、これら何億ドルという数字だけ見てみても、この財政投入額が果たして妥当なものなのか、多いのか少ないのか、筆者には分かりかねます。

例えば、クリーンエネルギー関連のR&D(研究開発)費用129億ドルというのは、果たしてクリーンエネルギー分野でグローバル競争に勝つために、十分な投資額なのでしょうか?また、1280億ドルの公共事業投資は、十分な雇用を確保し、アメリカ経済を立て直し経済大国の地位を保っていくために妥当な額なのでしょうか?また、これらの予算は、連邦予算全体から見て、どのくらいの割合を占めるものなのでしょうか?

そこで筆者は、オバマ政策とその予算案がどの程度の規模なのかを把握するために、過去の国家的プロジェクトへの投資額と簡単な比較をしてみました。敵に遅れをとり「現代版スプートニクの瞬間」にいるアメリカが、これから世界を相手を勝ち抜いていくための投資という筋書きにおいて、一つの指標となるのが、他でもないオバマ大統領が持ち出したNASAによる国家的プロジェクト「アポロ計画」です。

NASAは、1961−1972年の宇宙開発事業アポロ計画に総額250億ドル、2007年のドル価値に換算すると1360億ドルを費やしました。3万4000人のNASA職員に加え、関連企業や大学研究機関からの37万5000人に及ぶ人々が雇用される巨大プロジェクトでした。1966年のNASA全体の年間予算は最高額の59億3300万ドル(現在の価値で321億ドル)に達し、この年の連邦予算の4.41%という驚異的な割合を占めました。ただし、NASAが連邦予算の2%以上を費やしたのは1963年から69年までの7年間で、月面着陸成功以降は、対連邦予算比は僅かずつ減り続け、2000年以降は0.6−0.7%前後を推移してきました。2006年度の予算は151億ドル、対連邦予算比では0.57%とアポロ計画以降最小を記録しました(参照)。

さて、2012年度の連邦予算総額(オバマ予算案)は3兆7750億ドルです。ですから、エネルギー省全体の予算案295億ドルは、連邦予算全体の0.78%、クリーンエネルギー関連のR&D(研究開発)費予算案129億ドルは全体の0.34%ということになります。この投資額を大きいと見るか小さいと見るか。国家的プロジェクトと銘打っておきながら、あまり大きな額ではないのではないか、という印象があるかも知れません。しかし、先ほどのアポロ計画との比較では、NASA全体の予算が2000年以降は0.6−0.7%前後だったことを加味すると、クリーンエネルギーの新プロジェクトにかける予算配分はそれほど小さくはないのかもしれません。

一方、公共事業費のための予算案1280億ドルは、連邦予算総額の3.39%に当たり、これはかなりの巨額といえます。数字だけ比較すれば、1960年代半ばの最盛期のNASA最盛期の予算に匹敵する額です。アポロ計画は12年間で1360億ドル(2007年のドル価値換算)を費やしていますから、6年間で1280億ドルはその2倍の額です。国土交通関係の公共事業はもともと巨額の歳出ですが、2012年度予算は、前年の765億ドルに比べても68%増加しており、オバマ政権の強い意気込みが感じられます。

「クリーンエネルギー分野の技術革新」と「道路・鉄道整備事業」にかける予算は、アポロ計画との予算比較において、オバマ大統領自身が言うように「相当額の投資」であり、「アポロ計画」に匹敵する国家的プロジェクトと言ってよいのかもしれません。

🎨過去最大の財政赤字
しかしながら、オバマ大統領の果敢な予算案の前には、過去最大の財政赤字と議会の厚い壁が立ちはだかっています。オバマ予算案では、2012年度の財政赤字は、当初の予想だった1兆4800億ドルを上回る1兆6000億ドルと過去最大に達しています。背景には、昨年12月に期間延長された減税政策により税収増が見込めないこと、失業保険の支給増加や、退職を迎えたベビーブーマー世代の年金や医療が財政を圧迫し始めていることなどが大きな原因としてあります。

オバマ予算案はギリギリまでの歳出削減と一定の増税で、何もしなければ10年後には8兆ドルに膨れ上がる財政赤字を、14%減らすことができるとしています。これにより、来年度の財政赤字は1兆1000億ドルまで削減できるとしていますが、このうち4000億ドルは5年間の「裁量的予算」(この後説明)の削減によるものです。これによって、各種低所得者向け補助制度(約半分の25億ドルに減額)、コミュニティーサービスのための補助金制度(3億ドルの減額)や、州への下水処理・環境・森林事業への補助金カット、農家への助成金カット、大学院生向けローンの利子の増額など、国民の生活に直接影響を及ぼす様々なサービスが減額や廃止に追い込まれています。財政赤字の削減と、財政投資の両方が求められる中、2012年度予算案審議は、極めて難しい折衝となっています。

🎨天下の分かれ目の予算決議
ところで、少し横道にそれますが、アメリカの連邦政府予算の内訳について触れておきます。これを頭に入れておくと、各分野の予算の大きさがより把握しやすくなるかと思います。アメリカの連邦政府予算は大きく「必須予算」「国防予算」「裁量的予算」に分けられますが、総額3兆7750億ドルの内訳は以下のようになっています。

・必須予算(年金、社会保障、国債の利子など)・・・2兆6000億ドル(68.9%)
・国防予算・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7380億ドル(19.5%)
・裁量的予算(必須予算と国防予算を除いた全て)・・・・4370億ドル(11.6%)

必須予算のうち、Entitlement Programと呼ばれる年金・社会保障関連の予算は政府が個人への支払い義務を負うもので、それだけで2兆ドル、連邦予算の約60%を占めており、この部分は基本的に動かすことはできません。国防予算は、本来裁量的予算のうちに入るのですが、安全保障目的という性格上、議論を待たずに他の分野に優先される傾向を持ち、しかもその予算は断トツに大きいのでここではあえて分けました。従って、毎年の予算編成で大統領と議会が増額や減額を検討する余地があるのは、文字どうり「裁量的予算」の部分だけということになります。その額は4370億ドル、割合にして僅か11.6%です。その中に、医療(連邦予算の1.7%)、国土交通(1.6%)、教育(0.98%)、農業(0.52%)、商業、外交、・・・など全ての省庁の予算が含まれています。

大統領が、国家の将来をかけて投資するのに動かせるお金は、3兆7750億ドルの中の僅か11.6パーセント。それも提案をしても、議会で反対されれば妥協せざるを得ないというしくみの中で、一国のリーダーとしてどれだけの交渉や采配ができるかが問われているのです。こうした限られたパイをめぐる折衝という観点から見ると、先ほどの、連邦予算全体の0.34%を占めるクリーンエネルギー関連のR&D(研究開発)費予算案129億ドルや、道路・鉄道整備事業への投資額1280億ドルは、極めて大胆な投資額と言えると思います。

しかし、このオバマ予算案がそのまま議会を通ることはまずほとんどありえないといっていいでしょう。現在、この小さなパイをめぐって、財政赤字削減のための予算カットとオバマ政策への財政投資がせめぎ合い、民主・共和両党が激突する形となっています(共和党は、政府主導の財政投資には強い反対を示しています)。

3月4日の決議までに、各予算について両党の合意形成ができなければ、予算が議会を通過できない可能性が十分にあります。上院下院ともに民主党が多数を占めていた昨年の予算でさえ合意できずに、継続決議という形となりました。もし、決議できない場合は、連邦政府は運営費を失い多くの行政サービスが停止に陥ることになります。

さて、はじめに戻りますが、筆者はオバマ大統領の「世界の光」という言葉に引っかかり、これからアメリカはどんな方向に向かおうとしているのか、そのためにオバマ政権はどんな政策を実行しようとしているのかを見てきました。オバマ政策を一文で言えば、“We need to out-innovate, out-educate, and out-build the rest of the world” でした。予算案の話などは面白くなかったかもしれませんが、いかに感動的なスピーチで国民を励まし、自らの手で未来を勝ち取ろうと鼓舞したところで、予算がつかないことには何も実現しません。どんな政策も予算なしには絵に描いた餅でしかないということです。その意味で、2012年の予算決議は、オバマ政権にとって、そしてアメリカにとって、天下の分かれ目ともいえます。

次回へ続く・・・



posted by Oceanlove at 19:31| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

衰退へ向かうアメリカ その(1)大統領演説と「丘の上の町」


Wee shall be as a Citty upon a Hill, the eies of all people are uppon us” - John Winthrop, “A model of Christian Charity”, 1630.

「我々は、全ての人々の目が注がれる丘の上の町とならなければならない」−ジョン・ウィンスロップによる「キリスト者の慈善の模範」(1630年)より


1月25日、オバマ大統領の一般教書演説が行われました。「予算教書」「大統領経済報告」と合わせて三大教書と呼ばれる一般教書演説は、通常1月の最終火曜日に行われ、連邦議会議員と国民に向けて、国の現状についての大統領の見解や主要な政治課題について伝えるものです。約一時間に及ぶ演説の中で、各政治課題への具体的な提言とともに、時の政権が目指す大きな目標や大局的スロ−ガンが語られます。この、アメリカをどのような方向に導いていくのかという理念や大統領の抱負は、しばしば具体的な政策提言以上に重要でシンボリックな意味をもち、聴衆の耳を引き立てます。

大統領演説では、アメリカ歴代の大統領によって、その時々の時代背景や政治情勢を反映させた歴史に残る名スピーチが行われてきました。その大統領演説の中に、古くは建国の時代から今日に至るまで、脈々と受け継がれてきたものがあります。それが、冒頭のジョン・ウィンスロップによる有名な「全ての人々の目が注がれる丘の上の町」という象徴的なフレーズです。「丘の上の町」は、イギリスにおける国家的宗教弾圧を逃れて新大陸アメリカに渡った清教徒たちがつくろうとしていた「自由で公正な神の国」を表す比喩として用いられています。今回の記事では、「丘の上の町」をテーマに17世紀に遡る清教徒たちの(アメリカ建国以前の)建国の精神が、現代にどのように繋がっているかを見ていこうと思います。

🎨ジョン・ウィンスロップの「丘の上の町」
ジョン・ウィンスロップ(1587−1649年)は、清教徒の牧師で1620年から1640年の間にアメリカにわたったおよそ2万人の一人です。裕福な土地所有者で、初期の植民地マサチューセッツ湾岸州の初代総督に選ばれたのを含め以後も総督に12回選出されるなどリーダーシップを発揮しました。1630年、ウィンスロップは新大陸上陸前のアルベラ号上で「A Model of Christian Charity」と題する説教を行いました。その中で、「我々の目的は、神に対しいっそうの奉仕をし、キリストによる恵みと繁栄が与えられ、キリストによる救いを全うするという神との間の盟約に基づいて、神聖なる共同体を建設することである」と、新大陸における彼ら清教徒のビジョンを明確に述べました。

清教徒たちが求めていたものは、必ずしもイギリスの圧制からの開放だけではないと言われています。(参考:Gavin Finley, John Winthrop and “A City upon A Hill” )。彼らは、イギリスと袂を分かつのではなく、新天地アメリカで本国の手本となるような理想的な教会組織を建設しようとしていました。これによって、腐敗に満ちたイギリス社会を贖い、改革し、どちらの地においても、よきイギリスの復興をかなえることができると考えていたのです。つまり、全ての人々の手本となるような理想的で公正な社会を築くことを目指していたのです。ウィンスロップは、それを「これから築く新しい共同体は、世界中の目が注がれる丘の上の町である」と表現しました。その部分を、以下に引用してみます。(全文はこちらを参照)

wee shall finde that the God of Israell is among us, when tenn of us shall be able to resist a thousand of our enemies, when hee shall make us a prayse and glory, that men shall say of succeeding plantacions: the lord make it like that of New England: for wee must Consider that wee shall be as a Citty upon a Hill, the eies of all people are uppon us.

私たち10名が1000名の敵に対抗するとき、また神が私たちを誉れと栄光のものとし、後に人々がこれから建設される植民地について「主がニューイングランド(新しき英国)の植民地のようにつくられた」と言うようになるとき、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる「丘の上の町」とならなければならない(筆者仮訳)。


🎨新約聖書に語られる「世の光」
「丘の上の町」は、大元はというと、新約聖書の「マタイによる福音書」に記されたイエス・キリストの言葉です。キリストは、有名な山上の説教で聴衆に対してこう語りました。

You are the light of the world. A city on a hill cannot be hidden. Matthew 5:14
あなた方は世の光である。山の上にある町は隠れることができない。−新約聖書「マタイによる福音書」5章14節

キリストの言葉は以下のように続きます。
また、ともし火をともして升の下に置くものはいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らすのである。そのようにあなた方の光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなた方の立派な行いを見て、あなた方の天の父をあがめるようになるためである。」

ここには、世に暗闇があること、キリストの教えにそぐわない行いをしている人々がまわりにいることが示唆され、「あなたが光となって立派な行いをしなさい。山の上にある町には、人々の目が注がれていて逃げ隠れすることはできないのだから、他の人々の手本になるような生き方をしなさい」と語っていると解釈できます。

ウィンスロップの時代の暗闇とは、イギリスの圧制であり社会の廃退であり宗教弾圧でした。だからこそ、自分たちが世の光となり、新しい土地で真に神聖で公正なる神の国、すなわち「山の上の町」をつくり、全ての人々の手本となって神の栄光を世に示そうとしたのです。ここに示された清教徒たちの信仰は、犯した罪と、キリストによる罪の贖(あがな)いと、神の国の栄光、というキリスト教の真髄とも言えるものでした。

🎨現代アメリカにおける「丘の上の町」
ウィンスロップにとっての「丘の上の町」は、こうした絶対的なキリスト教信仰に基づいた「神聖な神の国」でした。しかし、独立戦争以降20世紀にかけて、「丘の上の町」というフレーズは次第に宗教的概念から解き放たれ、より普遍的な「アメリカ建国の精神」に引き上げられていきました。つまり、「丘の上の町」は、「神聖な神の国」から「進歩と自由と民主主義の理想的国家」へと呼び名を変え、しかもただの「丘の上の町」ではなく「輝ける丘の上の町」へと進化し、アメリカという国家の象徴、国民的信仰とも呼べるべきものとなっていったのです。

ウィンスロップの説教から400年近い年月を経た今日も、清教徒たちの目指した建国の理想は、アメリカ社会に生き続け、社会を動かす大きな原動力となっています。連邦政府や州の議会から、各種メディアから、キリスト教会の壇上から・・・政治の様々な舞台で、清教徒たちが目指していたものと同様のビジョンを持つ人々の声が響き続けています。ウィンスロップの「丘の上の町」のフレーズは、歴史に残る大統領演説にも繰り返し引用されてきました。

例えば、1961年1月9日、大統領選挙で勝利したジョン・F・ケネディは、就任前の演説で次のように述べています。

Today the eyes of all people are truly upon us−and our governments, in every branch, at every level, national, state and local, must be as a city upon a hill ‐constructed and inhabited by men aware of their great trust and their great responsibilities. For we are setting out upon a voyage in 1961 no less hazardous than that undertaken by the Arbella in 1630.

今日、全ての人々の目はまさに私たちに注がれている。政府の全ての機関は、連邦、州、各自治体の全てのレベルにおいて「丘の上の町」とならなければならない。その町を構成しそこに住む者は、大いなる信頼と大いなる責任を備えていなければならない。なぜなら、我々が船出しようとする1961年の航海は、かつてのアルベラ号(ウィンスロップが乗っていた船)による1630年の航海に劣らない厳しいものだからである(筆者仮訳)。


また、1989年1月、ロナルド・レーガンは、大統領として最後の演説で、こう語っています。

I've spoken of the shining city all my political life, but I don't know if I ever quite communicated what I saw when I said it. But in my mind it was a tall proud city built on rocks stronger than oceans, wind-swept, God-blessed, and teeming with people of all kinds living in harmony and peace, a city with free ports that hummed with commerce and creativity, and if there had to be city walls, the walls had doors and the doors were open to anyone with the will and the heart to get here.

And how stands the city on this winter night? More prosperous, more secure, and happier than it was 8 years ago. But more than that: After 200 years, two centuries, she still stands strong and true on the granite ridge, and her glow has held steady no matter what storm. And she's still a beacon, still a magnet for all who must have freedom, for all the pilgrims from all the lost places who are hurtling through the darkness, toward home.(スピーチ全文はこちらを参照)

「輝ける(丘の上の)町」について、私は政治家として生涯にわたり語ってきたが、私が見たものは何だったか果たしてしっかりと伝えることができただろうか。私の心の中に見たそれは、海の荒々しい波にも吹きすさぶ風にも揺るがない堅固な岩の上に建てられた堂々とそびえ立つ町である。その町は神に祝福され、あらゆる人々が調和を保って平和に暮らしている。町の開かれた港は貿易や創造的な活動で賑わい、もし町に塀に囲まれているのならその塀には門があり、その門は入る意思と希望を持った者にならば誰にでも開かれている。

この冬の今宵、その町はどのように立っているだろうか。8年前より豊かで、安全で、幸福である。それ以上に、(独立から)200年、2世紀のを経た今も、この国は力強く真に堅固な岩の上に立ち、そしていかなる嵐の中にあっても町は輝き続けている。そして、この町は今も自由を求める人々の灯台であり、失われた場所の暗闇の中から安住の地を求める全ての旅人たちを惹きつけてやまないのである(筆者仮訳)。


🎨オバマ大統領の「世の光」
そして、2011年1月25日、オバマ大統領の一般教書演説の中にも、国民的信仰の最新バージョンが盛り込まれていました。「輝ける丘の上の町」の代わりに、「世界の光」“Light to the World”という言葉が用いられていました。演説の導入部では、共和党が下院で多数を占める難しい状況にあることを踏まえ、次のように切り出しています。

今夜ここに集まった民主・共和両党議員の間に意見の対立があることは明らかである。論戦では、それぞれの主張を訴えて激しく戦ってきた。それは、良きことである。活力ある民主主義そのものであり、それこそアメリカが他国と異なるところである。

しかし、タクソンの悲劇(今年1月8日、アリゾナ州タクソンで起きた銃撃事件)に、我々は考えさせられている。政治討論の熱戦や嫌悪の真っ最中にあって、誰でも、どこの出身であろうと、我々は党派の違いや政治的信条の違いを超えた偉大なるものの一部なのだということを、タクソンは思い出させてくれている。我々はみなアメリカン・ファミリーの一部だ。我々は、この国には様々な人種、信仰、価値観が共存しながらも、人々が一つに結ばれていること、共通の希望と信条を持っていること、あのタクソンの少女(銃撃で犠牲になった9歳の少女)が抱いていた夢は我々の子供たちが描いている夢と大きく違わないこと、そして、全ての人々にチャンスが与えられるべきことを信じている。それもまた、アメリカが他の国と異なるところである(筆者要約)。


そして、現在アメリカが直面している大きな困難に立ち向かっていくためには、党派を超えた協力が必要であり、それが有権者から託された責務であると述べました。その上で、アメリカが「世界の光」であり続けられるかどうかが私たちの手にかかっている、と続けました。この部分の英文を引用してみます。

“New laws will only pass with support from Democrats and Republicans. We will move forward together, or not at all -- for the challenges we face are bigger than party, and bigger than politics.” “At stake is whether new jobs and industries take root in this country, or somewhere else. It's whether the hard work and industry of our people is rewarded. It's whether we sustain the leadership that has made America not just a place on a map, but the light to the world.”

「民主・共和両党の協力がなければいかなる新しい法案も通りません。この国が前進できるかどうかは、両党が共に協力できるかどうかにかかっています。我々が直面している試練は、党利や政治的駆け引きを超えた大きなものなのです。」「アメリカに新たな雇用や産業がこの国に根付くのか、それとも国外に流出してしまうのか。働く人々の一生懸命さや勤勉さが報われるか否か。そして、アメリカが世界のリーダーシップを摂り続け、単なる地図上の国でなく、「世界の光」であり続けられるかどうか、そのすべてが我々の手にかかっているのです。」(筆者仮訳)



さて、オバマ大統領が使った「世界の光」のという言葉。これまでにも政治の舞台で引用されてきた「丘の上の町」や「輝ける灯台」といった国民的信仰や伝統のようなものを継承したセリフだと、受け止めればそれで済むのかもしれません。しかし、現在の世界情勢の中で、アメリカがどのような位置に立っているかを考えたとき、「世界の光」という表現はふさわしいでしょうか?そこだけ何か浮いてしまったような、決まりの悪い印象を受けたのは筆者だけでしょうか?次回の記事では、オバマ大統領の抱負と政権が直面する課題について、詳しく見ていきたいと思います。
posted by Oceanlove at 04:26| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月28日

2010年クリスマス、子供たちに伝えたこと

🎨「クリスマス」と「汗と血のにじむ歴史」
さて、前回の記事「ヴィクトリアン・クリスマスの伝統とアメリカの歴史」では、現代に繋がるヴィクトリアン・クリスマスの伝統をご紹介しながら、ゴールドラッシュ、南北戦争、インディアンの最後、鉄道建設と、19世紀後半のアメリカの出来事を駆け足で振り返ってみました。こうして改めて歴史を眺めてみると、おびただしい汗と血が流され何千何万の人々の犠牲の上に、アメリカは変化と発展を遂げ、今の私たちの社会が形作られてれてきたことが分かります。そして、ふと気付きます。このような変化と発展の歴史の只中においても、人々は毎年クリスマスを祝う行事を繰り返してきたのだ・・・と。最前線で戦争を闘った兵士たち、西部開拓の労働者たちやその家族たちは、それぞれどんな思いで毎年クリスマスというひと時を過ごしてきたのでしょうか・・・。

そんなことに思いを馳せながら迎えた、2010年の私たちのクリスマス。各家庭のクリスマスデコレーション、町やショッピングモールを彩る巨大なツリーやイルミネーションは、(不況のさ中にあるとはいえ)究極の豊かさを謳歌する現代のアメリカのミドルクラスの象徴のようです。輝く光を見ていると、どこからともなく湧き上がってくるのが、私たちもまた歴史の只中にいるのだ・・・という思いです。変化と発展は終わったわけではなく、おびただしい汗と血の流れる歴史は21世紀の今も続いているという事実。私たちがこうしてクリスマスを迎えている今現在も、世界のあちこちで戦争や闘争が続いているという事実です。

「クリスマス」と「人々の汗と血のにじむ歴史」。両者は何とも不似合いで、組み合わせて語ることには違和感を禁じえないかもしれません。なんとなくクリスマスムードに水を差すような話には目を背けたいのが人情かもしれません。クリスマスは、家族皆で楽しい時を過ごす伝統の祝日・・・それでいいではないかと。でも私にとって、クリスマスのこの時期ほど、人間社会の様々な矛盾と、その中で人生をどう生きるべきかといった大きな問いを意識しないときはありません。より明るい日差しの下では自らの影がより濃いように、明るく楽しいクリスマスを演出すればするほど、その正反対のもの、影に包まれたものの存在が心に迫ってくるのです。

そこで、私が感じている「人間社会の様々な矛盾」を、「市場主義経済によって生きる矛盾」と「共同体に属する個人の矛盾」の二つに絞ってしばし触れてみたいと思います。

🎨市場主義経済によって生きる矛盾
「市場主義経済によって生きる矛盾」とはどういうことでしょうか。我が家のツリーの下に積まれているとても家族4人分とは思えないプレゼントの山は、消費社会の象徴です。普段から、必要十分なモノに囲まれながら生活している現代のアメリカのミドルクラスの私たちに、もうこれ以上贈り物など必要がない、無駄な消費は止めにしようなどと言えば、クリスマスの楽しみもなくなってしまうかもしれません。しかし、いったいどれほどのモノがいるというのでしょう?現代の私たちは、必要があるから贈っているのではなく、必要はなくても贈る習慣だから贈っています。生活必需品であればクリスマスでなくとも購入するわけで、家電製品にしても日用品にしても、無くても困らないけどあれば嬉しい、生活をより豊かにしてくれるというのが現代の贈り物です。

比べるのもおかしな話ですが、19世紀の労働者なら靴の底が擦り切れてきたけれど今は我慢してクリスマスに新調しようとかいう話だったのが、現代人なら、ゲーム機のニュー・バージョンが出たから買おうとか、彼はゴルフが趣味だからもう一本ゴルフクラブをプレゼントしよう、などという贅沢な話になるわけです。より多機能、より便利、高品質なものにどんどん買い換えたり豊富に揃える、そういう時代です。買って数年しかたっていなくても修理する部品がなかったり、修理するより新製品を買ったほうが安くつく場合さえあり、モノを大切に長く使うという心がけにも、昔ほどの価値はなくなってきています。

しかし、「クリスマスのプレゼントなどいらない」、「こんな無駄な消費は止めにしようではないか」という考え方は、ある意味、私たちの市場主義経済がよって立つ基盤と矛盾します。グローバル経済においては、技術革新や新市場の開拓で売れるモノやサービスを作り続けなければ、企業は淘汰されていきます。企業経営が成り立たなければ雇用が確保できず、人々の生活基盤はたちどころに崩れていきます。

2008年以来の世界的不況で、現在アメリカ全体の失業率は9.3%、カリフォルニア州では12.4%です。親が失業した家庭では、失業手当てで何とか生活を切り詰めて凌いでいますし、家のローンが払いきれずに家を失ってしまった家庭もあります。職探しを数ヶ月、数年続けても再就職できず、子供が4年制大学へ行く道をあきらめ、コミュニティーカレッジへ進学したり、フリーターになったりするケースを身近に見てきました。

アメリカでは従来、小売業界の年間売り上げの25%−40%を占めるのが感謝祭以後のクリスマス商戦でした。この時期に消費者がプレゼントやサービスにどんどんお金を使うことが、雇用の確保につながり、雇用が維持されれば消費にまわる、そうして経済は回り続けてきたのです。つい最近までの多重ローンによる消費や不透明な金融商品の横行など、「度が過ぎた」近年のアメリカの金融システムが大不況を引き起こしたことは疑いの余地もありません。でもそこまで「度が過ぎない」までも、私たちの社会と暮らしの基盤である市場主義経済はイコール利益至上主義で、それによってどんな結果(例えばエネルギー問題、格差の広がり、環境汚染など・・・)がもたらされようと、消費者マインドを狂気的なまでに掻き立てて消費を拡大させていくことが至上命題となるのです。無駄な消費はいらないといってしまえば、それによって立つ社会基盤が崩れる、それが「市場主義経済によって生きる矛盾」です。

ところで、クリスマスには、子供たちが両親からだけでなく、叔父・叔母、祖父母などからもたくさんのプレゼントをもらう習慣のあるアメリカでは、一人の子供が3つも4つも、多ければ10個も20個ものプレゼントの包みを贈られます。これは、同じ消費社会とはいえ日本とは大きく異なり、「プレゼントは何か欲しいものは一つ」といって育てられた私には、特に馴染めない習慣です(このことについては、過去の記事「クリスマスプレゼントをめぐる考察」
(1)驚くべき習慣
(2)プレゼントをめぐる葛藤
(3)見事玉砕!変えられない習慣
(4)葛藤からの開放、そして本当のクリスマスで詳しく書いています。)とにかく、アメリカの子供たちは、何が欲しいのかさえ分からない幼児のうちからおもちゃの洪水を浴びせられ、分別も付かないうちからありとあらゆるモノに囲まれて育っています。

しかし、ファッション、趣味、エンターテイメント・・・快適で満足のいくライフスタイルを送るために、金銭とエネルギーと資源を費やしているのは私たち大人。子供にモノを与えすぎはよくないとか、甘やかせることになるとか、そういう議論はもはや成立しにくくなっています。次々に物を買い替え、使っては捨てて、常に新しい製品を作り出す行為を繰り返すことに、個人としては抵抗を感じていても、全体としては市場主義経済に巻き込まれ、そのシステムは肯定され続けているのが現代の社会なのです。

🎨「共同体に属する個人の矛盾」
もう一つの「共同体に属する個人の矛盾」とは、簡単に言えば、個人は、国家や人種や宗教といった共同体に属する限り、共同体の意思決定から逃れられないというような意味です。

12月25日、米軍駐留が今年で最後となるイラクでは4万8千人、そして今も戦闘や暴動の続くアフガニスタンでは約10万人のアメリカ兵たちがクリスマスを迎えました。オバマ大統領は、クリスマスを過ごしているハワイから、アフガニスタンをはじめ世界各地の米軍基地に駐留する兵士とその家族に向けて、国への奉仕を労う感謝のメッセージを伝えました。また同日、デイビッド・ペトレイヤス米最高司令官が、アフガニスタン西部ファラ州にある米軍基地をクリスマス訪問したこともニュースで大きく伝えられました。全米各地のキリスト教会のクリスマス礼拝でも、軍人とその家族への祈りが捧げられます。アメリカ人にとって、祖国のために戦地でクリスマスを迎える兵士たちへの感謝の気持ちや、その家族らを思う気持ちというのは格別なものがあるのです。

それにしても、キリストの誕生を祝い家族団欒の時を過ごすクリスマスと、人間同士、国同士がいがみ合い殺し合う戦争ほど相反するものが、この世にあるでしょうか。アフガニスタンにおけるアメリカ兵の死亡者は1,424人、他の同盟国の兵士、アフガンの兵士と民間人を合わせたアフガニスタンでの犠牲者数は合計1万9,600人です。イラク戦争では、2003年から7年間でアメリカ兵だけでも4,417人のが死亡しました。同盟国の兵士、イラク人兵士と民間人合わせた犠牲者は90万人を超えると言われています。おびただしい血が流されている事実は、過去の歴史においても21世紀の今も変わりません。

クリスマスや信仰心と戦争を結びつけるなんて変でしょうか?クリスマスに兵士たちの無事を願う気持ちは皆同じ、それでいいのかもしれません。でも、自分の家族や友人さえ・・・アメリカ人なら、祖国を守ってくれるアメリカ兵さえ無事だったらいいとは、誰も言わないでしょう。キリストの救いは白人だけのものではなく、キリストは全ての人々に愛し合いなさいと教えたのではなかったでしょうか?その「全ての人々」には、白人も黒人もインディアンも、外国人も異教徒も、みな含まれているはずではなかったでしょうか?現代のクリスマスは宗教色は薄れ、富める者も貧しい者もキリスト教徒も異教徒も、家族や友人と楽しいひと時を過ごす祝日となりました。ですから、アメリカ兵のためだけでなく、アフガン兵や銃弾の飛び交う町で暮らすアフガンの人々や、世界の貧しい国の人々や、すぐ側にいるホームレスの人々のことを考え、祈るべきではないですか。

神の名のもとに異教徒を迫害し戦う時代は、歴史の彼方に過ぎ去ったと思うのは錯覚で、戦争と切っても切れない人類の歩み。国家権力と結びついたキリスト教が、異教徒を容赦なく迫害してきた歴史は今も繰り返されています。いや、それは違う、これは対テロ戦争なのだと、21世紀の私たちはテロリストという新しい敵と戦っているのだと言われるかもしれません。しかし、テロリストという新しい敵はどのようにして発生したのか、なぜ私たちの敵とみなされているのかということについて、深く考えてみたことはありますか?

戦地に赴いている兵士たちを責めるつもりでは毛頭ないのです。彼らが他の人間に銃を向けているとしても、いったい誰が彼らを責められるでしょうか。自宅の暖かなリビングルームで団欒の時を過ごしている私たちは、自分たちの代わりに彼らを送り出し、直接手を下していないだけだなのです。それが過言というのなら歴史を見てください。インディアンの居住地を奪う虐殺の戦いに直接加わっていなかったとしても、開拓地に住み着いた白人たちは皆インディアンを迫害をした勢力の一部だったことに変わりはありません。兵士たちも、私たち一般市民も国家という共同体の一部なのです。

キリストの教えた愛と救いの教えを信仰しクリスマスを祝いながら、異国に侵略し人を殺す戦争を続ける・・・。なぜ、人類はこんな相反する二つの行為を続けられるのか、そんな素朴な疑問を感じることがあります。でも、それは、私たちがある共同体に属する以上、強力な共同体の意思決定から逃れることはできない「共同体に属する個人の矛盾」です。いや、民主主義国家では、個人の意思が反映されたものが共同体の意思だと言うかもしれません。しかし、民主主義はいつも正しい選択をするとは限らず、時に非情な結果をもたらします。例えば、他国への攻撃が民主主義による意思決定の段取りを踏んだとして、仮に51対49の僅差であっても賛成派が多数であれば、49%の反対の声は歴史にとってはほとんど意味の無いものになってしまうのですから。民主主義の欠陥に私たちはもっと敏感になるべきでしょう。

今日の私たちが戦っているのは、19世紀的な帝国主義や領土拡大を目的とした国家同士の戦争ではありません。豊かな生活を送り続けていくための、エネルギー、地球資源、金融、情報、科学技術などの獲得と支配を目的とした地球の覇権をめぐる争いです。そして今日、国家のみならず、人種、宗教、エリート集団、テロリストといった様々な共同体の意思決定が大きく交錯しています。安全で便利で豊かな生活を送りたいのなら、その共同体は争いを勝ち抜いて地球の覇権を獲得するか、獲得した国の仲間になり対価を払って分け前をもらうかしかない・・・。

個人として戦争反対を主張し、世界中に軍事戦略を展開する共同体(アメリカのような国)を批判することもできますが、その共同体から恩恵を受けているのも個人ですから、そこには明らかな矛盾があります。日本人もアメリカ人も、属している共同体の意思決定から逃れることはできないという矛盾におかれた個人の宿命は同じかもしれません。ただ、付け加えるとすれば、日本は二度と過去の過ちを繰り返すはずが無い、アフガニスタンにいるアメリカ兵は自分たちとは何の関係も無いと思い込んで、伝統とはほとんど関係の無いクリスマスにお祭り騒ぎをしているとしたら、日本人はより一層おめでたい人々かもしれません。

🎨2010年クリスマス、子供たちに伝えたこと
さて、「資本主義社会の矛盾」と「共同体に属する個人の矛盾」、そんなことを考えながらクリスマスを過ごした筆者も、とりわけよい答えを持っているわけではありません。アメリカのクリスマスの習慣を継承し、たくさんのプレゼントを贈ったり贈られたりしました。家族で過ごす時間を大切にし、まだサンタクロースを信じている子供たちに、子供時代の夢のある楽しいクリスマスの思い出を作ってあげるのも親の務めと思います。でも、同時に、クリスマスに私の心の中にある思い−この記事に書いてきたこと−を少しずつ伝えたり、一緒に考えていくことも親の努めだと思います。どんな風に子供に分かるように伝えていくか。世の中の仕組みが分かるようになるのには時間がかかるし、難しい話をしても混乱してしまうだけ・・・。でも、突き詰めていくと、伝えたいことは実はとてもシンプルなことなのです。

私には、アメリカのクリスマスの原形ともいえる記憶があります。子供の頃に読んだローラ・インガルス・ワイルダー作「大草原の小さな家」の物語に描かれたクリスマスです。第二作「プラムクリークの土手で」の物語の舞台は1870年代のミネソタ州の小さな町ウォールナットグローブ。日中の最高気温が氷点下10度程度にしか上がらない厳しい冬、前回の記事に書いた、西部開拓時代のヴィクトリアン・クリスマスの情景が登場します。

主人公のローラは7歳。イブの夜、ローラは家族と共に町の教会のクリスマス礼拝に出かけます。教会には、天井まで届く大きなクリスマスツリーが飾られ、キャンディー・ケインや松ぼっくりのオーナメント、そして機関車のおもちゃや青い目の人形など、様々なプレゼントが吊るされているのです。でも、ローラの目はツリーの上の方に吊るされた暖かそうな、私の記憶ではピンク色の、ケープ(肩にはおる外套)に釘付けになっていました。あれが私のものだったらどんなに素晴らしいだろうと・・・。ミサの終わりに、牧師さんが順番に子供たちの名を呼んでプレゼントを渡してくれます。そして、それが、ローラにプレゼントされたときのローラの喜びようといったら・・・。

物語には、クリスマスにまつわる楽しいエピソードが他にもたくさん出てきます。メアリーはこっそり父さんに毛糸のソックスを編み、母さんはこっそり古い布切れでローラのために人形を作り・・・クリスマス前は家中が秘密だらけになるのです。みんな、自分へのプレゼント以外の秘密はみんな知っていて、黙っているのに四苦八苦します。モノの乏しかった時代ですから、プレゼントはあり合わせの材料を使った手作りのものでしたが、どんなものでも重宝で大切に使いました。布人形のプレゼントをもらったローラは大喜びし、シャーロッテと名づけたのを覚えています。

インガルス一家は、農業を営むつつましい家庭です。父さんのチャールズは開拓者精神の持ち主で、広い農地を求めて当時まだインディアン・テリトリーだったカンザス州からミネソタ州、サウス・ダコタ州へと馬車で移動します。19世紀後半のアメリカ・インディアンと白人の最後の闘争があった時代です。物語にも実際にインディアンと鉢合わせるエピソードがありましたが、争うことはなく、父さんのタバコをインディアンに差し出す場面が記憶に残っています。

厳しい大自然の中、一家を食べさせ子供を養育すること自体決して楽ではなかった農民の生活、しかも、凍て付く冬の現金収入の乏しい生活は、現代の私たちには想像のつかない過酷なものだったに違いありません。にもかかわらず、物語が私たちの心の琴線を爪弾き温かな感動を呼び起こすのは、様々な困難な中でも揺るがぬ信仰心と勇気、そして家族愛を持って生き抜く人々の姿が活き活きと温かく描かれているからなのでしょう。ごつごつした手の陽気な父さんと、いつも優しく賢い母さん、子供たちは両親の愛情にしっかり包まれていました。少女時代の私は、ローラたちへの親しみと異国への憧れが入り混じった気持ちで、夢中で読みふけったものです。

もう一つ、忘れられない下りがあります。正確には覚えていませんが、クリスマスを迎える頃、母さんとローラがこんな会話をするのです。母さんはこう言います。
「クリスマスは、自分のことではなくて、人のことを考え人のために祈る日なのですよ。」
するとローラは聞きます。
「じゃあ、人のために祈っていたら、いつもクリスマスなの?」
「そうですよ、人のために祈るのならば、毎日がクリスマスですよ」

私の記憶に残る、アメリカのクリスマスの原形・・・それは豪華なツリーでもプレゼントでもなく、母さんがローラたちに伝えたこの言葉そのものだったと思うのです。様々な人間社会の矛盾の中でどのように生きるべきか、という問いの答えは、実はとてもシンプルなことだと気付かされます。「人のために祈るならば、毎日がクリスマス」。子供たちに物語の話を伝え、私自身、毎日少しの時間、周りの人や世界の人々のことを考えて祈りたい、そんな思いをあらたにした2010年のクリスマスでした。
posted by Oceanlove at 14:29| カルチュラル・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

ヴィクトリアン・クリスマスの伝統とアメリカの歴史

🎨ヴィクトリア建築とクリスマス・デコレーション
先週、息子の学校の課外学習に保護者サポーターで参加し、モデスト市のダウンタウンにあるマックヘンリー・マンション(MacHenry Mansion)を一緒に見学しました。マックヘンリー・マンションは、1883年に地元の富豪であり銀行家のロバート・マックヘンリーによって建てられた、ビクトリア様式の瀟洒で美しい2階建ての邸宅です。1972年にモデスト市に寄贈され、大掛かりな修復を経て、外観、内装、調度品なども19世紀後半の当時のままに再現されています。

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室内は1階に応接室、リビングルーム、書斎、ダイニングルーム、キッチン、バスルームなどがあり、2階にはベッドルーム6部屋とバスルームがあります。一般家庭には電気も水道もない時代の、最高に贅を尽くした生活の様子が随所に見られます。当時は炭で暖をとっていたため各部屋ごとに暖炉があるのが特徴です。リビングやキッチンにはガス灯が使われており、天井から鉄製のシャンデリアへとつながったガス管の開閉口を、先端がかぎ状になった長い鉄製の棒を使って開閉し灯をともすのだと、ツアーのガイドさんが教えてくれました。重厚な木彫りの装飾の施されたドアや天井や階段の手すり、キッチンの料理用の鉄製の薪ストーブ、現代のものよりかなりサイズの小さい椅子やベッドなどの家具、婦人が身に付けていたウエストのきつく締まったドレスなどを見ていると、100年以上前にここに住んだ人々の暮らしぶりが生き生きと蘇ってくるようです。

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12月に入ると、マンションはクリスマスの飾りでいっそう豪華さをまし、見学者たちの目を楽しませてくれます。当時は電気が通っていないので、ツリーにはライトがありませんし、町のイルミネーションなども当然ありません。明かりは一部の部屋に設けられたガス灯とキャンドルですから、夜ともなれば、現代の輝くクリスマスの夜景を見慣れた私たちには想像もできない暗さだったことでしょう。絵本の挿絵などで、灯のともされたキャンドルがツリーに掛かっているのを見たことがあります。ツリーに燃え移ると危ないので、手軽には灯りがともせなかったでしょうが、家族団らんの時、またイブの晩など特別な時に灯されたということです。オーナメントは松ぼっくりやとうもろこしの芯を使ったもの、木片を型どった天使、銀製のスプーンなど、今のツリーに比べたら、随分地味で素朴な感じがします。

この建物が建てられた1880年代頃というのは、帝国主義を誇ったイギリスのヴィクトリア朝(1837-1901)の成熟期にあたります。この頃花開いていたビクトリア文化は、ヨーロッパからの移民たちを伝って開拓時代のアメリカへ、そして、ゴールドラッシュのカリフォルニアへと伝わっていきました。今日の私たちが受け継いでいるクリスマスの伝統や習慣も、この頃広まったヴィクトリアン・スタイルが色濃く反映されています。そこで、今回は、ヴィクトリアン・クリスマスを通して、19世紀後半の西部開拓時代のアメリカの姿を振り返ってみました。

🎨ヴィクトリアン・クリスマスとは
ヴィクトリアン・クリスマスを、どんな風に表したらよいでしょうか。ツリーを様々なオーナメントで飾り、エバーグリーンの枝で作ったリースをドアに吊るしたり、階段の手すりや暖炉の回りを飾るなど、豪華なデコレーションでクリスマスの雰囲気を盛り上げます。親しい友人たちにクリスマスカードを送り、贈られたカードを暖炉の棚に飾ります。クリスマス・キャロルを歌ったり、聖書のクリスマス物語を演じる楽しいイベントやパーティーが続きます。貧しい人々に寄付をするチャリティー活動も、ヴィクトリアン・クリスマスの重要な一部です。

でも、これらは12月の初旬から半ば頃までの社交的な催しで、12月24日のイヴと、25日のクリスマス当日は、あくまでも家族皆で祝います。キリスト教徒なら教会のクリスマス礼拝に皆で出席するでしょう。そして家族揃ってクリスマスのディナーを囲み、子供たちだけでなく大人同士でもプレゼントを贈りあい、団欒の時を過ごす・・・現代のアメリカで暮らす私たちが経験するクリスマスの伝統は、ヴィクトリアン・クリスマスそのものと言っても過言ではありません。

筆者の自宅リビングに飾られたツリー


このようなヴィクトリアン・クリスマスの習慣が広まったのは、19世紀のイギリス、ヴィクトリア王朝時代(1937-1901年)です。ヴィクトリア女王と夫アルバートの間には9人の子供があり、結婚生活は幸福なもので、愛情豊かに子育てをしたといわれています。アルバートは、祖国ドイツのクリスマスの伝統をイギリスに持ち込み、室内にツリーを飾り家族と共にクリスマスを祝いました。王室の家族がツリーとキャンドルライトを囲むイラストが、1848年の雑誌「Illustrated London News」で伝えられると、そのスタイルは瞬く間に英国中に広まり、オーナメントで飾られたツリーは、ヴィクトリアン・クリスマスの象徴的存在になっていきました。ツリーを飾る伝統はドイツ系移民たちを通して既に北アメリカにも伝わっていましたが、1850年に先のイラストが「Goody's Lady's Book」という雑誌に載ったのをきっかけに、ツリーを飾る習慣はアメリカでも大評判となりイギリスを凌ぐ大流行となっていったのです。

ヴィクトリアン・クリスマスの初期、19世紀中ごろのオーナメントは、松ぼっくり、ドライフルーツや木の実、ポップコーンで作ったリースやペーパークラフト、手編みの手袋や手作りの人形など、シンプルで素朴なものでした。この時代は、産業革命を経てイギリスを始め西欧の国々の経済が大きく発展し、人々の生活はより豊かで便利なものへと大きく変化していった時代です。大量生産された製品がギフトとして市場に出回るようになり、工場労働などの賃金収入でプレゼントを買い贈ったり贈られたりするという習慣が広まりました。それまでの「身近にあるもの」「手作りのもの」から「買えるもの」「新しい製品」へとクリスマス・プレゼントの習慣を大きく変えていきました。1870年代以降、ビクトリア時代の後期になると、ツリーの飾りつけも豪華さをまし、工場生産された様々な形のオーナメント、キャンドル、ガラス細工の動物やエンジェル、おもちゃの機関車など、時代を反映したものとなっていきました。

🎨開拓者たちのクリスマス
19世紀中頃のカリフォルニアはフロンティア、開拓者たちの町。カウボーイ、炭鉱労働者、農民、牧場経営者、兵士、商人とその家族、様々な人種、宗教、伝統をもつ人々が混沌と共存していました。フロンティアのクリスマスは、それぞれの人種・グループが持ち込んだ特有の伝統が混ざり合い、宗教色の濃いものから次第に家族で祝う祝日へと変質をしていきました。ドイツ移民はドイツの伝統を、イギリス移民はイギリスの伝統を継承しながらも、年に一度の祝日として、子供たちや家族同士でプレゼントを贈り、特別な料理やデザートで祝う年に一度のお祭りとなっていったのです。

といっても、ただでさえ貧しく物質的にも乏しかった西部開拓者たちの生活に、それほど豪華な飾りや贈り物をする余裕があるはずもなく、当時のクリスマスは現代の私たちには想像もつかないようなつつましいものだったかもしれません。オーナメントも、プレゼントも、多くが手作りのもので、砂糖は貴重品だったのでお砂糖を使ったキャンディーやお菓子はまさにご馳走でした。それでも、聖書に書かれたクリスマス物語を読み、クリスマスキャロルを歌い、楽しい家族の時間を過ごすのです。イブのよる、子供たちは暖炉にストッキングを吊るして、ドキドキしながらベッドに入ります。翌朝、見つけるのものは、黒砂糖のお菓子がひと包み、手作りの綿入れの人形、毛糸のソックス・・・そんなシンプルなものだったかもしれません。それでも、子供たちの目は驚きと喜びに輝き、お菓子をほおばったに違いありません。

マックヘンリー・マンションに住んだ富豪も、まだまだ貧しかったも農民たちも、ツリーを囲み、心のこもった贈り物をし、家族や親しい友人たちと団欒の時を過ごした19世紀後半のアメリカの伝統的なビクトリアン・クリスマス。古き良き時代・・・そういってしまうとノスタルジックで何もかも素朴で温かいもののように感じてしまいますが、歴史を振り返れば、その時代は、アメリカ全土で多くの血が流されていた時代でもありました。クリスマスなのに、水をさすようなことを・・・と言われるかも知れませんが、ここであえて19世紀後半のアメリカの歴史を駆け足で振り返ってみます。

🎨19世紀中半ばのカリフォルニア
カリフォルニア州は、1846-48年のアメリカ・メキシコ(米墨)戦争を経てメキシコから割譲され、1850年にアメリカ合衆国の31番目の州となっています。時はゴールドラッシュ期(1848-55年)の真っ只中。一攫千金を夢見て、およそ30万人の人々がカリフォルニアに移り住んだといわれています。東部から移住した人々のうち、およそ半数は南アメリカの最南端ケープタウンを廻る8ヶ月の船旅もしくは、それより少し期間が短縮されるパナマ運河を使う航路で、残りの半数がアメリカ大陸を横断する陸路で6が月近くかけてカリフォルニアを目指しました。パナマ航路は、ジャングルの徒歩での移動を含む過酷なものだったようです。

カリフォルニアを目指したのは白人だけではありません。メキシコ、ペルー、アイルランド、ベルギー、ドイツ、そして中国など世界中から多くの人々が移住しました。ゴールドラッシュ以前は、少数の移民たちが住み着いた小さな町だったサンフランシスコ市の人口は、1848年の800人から1850年には2万5千人に膨れ上がりました。しかし、多くの場合、金儲けの夢ははかなく破れ、もってきた所持金を全て使い果たしてしまうのが現実だったようです。また、苛酷な労働環境のため、せっかくカリフォルニアに辿りついたのに、始めの六ヶ月で5人に一人は命を落としていったとも言われています。メキシコ人や中国人などの移民たちは、その後も人種差別や偏見、重税などにより長期間、苦難の道を歩むことになります。

その後、1861年から1865年にかけて、アメリカは南北戦争を戦っています。ヨーロッパ列強に対抗して工業化と保護貿易で国力増強を進めたいアメリカ北部合衆国と、奴隷制度とプランテーション農業を基盤とした自由貿易維持し、合衆国から独立を目指す南部の州連合国が戦ったのです。これに先立つカリフォルニア州やテキサス州の獲得による領土拡大は、北部に有利に働き、戦争の勃発に少なからず影響を及ぼしました。1962年のリンカーン大統領による奴隷解放宣言はアメリカ史上極めて大きな意味を持つ出来事でした。しかし、北軍の165万人、南軍の90万人が戦い、両軍合わせて62万人の兵士が死亡するという、アメリカ史上最大の戦死者を出した戦争でもありました。そして、産業革命を経たアメリカが、鉄道、テレグラフ通信、蒸気船、大量生産された武器類を大々的に使った戦争であったことも特記すべきでしょう。この後、南北統一を果たしたアメリカは、合衆国として国力を安定・増強させ、西欧列強の一角として世界に君臨することになっていきます。

🎨アメリカ・インディアンの最後
もう一つ、この時代の背景にあるものとして忘れてはならないのが、元々の原住民であるアメリカインディアンたちが強いられた計りつくせぬ大きな犠牲と苦しみです。白人にとって、フロンティア・スピリットとして輝かしいイメージで見られることの多い「西部開拓」は、すなわち、「インディアン掃討」です。1600年代に始まった白人入植から200年以上にわたり銃を武器に持つ白人との抗争、略奪、虐殺などで、多くのインディアンたちが犠牲となり居住地が奪われていきましたが、1860-70年頃には、西部のインディアンたちが一斉に蜂起し、最後の抗争が繰り広げられていました。1876年のモンタナ州リトルビッグホーンの戦いは、数、地理、戦術で勝ったインディアン(スー族やシャイアン族の連合部隊)が、ジョージ・アームストリング・カスター率いる米陸軍第7騎兵隊を打ち破り、カスター以下225名の兵士が戦死しました。あの有名なクレイジー・ホースも参加し、インディアンが白人を破った有名な戦いです。しかし、次第にインディアンの蜂起は鎮圧され、多くの部族が絶滅、保留地へ強制移住の道を辿っていきます。

ゴールドラッシュ時代以降の西部でも、北カリフォルニア、シエラ・ネバダ山系の裾野一帯へと各地に金鉱が拡大するに伴い、インディアンの居住地は次第に奪われていきました。1890年には、サウスダコタ州ウーンデッドニーにおいて、酋長のシハ・タンカ率いるスー族を米騎兵隊が銃撃し、約300人の非武装の老若男女が殺されました(ウーンデッドニーの虐殺)。これを期に、アメリカ政府は、「フロンティアの消滅」、つまりインディアンの掃討が完了し、もはや「未開拓の地がなくなった」ことを宣言したのです。これにより、1622年に始まったとされるインディアン戦争(1622−1890)に幕が下りたのです。

🎨大陸横断鉄道の建設
カリフォルニアのゴールドラッシュに続く大きな事業は、鉄道建設です。アメリカ大陸の東西を結ぶ大陸横断(Trans Continental)鉄道の建設が開始されたのは1863年のことです。サクラメントから東方向への建設を請け負ったのがセントラル・パシフィック鉄道会社、一方、ネブラスカ州オマハから西方向への建設を請け負ったのがユニオン・パシフィック鉄道会社でした。セントラルパシフィック鉄道では、西部の鉄道建設に合計1万2千人を雇いましたが、その9割が中国人、1割がアイルランド系移民でした。多くは、ゴールドラッシュ期にやってきた炭鉱労働者です。中国人は体力が弱くて肉体労働には役に立たないだろうという当初の予測は外れます。労働力不足を補うため、鉄道会社がわざわざ中国までリクルートに行き、低賃金で雇われた中国人たちが続々とカリフォルニアにやってきました。

東西両地点からからアメリカ中央部に向かって建設が進んだ鉄道は、6年の歳月をかけて2000マイル(3200キロ)が繋がります。1869年5月10日、機関車がユタ州の「最後のとんがり」と呼ばれるのユタ州プロモントリー峰標高(1494メートル)を無事通過した時点で、世紀の大事業は完成を見ます。これにより、それまで郵便の運搬に早くても一ヶ月、人の移動(カリフォルニア・トレイル、オレゴン・トレイルなど)には馬車で6ヶ月かかっていた東西の通信が、共に8日間に短縮されたのです。東西間の人とモノの移動を格段に早め、西部の経済発展を大きく貢献した鉄道建設は、アメリカの19世紀におけるもっとも輝かしい偉業のひとつと言えるでしょう。

次回へ続く・・・
posted by Oceanlove at 15:42| カルチュラル・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

メキシコの麻薬戦争とマリファナ解禁のゆくえ

🎨メキシコの麻薬戦争(War on Drug)
前回の記事「カリフォルニア州の財政危機とマリファナ解禁法案」で、アメリカの中間選挙と同時に行われたカリフォルニア州の住民投票で「マリファナ解禁法案Prop19」が54対46で否決されたことについて書きました。そのProp19を、通過の期待を持って見守っていた国があります。メキシコです。メキシコは、麻薬のアメリカへの最大の供給国であり、アメリカ国内で消費される麻薬類の90%がメキシコから流入しています。アメリカ司法省麻薬調査局(National Drug Intelligence Center)によると、メキシコの麻薬組織は、アメリカのおよそ230都市で取引されるコカインの90%、マリファナ、メタ・アンフェタミン、ヘロインのほとんどをコントロールしています。

1980年代頃までは、メキシコとアメリカの国境あたりで行われていたマリファナやヘロインの密売は比較的小規模なものでした。しかし、状況が大きく変わったのは、クリントン政権時代、一定の成功を収めた麻薬取り締まり政策によって、コロンビアからアメリカへのコカインの空の密輸ルートが閉ざされた後のことです。コロンビア産のコカインはメキシコ経由の陸ルートで運び込まれるようになり、密輸組織の規模は一気に拡大してゆきました。いまや、メキシコの麻薬組織は、1980〜90年代に暗躍していたコロンビアやドミニカ共和国の麻薬組織に取って代わっているのです。アメリカに密輸される麻薬は、コカイン、ヘロイン、メタ・アンフェタミン、マリファナなど何種類もあります。コカインの90%はコロンビアを中心とした中南米で生産され、メキシコに運ばれてきます。メタ・アンフェタミンはアジアの生産地からメキシコの港に運びこまれます。そして、それらはメキシコ国内で生産されているヘロインやメタ・アンフェタミンと共に北部アメリカ国境へと密輸されていくのです。

アメリカとメキシコとの国境は、総距離は3,169キロメートル。世界一往来が激しく、年間2億5千万人、一日平均69万人が行き来しています。国境を接するアメリカの州は西から、カリフォルニア州、アリゾナ州、ニュー・メキシコ州、テキサス州の4州です。麻薬組織の主な拠点となっているのが、カリフォルニア州サンディエゴに近いティワナ、メキシコ湾岸のテキサス州ブラウンズビルに近いマタモロスです。この拠点地域が、2006年から2010年までの4年間でおよそ2万8千人が殺害される「麻薬戦争」の舞台となってきました。

これらの地域では、闇の麻薬市場で利益を奪い合う組織間抗争が激化しています。殺害の8割は、武装したギャング同士の殺し合いです。その他に、取り締まりにあたっていた警察官、政治家や自治体の長、その家族、そして銃撃に巻き込まれた一般市民たちも多数犠牲になっています。昨年には各地で何人もの市長たちが殺害されました。いまや、密輸組織は警察を見方につけ、麻薬取引の邪魔となる人物の殺害を行っているといいます。アメリカとの国境に近いティワナでは、市民たちはギャングの暴行におののき、夜間の外出は控えるなど、日常生活に深刻な影を落としています。

🎨カルデロン大統領の戦い
2006年12月、メキシコ大統領に就任したフェリペ・カルデロンは、この麻薬戦争を戦うことを宣言しました。4万5千人の陸軍を麻薬組織の摘発に投入、ロケットミサイル、催涙弾、機関銃、狙撃銃などの武器を使用を含め、年間90億ドルの予算を支出してきました。2008年には、組織犯罪対策を強化するための警察組織と司法組織の大改革を行いました。それまで国と州、各自治体で異なっていた採用、訓練、昇進、業務などを統一した他、連邦警察の人員を9千人から2万6千人に増員、検察官も増員するなどし、最初の2年間に、70トンのコカイン、2億6千万ドルの現金、3万を越える武器、5万8千人の検挙などを達成しています。

しかし、武装化した麻薬組織の広がりに、政府や警察が太刀打ちできない状況は続いています。大統領の格闘空しく、最初の2年間で800人以上の警察官が殺害されました。4年間で2万8千人、平均しすると一ヶ月600人が殺害されるという非常事態が続いているのです。これまでのところ、一般の人々が狙われているのではなく、異なる組織間の抗争による殺し合いが多いのですが、取締りにあたった軍人や警察官が犠牲になったケースも全体の約7%に上ります。これは、本当の戦争です。

さらにことを難しくしているのは、メキシコ全体を覆っている賄賂の横行や政治的腐敗です。警察の麻薬取り締まりの特別部隊が麻薬組織グループに逆に取り込まれ、寝返って組織に加担しているという事態まで起きています。司法長官管轄の麻薬組織を取り締まり官が、月45万ドルに及ぶ賄賂を受け取って、密輸組織に情報を流していた容疑で検挙される事件も発生しました(The Economist)。

🎨麻薬消費国・武器提供国アメリカ
2006年ごろから始まった麻薬戦争の脅威は、メキシコ全土を凌駕し、いまやアメリカとの国境を越えて雪崩れ込む勢いです。2007年、当時のブッシュ政権は、麻薬犯罪の対策費用としてメキシコ政府に3年間で14億ドルの資金協力を約束しました(Melida Initiative)。麻薬押収や密売業者の摘発などへの物的および人的貢献をするものです。取り締まりに当たる警察官の訓練や夜間業務遂行を可能にする装備、金属探知機といった機材の提供も含まれています。しかし、国境付近で麻薬に絡んでアメリカ人が殺害される事件も増え続け、2008年には56人、2009年には79人、2010年の前半だけで、47人のアメリカ人が犠牲となっています。

この麻薬戦争の事実が広くアメリカ人に知れ渡ることとなったのは、2009年2月に司法省麻薬取り締まり局(Drug Enforcement Administration)が全国一斉に麻薬捜査を行い、750人の検挙、12,000キログラムのコカイン、500キロのメタ・アンフェタミン、160以上の武器の押収が明らかになった頃です。それら全てがメキシコの麻薬組織と関わっていました。つい最近の11月、カリフォルニア州オテイ・メサとメキシコのティワナにある倉庫を結ぶ約540メートルに及ぶトンネルが発見されました。市場価格2千万ドルに及ぶ30トンのマリファナが押収されたのです。

2009年1月大統領に就任したオバマ氏にとっても、メキシコの麻薬戦争は、政権の最重要課題の一つとなってきました。それもそのはず、麻薬戦争を誘発しているのはアメリカ、つまり、国内では麻薬は違法でありながら、ゆるい規制のもとに需要の絶えることのないアメリカの巨大麻薬市場なのです。コカイン、マリファナ、ヘロイン、メタ・アンフェタミンをすべて合わせた年間の取引額はおよそ600億ドルに上ると見られており、その売上金の180〜390億ドルはアメリカからメキシコへと流れています(3月26日 ワシントン・ポスト紙)。2009年4月、オバマ大統領は、就任後初めてのメキシコを訪問した折、カルデロン大統領と共に麻薬戦争への取り組みにおいて2国間協力を更に強化することを宣言しました。今年3月に、ホワイトハウスの麻薬対策室はアメリカ国内での麻薬の需要を減らすためのキャンペーン予算を増加することを決めました。麻薬防止キャンペーンには13%増、中毒患者の治療に4%を盛り込んでいます。

🎨こう着状態のアメリカの銃規制
もう一つ、両国を悩ませているのが、麻薬と逆向きに、アメリカからメキシコに流れている銃や武器類です。麻薬組織が所有する銃や自動小銃などの武器は、その多くがアメリカの銃マーケットで販売され、メキシコに持ち込まれているという実態です。アメリカではライフルなど殺傷性の高い武器の2004年まで販売が規制されていましたが、現在はそれが解かれ、ガン・ショップで合法的に購入することが可能です。メキシコで押収されたこれらの武器の90%はアメリカで販売されたものであるとも言われています。

カルデロン大統領は、アメリカに対し銃規制への取り組みを迫りましたが、オバマ大統領は「できる限り努力をする」と述べたに留まりました。銃規制は、アメリカ国内では、政府が個人の銃所持を制限することへの反対世論が根強い上に、保守層や銃の業界団体などからの強力な政治的圧力があり、難しい政治問題のひとつです。反対派は、「メキシコの麻薬組織の武器の90%がアメリカで販売されているというが、それらは押収された武器のうち、製造番号等で販売元の特定が可能なものだけに絞った数字であり、実際には、中南米、ロシア、中国などから密輸された武器も大量に出回っている。アメリカ産の武器の実質的割合は17%程度だ」「アメリカでの銃の販売に歯止めがかかっても、麻薬組織の犯罪防止に効果は期待できない」と指摘しています(Obama positioning for back door gun control)。

憲法に記された「銃を所持する権利」と「犯罪組織による悪用阻止」の狭間で、難しい状況に立たされる中、オバマ大統領は、武器の違法製造と売買を防止する地域間協力会議(CIFTA:Inter-American Convention Against the Illicit Manufacturing of and Trafficking in Firearms, Ammunition, Explosives, and Other Related Materials)への批准を連邦議会に提案しました。これは、1997年に立ち上げられた武器の製造と売買に規制を設ける地域間協力の仕組みで、既に33カ国が批准しています。アメリカでもクリントン政権時代から批准を試みているものですが、これも実質的な銃規制だとして、業界と議会の強硬な反対でいまだ実現に至っていません。

🎨麻薬戦争に勝つための麻薬合法化論
麻薬消費を抑えることも銃規制もできないアメリカ。アメリカとメキシコ2国間で膨れ上がる闇市場。潤沢な資金で高度に武装化する麻薬組織。メキシコに蔓延る政治汚職と麻薬組織に取り込まれる警察。歯止めのかからない凶悪犯罪や殺人・・・。100億ドル、国家予算の5%を麻薬対策に費やしながらも、この巨大な犯罪構造にメスを入れられないメキシコ政府。メキシコでの世論調査によると、59%の人々が麻薬組織がこの戦争に勝ちつつあると考えています(5月28日、ワシントン・ポスト紙)。がんじがらめになっている麻薬戦争に勝つにはいったいどうしたらよいのか。犠牲者を減らすためにはどうしたらよいのか。

現状の対策が功を奏していないこと、麻薬を法律で禁止することでは需要を消し去ることも市場を消し去ることもできないことは火を見るよりも明らかです。そんな中、「麻薬を合法化して管理した方が犯罪は減る」という発想に基づいて進められてきたのが、麻薬の合法化推進の議論です。カリフォルニア州でマリファナ解禁法案Prop19が住民投票にかけられた背景には、合法化によって国境付近の「麻薬組織による犯罪を減らす」という目的と期待があったのです。

仮に、マリファナを合法化して他の農産物と同様に課税すると、いずれマリファナは需要と供給のバランスを満たす形で、現在より低い市場価格に落ち着いていくだろうと考えられます。すると、麻薬ディーラーたちはこれまでのように利潤を得ることができなくなってゆき、次第にブラックマーケットは縮小、衰退していくと予測できるのではないか、ということです。歴史を振り返ってみれば、アメリカではアルコール類を法律で禁じることには失敗しています。闇の業者や密輸組織、そして犯罪を拡大させた苦い経験があります。メキシコの麻薬組織は、ブラックマーケットでの取引で得る莫大な利益を、組織の拡大、武器の購入、賄賂などに潤沢にまわしています。その利益を減少させ、闇市場で潤沢に回っている資金を収縮させることが、犯罪の減少に繋がるというのが、麻薬合法化支持者たちの主張なのです。

🎨メキシコでも高まるマリファナ合法化の声
マリファナ解禁法案がカリフォルニア州で住民投票にかけられたのを受けて、この夏、メキシコでもマリファナの合法化を求める声が高まりました。麻薬は、より高価格で取引できるアメリカへ密輸されているため、メキシコで合法化しても、アメリカでも同様に合法化の措置をとらない限り、効果は期待できません。従って、メキシコにおけるマリファナ解禁の議論は、アメリカで合法化の動きが出てくる最近になるまでお預け状態でした。8月、カルデロン大統領は、「(マリファナの合法化は)本質的な問題であり、賛成意見、反対意見の両方を注意深く分析しなければならない」と延べ、国内議論を巻き起こしました(9月5日 ワシントン・ポスト紙)。

メキシコの人々は、個人的なマリファナの使用を求めて合法化を叫んでいるのではありません。そもそも、麻薬の消費量はメキシコではそれほど多くはなく、アメリカでは47%の人々がマリファナを試したことがあるのに対し、メキシコでは僅か6%、メキシコ国内での消費量は、流通量全体のおよそ20%程度と見られています。合法化の声は、あくまでも、麻薬による凶悪犯罪や殺人を少しでも減らしたい、麻薬組織の力を何とか縮小させなければならない、という悲痛な叫びです。カソリック教徒の国、保守的なメキシコ人々が、マリファナの解禁を求めるという、つい最近まで考えられなかった大きな世論の転換が起きています。

🎨ポスト「麻薬撲滅」−麻薬対策の新アプローチ
近年、国際的な麻薬対策のアプローチは、「法律による禁止と刑罰」よりも、麻薬に関する知識の普及や中毒症状の治療など、「健康への害を最小限度に留めること」に重点を置くようになってきました。

1998年、国連の常任理事会は、人類の健康と麻薬および麻薬犯罪への取り組み(Drug Control)を重要課題の一つに掲げ、10年間で麻薬の生産と消費を大幅に削減することを目指し、加盟国に積極的な対策を採ることを促しました。しかし、それから、10年以上たった現在も世界全体の麻薬生産・消費状況はほとんど変わっていません。2008年、国連常任理事会は、麻薬問題に関して次のような見解を示しました。

世界の麻薬問題は一定状態にあると言える。1990年代後半から2008年にかけて、世界の15歳から64歳までの人口に占める麻薬消費者の割合は4.7〜5%と、およそ10年間安定している。種類別に見ると、マリファナでは3.9%、コカインは0.4%、ヘロインは0.3%、アンフェタミン類は0.8%という数字である。深刻な麻薬中毒者の割合は0.5%、およそ2千5百万人以下であり、麻薬問題の非常事態は収まっている。http://www.unodc.org/documents/wdr/WDR_2008/Executive%20Summary.pdf
しかしながら、現在の状態は不安定で、永久的な麻薬撲滅に向かっているわけではない。継続的な麻薬コントロールのために、麻薬の知識や危険性について広めることと中毒患者の治療により重点を置く必要がある。これは、かつての麻薬撲滅という理想論ではなく、「麻薬問題は健康問題および社会問題である」という観点を重視した麻薬コントロールの新たなアプローチである。


この見解に見られる、もっとも重要で画期的なことは、国際社会の麻薬対策は既に、「麻薬のない世界」を目標とはしていないということです。麻薬撲滅は不可能であるという現実的判断の下に、麻薬コントロールの焦点は、「法と犯罪」の分野から「健康と公衆衛生」の分野へと移りつつあるということです。これまで見てきたように、アメリカでは、年間400億ドルもの経費を麻薬取り締まりに使い、150万人もの人々を逮捕していますが、麻薬消費者は一向に減っていません。国連のアプローチは、これまでの「法律による禁止、取締りと罰則」というやり方では効果がないことを認めたものです。

🎨受け入れられつつあるマリファナ
最近、マリファナ合法化を後押しするかのような、もう一つの画期的判断がアメリカ医学界でも下されました。11月10日、アメリカ医師会(AMA)は、72年間保持してきた「マリファナは医学的効用のない物質」であるという立場を転換し、マリファナには痛みの緩和や治癒力を高める働きがあることを認め、更なる検証と研究を進める考えを示しました(Executive Summary: Use of Cannabis for Medicinal Purposes) 。

短期的な臨床試験では、マリファナの使用により、神経痛の緩和、食欲の増進、多発性硬化症の患者の痛みや痙攣の緩和などの結果が見られているといいます。それに先立ち、2008年には、アメリカでAMAに次ぐ医師団体American College of Physician (ACP)が「マリファナの医学的効用の有無とその種別の再定義すべきか否か、臨床試験に基づいて検証すべき」という声明を出しています(Supporting Research into the Therapeutic Role of Marijuana)。

医師会の方針転換は、医学的には驚くほどのことではないかもしれませんが、政治的には重大な意味をもっています。この判断は、10月にオバマ政権が法務省に対し医療用マリファナの使用には寛大であるべきだという態度を示したことの流れをくんでいるとみられています。この流れはあくまでも、医療用マリファナの合法化を後押しするものですが、既に合法化されている13州以外の州でも近い将来医療用マリファナが合法化される可能性が高まってきました。そうなると、需要は増大する一方、医療用マリファナとレクリエーション用(嗜好目的)マリファナの区別はつけるのは困難で、マーケットをさらに拡大させることになるでしょう。そのことはカリフォルニア州で既に証明済みです。法による取り締まりには限度があることから、カリフォルニア州では、シュワルツネッガー知事が、28グラム以下の所持であれば罪に咎めず罰金で済ませる法案にサインをしたのは耳に新しいところです。

近年、ヨーロッパやラテンアメリカのいくつかの国々でも、麻薬の売買や使用を犯罪として処罰するのではなく、嗜好品として個人的に少量使用するであれば良しとする、あるいは罰金程度にする、という考え方が広がりつつあります。例えば、オランダ、スペイン、ペルー、メキシコなどでは、少量のマリファナの個人使用は刑罰の対象とならず、スウェーデン、ノルウェー、ロシアなどでは少量のマリファナの個人使用は罰金を課して済ませる形です(Legality of Cannabis by Country)。

しかし、これらの国々でもマリファナを合法化したわけではありません。麻薬が違法である限り、ブラックマーケットは存在し続け、そこで利潤を得る麻薬組織は暗躍し続け、組織的犯罪は永遠になくなることはないでしょう。

🎨マリファナ合法化への課題
では、話をマリファナ解禁に戻します。合法化は、深刻な組織犯罪が政治的重要課題であるメキシコでは受け入れられやすいが、逆に消費国であるアメリカでは、賛否両論が渦巻いていて、合意形成は極めて困難であろうというのが筆者の印象です。緊迫したカリフォルニアの財政事情が後押ししたマリファナ解禁法案Prop19は世論を大きく盛り上げましたが、いくら「麻薬戦争に勝つため」あるいは「麻薬コントロールの新アプローチ」とは言え、合法化が難題であることには変わりはありません。2年後の大統領選挙で、再び有権者に問われることになりそうなマリファナの解禁について、見えている課題をまとめてみました。

1) マリファナだけ合法化するのでは、他の麻薬がより多く密売されることになるだけでしょう。ですから、「麻薬を合法化して、管理した方が、犯罪は減る」という論理が成り立つためには、全ての麻薬を合法化する必要があります。ただ、メキシコの麻薬組織の利益の60%はマリファナによるものであることから、当面はマリファナを、最終的には他の麻薬も段階を追って合法化すべきではないかという意見もあります。

2) カリフォルニア州だけで合法化しても、他州での取引が違法であればどれほどの効果が期待できるのか、また、アメリカ全体の麻薬取引にどのような変化が起こるか予測し難い部分もあります。やはり、アメリカの全ての州で同様に合法化し、裏取引の抜け道を残さないようにしなければ、効果は期待できないかもしれません。

3) 合法化によって、マリファナの需要と供給がどのように変わるか、それによる税収がどれくらい期待できるかを正確に予測することは困難です。もし、安全で合法的なマリファナが今より安価に入手できるようになれば、消費人口は増加し、麻薬が社会に蔓延するのではないかという危惧もあります。そのことを加味して、マリファナの税込販売価格を、一般消費者には「高くて手が出にくい値段」かつ「闇市場が成り立たない安い値段」という微妙なラインで設定することが重要となってくるでしょう。

4) マリファナ解禁についてのアメリカ国内の温度差をどう克服するのか。カリフォルニア州ではマリファナ解禁への世論は拮抗しつつあっても、中西部など保守層の多い州ではまだ反対派が圧倒的です。マリファナを吸わない人々の主張や麻薬に対する嫌悪感を覆すのは相当難しいでしょう。子供たちが麻薬に手を出す可能性が高まるのを不安がる親たちは、麻薬の解禁などとんでもないと考えるでしょう。麻薬中毒の危険性について知識を普及させるキャンペーンや、中毒患者への治療を軸にした政策を、もっと徹底すべきでしょう。マリファナより依存性の強い麻薬について危険性や害などを知らしめることによって、より害の少ないものの方へと消費者を誘導できる可能性もあります。

5) アメリカの有権者たちの中には、アメリカ国内さえ安全ならいいと、麻薬が犯罪組織の手を渡り、多くの犠牲者を出していることを省みない人々もいます。マリファナの使用者でさえも、合法化に賛成と葉限りません。「現状でも麻薬が入手できるのだし、多少高価でも、どうしても吸いたい人は吸えばいい。しかし、違法としておいた方が一般には蔓延しにくいので、今のままの方がいいのではないか・・・」という身勝手な発想です。麻薬戦争は、アメリカを含む先進国での需要と消費が、メキシコを含む生産地・発展途上国での犯罪や汚職を誘発している事実を、有権者たちはもっと知る必要があるのではないでしょうか。

マリファナ合法化は、最良の策とは言えないでしょう。しかし、麻薬犯罪をこれ以上深刻化させないために、臭いものには蓋ではなく、逆に明るみに出すことによって生まれる効果に期待する時に来ているのかもしれません。
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2010年11月10日

カリフォルニア州の財政危機とマリファナ解禁法案


🎨否決されたマリファナ解禁法案Prop19
11月2日に行われたアメリカ中間選挙で、カリフォルニア州で住民投票にかけられたマリファナ解禁法案、いわゆる「Prop19」が、反対56%賛成46%で否決されました。住民投票にかけられた数多くの法案の中でも、Prop19は最も注目を集めたものの一つで、否決はされたものの、州内のみならずアメリカ全土で物議を醸しました。否決された法案について、今回の記事で取り上げようと思ったのは、この法案は、否決されたのでおしまいなのではなく、2012年の選挙でより強力になって蘇り再び住民投票にかけられて、勝利することを予感させるものだったからです。この法案が目指すものは何か、そしてアメリカにおけるマリファナ事情について解説します。

まず初めに、Prop19の概要ですが、カリフォルニア州において、21歳以上の成人に対し、マリファナの所持(1オンス、約28グラムまで)と使用、個人所有地で2.25平方メートル以内での栽培を認めるというものです。そして、州政府は商業用の栽培、輸送、販売に対して規制と課税の対象とすることが提案されています。この法案の最大の目的は、マリファナの解禁によって、州の税収を上げ赤字財政を解消することにあります。解禁となれば、マリファナ市場はカリフォルニア州において140億ドルもの規模、そこから得られる税収は20億ドルとも予想されているのです。

🎨カリフォルニア州の財政事情
少し横道にそれますが、ここで、悪化の著しいカリフォルニア州の財政事情について解説します。今年、州議会は、2010−11年度の予算を通過させるのに10ヶ月もの時間を費やしました。カリフォルニア州は、7月1日が新年度の始まりです。予算は、通常は1月頃に新年度の予算案が議会に提出され、審議を経て5月ごろまでに通過させなければなりません。ところが、今年は199億ドルもの財政赤字を抱えており、増税や分野別の予算カットなど、予算のやりくりや埋め合わせに民主・共和両党の折り合いがなかなかつかず、時間が経過してしまったのです。予算が通らないまま新年度に突入し、100日を経過した10月8日、シュワルツネッガー知事がようやく866億ドルの予算にサインをするという事態にまでなりました。200億ドル近い予算不足は、教育・医療・社会保障費の総額85億ドルの削減(予算全体の約10%)と、連邦政府からの借金53億ドル(そのうち承認されているのは10億ドル程度)、その他州政府の建物売却益や特別枠の予算の移動など52億ドルで補うことが可決されました。

財政赤字の足を大きく引っ張っているのが、12.4%に及ぶ州の失業率です。人口にして250万人に上ります。州が負担する失業手当が110億ドルに膨らんでいるのに対し、予算枠は45億ドル程度です。足りない分は連邦政府からの借り入れですが、今年度の利息だけで5億ドルにもなると見られ、このままでは2011年度までに、失業手当だけで200億ドルの赤字に達すると予想されています(参照)。

カリフォルニア州の財政赤字は2002年から始まり、2007年の不動産バブルがはじけたあたりから著しく悪化、2008年の金融危機以降は危機的状況が続いています。前年同様の規模の赤字を補うために、州政府は様々な政策を採ってきました。その一部には、
• 公務員6万人の解雇(2009−10年度)
• 23万5千人の州公務員に月3日の無給休暇を義務化し、13億ドルを削減。平均給与カットは14%(2009−10年度)。
• 州内の消費税の1%アップ
• 車両免許にかかる料金の値上げ(0.65%から1.15%へ)
• 教育・社会保障費のカット
• 景気回復を見込んだ翌年の予算からの借り入れ
などがあります。その影響で、州立大学の学部・学科が減らされる、小中学校で音楽、理科などの授業が減らされる、公立図書館が閉鎖される、公的医療サービスの適用範囲が縮小するなど、失業とあいまって人々の生活をギリギリのところまで追い詰めています。地価や法人税の高いカリフォルニア州から企業が流出し、失業率をさらに押し上げるという悪循環が続いています。

140億ドル規模、20億ドルの税収が見込まれるマリファナ市場。財政難にあえぐカリフォルニア州にとって、これほど魅力的なものはありません。マリファナ合法化による恩恵は税収だけではありません。現在、マリファナ関連の違法行為(違法栽培や違法所持)で、年間実に7万4千人(2007年の数字)が逮捕されています(参照)。この取締りにかかっていた膨大な人件費や経費を減らし、その分を他のもっと悪質な犯罪の取締りに向けることが可能です。また、これまでに収監されたマリファナ関連犯罪人たちを刑務所から出すことで、年間10万ドル程度の経費削減が可能となるとの数字もあります。

刑務所関連予算は教育予算についで2番目に大きな州の負担です。ギリギリまでカットされた教育や公的サービス予算を、これ以上犠牲にできないという危機感が広まる中、たいした害のないマリファナ所有者などを刑務所に入れるのは止めにして、無駄を省き、マリファナ・ビジネスによってもたらされる税収で赤字を埋めあわせ、財政再建につなげようではないか、という考え方は、次第に大きな支持を集めるようになりました。既に、州議会議員や労働組合、市民権運動の団体など、多くの個人・団体が、マリファナの合法化に賛成の立場を表明しています。住民投票の結果、全体としては54対46で反対票が多かったのですが、州内の複数の自治体では、住民投票の結果、マリファナ・ビジネスに対して課税する条例が通りました。サクラメント市やサンノゼ市の有権者は、市内のマリファナ・ビジネスから10%課税する条例に賛成したのです(参照)。

🎨アメリカにおけるマリファナ事情
さて、いくら財政再建に期待がかかるといっても、ことはマリファナという麻薬に類するものです。これまで違法だったものを180度ひっくり返して合法とし、誰にでも簡単に買ったり使ったりできるようになるというのは、当然懸念の声もあります。気になるのは、世の中の人のどれぐらいが懸念しているかということですが、住民投票結果は反対54、賛成46ですから、有権者の意見はおよそ半々です。もっとも支持率の高かったサンフランシスコでは賛成65%、反対35%でと3分の2が賛成しています。州全体では投票数にすると反対434万人、賛成370万人と差はあるものの、マリファナ解禁を是とする世論はかなり浸透し、両者は拮抗しはじめているようです。マリファナ解禁に懸念があっても、深刻な財政危機に比べて、マリファナ解禁による弊害は少ないだろうと消極的に賛成する人々と、州の財政危機に関係なくマリファナを解禁すべきだと考えるマリファナ愛好家など積極的に賛成する人々を合わせると約半数を占めるということです。衝撃的なのは、この背景にはアメリカでは多くの人々がマリファナを嗜好目的で使っており、社会はそれを黙認しているという現実があることです。アメリカには、既にマリファナが半分容認されているのです。

タイム誌の記事によると、ある調査でアメリカ人の42%が少なくとも一回はマリファナを試したことがあるという結果が出ています。フランス、スペイン、メキシコ、南アフリカなど調査に参加した16カ国の中でもマリファナの経験率が最も高かったのはアメリカです。また、15歳までにマリファナを試したことがあると答えたアメリカ人は20%、21歳までに試したことがあるのは54%と、比較的若い時期に試す傾向があることが分かります。

実際、マリファナ常用者がどれくらいいるか、正確な数を割り出すことは難しいでしょう。National Institute On Drug Abuseによる2007年の調査では、12歳以上のアメリカ人の1440万人が、過去一ヶ月の間に最低一回服用したというデータもあります。また、アメリカ保健省の薬物中毒・精神健康局(The US Department of Health & Human Services' Substance Abuse & Mental Health Administration)による「麻薬の使用と健康に関する全国調査」によると、過去一年間にマリファナを使用した12歳以上のアメリカ人は10%、毎月使用している人は6%となっています。毎月使用する人々の15%は常用者です。

マリファナの使用が、社会に広まっている理由として考えられているのが、他国と比べてマリファナを嗜好物として服用するだけの経済的余裕がある層が大きいこと、マリファナはアルコールやタバコに比べて弊害が少ないという認識が広まっていること、さらに、70年代から80年代のヒッピー文化がアメリカ社会に息づき、彼らが社会の中核を担う世代となった90年代以降も、彼らのトレードマークだったマリファナの服用が大衆文化の一つの形として形成されていったとも考えられます。

ちなみに、前出の調査の比較では、毎月飲酒をしている人は52%、毎月タバコを吸っている人は28%とあり、他の嗜好品と比べマリファナ常習者はそれほど多いというわけではありません。しかし、巷を見てみると、知り合いの中に吸っている人も何人かいますし、話を聞けばあの人もこの人も、という感じで、それほど珍しいことではないというのが、アメリカで生活する筆者の実感です。特に若者たちの間では一種のCoolなことなっているようです。大統領選挙運期間中に、オバマ大統領も学生時代に試したことがあると公言していました。

面白いことに、アメリカでは、タバコの喫煙は「意志が弱い」「教育を受けていない」「ブルーカラー」というようなマイナスの印象で受け止められるのに対して、マリファナの服用は、必ずしもそのような受け止め方はされていません。むしろ、教育を受けたホワイトカラーの人々の間でも当たり前のように見られる現象です。タバコは吸わないけれど、マリファナを吸うという人々が数多く見られるのが特徴でしょう。もちろん、公的な場所で吸うことはありませんし、吸っていることを公言することもないでしょう。通常、雇用条件にはマリファナ使用者は雇用できないことになっていますし、職場での健康診断に麻薬を使用しているか否かの検査項目もあり、違法行為が明らかになれば、解雇の可能性もあります。少なくとも表向きはまだ違法なのです。

🎨既に存在するマリファナ市場
それでは、現法律では禁止されているにもかかわらず、それだけのアメリカ人の需要を満たすマリファナはどこで生産され、人々はどのような経路で入手しているのでしょうか?実は、カリフォルニア州では、1996年、全米に先立ち、医療用のマリファナを合法化する法案が住民投票で56%の賛成を得て成立しました。これは、ガンやエイズ、てんかん、多発性硬化症、慢性神経痛など特定の病気の医師の診断を受けた患者に対し、症状緩和を目的として量を制限した上で所持や使用を認めるものです。それに続いて、アラスカ州、オレゴン州、ワシントン州などでも同様の州法が成立し、現在14州で医療用マリファナが認められました(参照)。

カリフォルニア州では、その医療目的の純度の高い有機栽培のマリファナを生産・販売することが合法化されています。この州法の下に、州のマリファナ産業は大きく成長しました。北カリフォルニアにある3つの郡にまたがった農地や山林は「エメラルド・トライアングル」と呼ばれ、アメリカにおけるマリファナ生産のメッカとなっています。その一つ、メンドシーノ郡だけで産業規模はおよそ10億ドル規模、地元産業の3分の2を占めるといわれ、地元経済を大きく潤しています。しかしながら、州全体に統一した生産者規制や販売規定は無く、取り締まりや罰則も各自治体によって異なっているなど、管理体制は非常にずさんであると言わざるを得ません。医療用マリファナ生産者と医療用でない「レクリエーション用」のマリファナ生産者の区別はつきにくく、医療用マリファナと称して大量に生産し、レクリエーション目的の消費者に闇市場で売りさばくような業者が後を絶たず、取り締まりは後手後手に回っています。ジョージ・メイソン大学教授のジョン・ゲットマン博士による研究「アメリカにおけるマリファナ生産」では、マリファナの国内生産は、年間およそ6500万株、一万トンという数字が算出されています。そのうち、違法業者によるマリファナが取締りで押収されるケースは年々増え続け、その量は2008年に約800万株、660トンに達しています(参照)。

🎨マリファナ合法化に向けた駆け引き
今回のProp19は、住民投票で賛成が多かったとしても、経済的側面や法的側面で不確定な部分が多くあり、社会状況がマリファナ解禁を受け入れる段階にはまだない、という見方も多くありました。連邦政府の薬物取締り局では、マリファナは危険な指定薬物であり、その販売や使用は禁止されています。カリフォルニア州で合法化されても、連邦政府の立場は変わらなければ法律が施行されない可能性があることや、他州の法律との一貫性が無く、狙った効果が得られないなどの理由で今回は反対に回った、という有権者もいます。

また、実はProp19に反対した主なグループは、州内で合法的にビジネスを行っている100以上の北カリフォルニアの医療用マリファナ生産者たちでした。というのは、マリファナ一回当たりの使用量は0.5−1.0グラムで、市場価格は5ドルー20ドル(入手先、品物の質などによって価格にばらつきがあります)と、タバコ一本と比べてはるかに高く設定されています。もし合法化すれば、マリファナはもっとも換金価値の高い農産物となり、現在使われていないアボカドやブドウ等の畑が新たにマリファナ栽培地として開墾されるでしょう。市場が開放されれば、多くの人々がマリファナ業界に参入し価格も下がり、現在の独占状況が一変することになるからです。そのため、医療用マリファナ生産者や製造に関わる労働者たちの雇用や社会保障を求める動きも出始めました。例えば、オークランド市では、比較的規模の大きい医療用マリファナ製造会社の従業員を大手の労働組合のメンバーとして受け入れるなど、マリファナ業界を擁護する方針です。

一方で、ワシントン州、オレゴン州、アラスカ州、コロラド州、ネバダ州などでもマリファナ解禁の世論は巻き起こっており、マリファナ解禁を容認するムードはアメリカ社会のあちらこちらに見えています。カリフォルニアでは、今年9月にシュワルツネッガー知事が28.5グラム未満の所持に対しては、法廷に立つ必要のない100ドルの罰金を科す法律に署名をしました。同様に、多くの州で、少量のマリファナの所持であれば、交通違反同様の過失として扱われ、実刑ではなく、罰金とするなどの州法が可決されています。財政事情と麻薬取締りにかかる費用とのバランスが、多くの有権者にとって不合理に見える状況となっていることが、大きく後押しをしているのです。それと、聞こえてくるのが、「いいんじゃないの?少しくらいは。害はないんだし・・・」という巷の声です。

今回の住民投票は、近い将来のマリファナ解禁へ向けた前哨戦だったと見られています。Prop 19の支持者たちの今後の目標は、マリファナ合法化に向けた世論を他州にも拡大させ、2年後の選挙で、複数の州で住民投票にかけることです。若い世代ほど解禁には賛成派が多く、シニアの世代ほど反対派が多いことを加味すると、住民投票の結果、賛成派が多数を占めるのは時間の問題とも言えるでしょう。
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2010年10月17日

尖閣諸島と日本の安全保障 その(2)

この記事は、前回の「尖閣諸島と日本の安全保障」の続編です。

🎨 事件はアメリカが起こした??
前回の記事で、「尖閣諸島の問題は単なる日中間の領土争いではなく、アジア・太平洋地域の覇権を巡る、中国とアメリカの争いと見るべき」と述べました。近年、中国海軍が東シナ海、南シナ海へと展開し、海洋権益のめぐるアメリカと中国の対立が激化しつつあります。経済・軍事・政治全てで世界の大国に躍進する中国と、世界の覇権国から衰退に向かっているアメリカ。その力が拮抗する時期は近づいています。将来もしも、中国が台湾や尖閣諸島付近を制圧するようなことになれば、それはアメリカが東アジア・太平洋地域における覇権を失う時です。アメリカにとって、「尖閣諸島が日本のものとなるか中国のものとなるか」は、突き詰めれば「中国との闘争において勝つか負けるか」を意味すること、国家の存亡に関わる一大事だと言えます。

中国漁船と海保の巡視船の衝突事件(事故ではなく、事件)は、「起こされたもの」と考えるべきで、重要なのは「どちらがどのような意図をもって起こしたか」だと書きました。そして、中国が起こしたのだとすれば、それは日米同盟の強度を計る為だったのではないかと分析しました。本稿では、もしアメリカが起こしたのだとすればどんな意図があったのか、その可能性を分析していきたいと思います。

ところで、アメリカと同盟関係を結ぶ日本と韓国は、米中闘争のまさに最前線に位置しますが、現在、日米および米韓の間の軍事・外交分野で大きな懸案となっていることがいくつかあります。沖縄普天間基地問題、米海兵隊のグアムへの移転、そして2012年に予定されていた在韓米軍の指揮権(朝鮮有事の際の戦時作戦統制権)の韓国軍への委譲です。これらの計画は、米軍基地の縮小統合や軍事費の削減のために不可欠なものであると同時に、核やテロといった21世紀型の脅威に対するアメリカの軍事戦略の一環でもあります。しかし、同時に、韓国軍への指揮権の委譲、そして、在日米軍のグアム移転は、東アジアにおけるアメリカのプレゼンスを著しく削ぎ、代わりに中国にその勢力拡大を許す形とも受け取ることができます。ですから、これらの計画の遂行に当たっては、この地域へのアメリカの影響力を損なうことないように、その「タイミング」や「米中の力のバランスを見極めていく」ことが、アメリカにとって極めて重要です。実は、今回の中国漁船と海保巡視船の衝突事件とその後の日本の対応は、そのアメリカが「タイミングを見極める」もしくは「米中の力のバランスを見極める」ための行動と連結していた可能性があります。どういうことか、これから説明していきます。

🎨 アメリカの駒にされている日本
これまで、日中は互いが所有を主張しあう尖閣諸島の領土問題を、あえて解決せず、棚上げしてきました。その一方で、両国共通の利益となるガス田の共同開発などを推し進めてきました。過去に、中国人の活動家が島に上陸した時も、逮捕や拘束などで事を荒立てることなく、強制送還するというやり方をとってきました。東京新聞論説主幹の清水美和氏は、領土問題であえて白黒はっきりさせないことは、「尖閣諸島を実効支配する日本にとっては有利な取り決めとも言えた。棚上げされている限り、日本の実効支配が続くことを意味するからだ」と述べています。http://www.videonews.com/on-demand/491500/001567.php

確かに、アメリカべったりで中国との関係を冷え込ませていた小泉元首相でさえ、わざわざ中国の反感を買うようなことはしなかったのです。しかし、今回日本は、これまでの方針を180度変え、船長を拘束するという強硬手段にうって出ました。前述の清水氏は、日本は「今回、これまでの棚上げを返上し、船長を刑事訴追する意思を明確に示した。これに危機感を覚えた中国は、これを日本の政策転換と受け止め、必ずしも事の重大さを理解していない日本側にとっては過敏とも思える報復に打って出てきた。」と述べています。しかし、なぜ日本は、方針を変える必要があったのでしょうか。「船長を刑事訴追する意思を明確にした」のは、日本政府の意思だったのでしょうか?民主党には親中派も多く、アジア諸国との信頼関係の構築を目指してきたはずです。日本が、今回のタイミングで自発的に中国を刺激する必要があったとはなかなか考えにくいことと、尖閣諸島の領有権問題が米中闘争の只中にあるアメリカにとって決定的に重要であることを考え合わせると、アメリカが船長の拘束にGOサインを出した−つまり、日本を駒に使って「日本に中国を刺激する行動を起こさせた」のではないかと推察することができます。

尖閣諸島沖衝突事件は、民主党の党首選に向けて菅さんの再選のためのてこ入れを行っていたアメリカにとって、絶妙なタイミングで起きました。対米追従外交からの脱却を目指した小沢さんが選ばれてからでは、日本を駒として使いにくくなります。事件を機に、日本に中国をつつかせて、中国がどれくらい反応するかを探ったのではないでしょうか。アメリカも中国と戦闘行為などをするつもりはないでしょうが、中国がどれほどの実力と自信を示すのかを試すのには絶好の機会でした。

そうこうするうちに、党首選挙の結果はアメリカの狙い通り菅さんが再選され、菅改造内閣の閣僚メンバーはアメリカがより影響力を行使できる人事配置となりました。特に、新外相となった前原大臣はアメリカとの太いパイプをもち、元来、日米同盟強化が持論の政治家です。民主党の代表を務めていた2005年当時から、前原さんは、東シナ海のガス田をめぐって日中が軍事衝突する可能性を指摘するなど、領土問題では強硬姿勢を貫いてきました。小沢さんを排除した後、親米派の前原さんを外相ポストに据えることは、アメリカの思惑通りだったと見られます。外相となった前原さんがあれほど自身ありげに「粛々と・・・」と言い放ったのは、アメリカの後ろ盾があってこそなのです。

🎨 アメリカが戦わずして得た戦利品
アメリカの駒となって動かされ、船長を拘束したり、困って釈放したり、行き当たりばったりなことをしたために、日中関係は悪化。菅政権は日本国内では批判の矢面にたたされ、国際的には日本の弱腰外交が天下に晒されるなど、日本にとっていいことは何一つありません。では、駒を遠隔操作しただけのアメリカが手にした利益は、何だったのでしょうか。

まずは、日本が対米追随主義に舞い戻ったことです。今回のことで、日本国民の間に中国への反感や敵対意識、脅威論が俄かに高まりました。これは、アメリカのお家芸の“Scare Tactic(脅し戦略)”と呼ばれる常套手段で、軍事増強の必要性などを正当化するために人々の脅威を煽るやり方です。「東アジアは決して安定していませんよ、中国は脅威ですよ」という認識を日本人の中に刷り込ませ、だから、「日米同盟をもっと重視すべき」という方向に世論を先導するのです。マスコミによる反中国ムード形成も手伝って、普天間基地のごたごたの中で浮上した在日米軍基地不要論は沈静化していき、逆に周辺有事に備えた在日アメリカ軍の存在意義を再認識させる結果となっています。菅政権は、日米同盟の再強化を誓い、鳩山政権時代に「対等な日米関係」を目指したがためにギクシャクした日米関係は、どうやら元の鞘に戻りつつあるようです。

そして、アメリカが得るであろう最大の利益は、おそらく沖縄海兵隊グアム移転費になるでしょう。グアム移転に伴う経費は、06年の日米合意で総額102億7千万ドル(約9千億円)と明記されています。 このうち日本側は融資32億9千万ドルと財政支出28億ドルの計60億9千万ドル、米側は約41億8千万ドルをそれぞれ分担することになっています。それが、今年7月、ゲーツ米国防長官は、グアム移転協定の変更と共に、日本側に費用負担の増額を求めてきました。それと前後して、7月15日には米上院歳出委員会が、グアム移転費の政府原案の約70%(3億2千万ドル)を削減した予算法案を可決しています。北沢俊美防衛相は、日本政府として協議に応じる用意があるとする書簡を、すでにゲーツ米国防長官に送っています(7月29日 共同通信)。岡田元外相は「協定の見直しが必要かどうか、それは中身次第だ」と述べ、協定変更の可能性を否定していません(7月7日 琉球新報)。

続く8月下旬、アメリカ政府は、日本側の負担のうち、グアムのインフラ整備のために融資する7億4千万ドル(627億円)の大部分について、「返済不能」と日本側に伝えてきました。それに対し、日本は当面融資を見送るとしつつも、「移転事業は既に当初計画の2014年から3年以上遅れる見通しで、移転完了のさらなる先送りは同盟関係の弱体化につながる恐れがある。このため日本政府は、資金をすべて負担することによる決着の選択肢も捨てていない」と報道されています(8月27日 共同通信)。つまり、7億4千万ドルを貸すのではなく、差し上げてもいい・・・と仄めかしているというのです。アメリカが戦わずして得た戦利品。それは、今後数年間にわたって履行されるであろう沖縄海兵隊グアム移転のための莫大な資金源と考えるのが妥当でしょう。もし、尖閣沖事件がアメリカによって「起こされた」のだとしたら、アメリカの目的は、日本を再び手中に収めると共に、この資金源を確保することであり、アメリカはその目的を見事達成したと言えるでしょう。

🎨 日本同様、揺さぶられている韓国
アメリカが「タイミングを見極める」もしくは「米中の力のバランスを見極める」ためにやったのでは・・・と推定されるような事件は、日本でだけでなく、お隣の韓国でも起きています。今年3月、韓国哨戒艦「天安」が沈没した事件(事故ではなく事件)を思い出してください。韓国の李明博大統領は2010年5月20日、北朝鮮を名指しで犯人と発表し、アメリカ、日本などの先進諸国はすぐさま韓国への支持を表明しました。

韓国、アメリカ、イギリス、スウェーデンを含む合同調査団の報告では、天安艦は北朝鮮の攻撃により魚雷が爆発して沈没したとされ、魚雷の残骸がテレビで映し出されていました。しかし、この調査報告については、韓国国内やアメリカの一部のメディアで、不可解な点が多い、証明が科学的でないなど、信憑性を問う声が上がっています( “Doubts surface on North Korea’s role in ship sinking” 7月23日 ロサンゼルス・タイムス)。

例えば、米国ジョーンズホプキンス大のソ・ジェジョン物理学教授は、「合調団の発表の通りなら、それが正しければ天安艦は粉々になるはずだ」「250kgの魚雷が6m程度の距離で爆発すれば、天安艦はほとんど崩壊する」とし 「合調団が公開した写真には切断面がとてもきれいで、衝撃波でできるような 切断面とは全く違う」と主張しています。(2010年5月 「天安艦は座礁か衝突で沈没」より

なぜ天安が沈んだか、事実の真相は知りようがありませんし、この本稿の目的はそれを探ることでもありません。本稿の目的は、「天安艦事件」に関係国(韓国、北朝鮮、アメリカ、日本など)がどんな意図をもって関わり、結果、東アジアの安全保障にとってどのような意味があったか、ということを分析することです。

🎨 アメリカに逆らえなかった李明博政権
もし、天安の沈没が北朝鮮の攻撃によるものでなかったとすると、なぜ、李明博政権は、北朝鮮に濡れ衣を着せるような強攻策をとったのでしょうか。

韓国は、米韓相互防衛条約により米軍基地が置かれ、アメリカの同盟国として米軍事戦略の一端を担い、対米追従外交を採用している点で、日本の同様の立場にあります。今回のような朝鮮半島有事に関わる重大且つセンシティブな問題について、韓国の独断で決めることなどあり得るでしょうか?ましてや、もし真相と違うのであれば、沈没の犯人を北朝鮮に押し付けるなどという過激なことをやるとは常識的には考えられません。にもかかわらず、沈没を北朝鮮の犯行と断定したのは、「アメリカに逆らえなかった」からだと推察することができます。つまり、アメリカが韓国を駒に使って、北朝鮮を挑発させたのではないかということです。

では、この推察が正しいと仮定すると、アメリカはなぜ、北朝鮮を犯人に仕立て上げたかったのでしょうか。背景にあるのは、2012年に予定されていた在韓米軍から韓国軍への指揮権の移譲です。拡大する中国の軍事力とアジア・太平洋地域への影響力を考えると、アメリカが韓国における軍事指揮権を手放すのは時期尚早である、あるいは手放したくないという判断をしたとしてもおかしくありません。国家同士の約束事をアメリカの勝手な都合で破棄するわけにもいかず、どうしても約束を延期するための大義名分が必要だったのです。そのために作られたのが「北朝鮮犯人説」で、やはり、お決まりのScare Tactic (脅し戦略)です。つまり、小競り合いを起こし、南北の対立を煽り、朝鮮半島の不安定化と韓国民の不安を煽れば、米韓の継続的な軍事協力の必要性は正当化されます。

🎨 期待はずれに終わった安保理決議
韓国政府は、5月の合同調査で北朝鮮を犯人と断定した後、6月の国連安全保障理事会で北朝鮮への制裁決議を採択することをもくろんでいました。しかし、ことは韓国政府の思惑通りには進まず、採択された議長声明では、「哨戒艦沈没につながった攻撃を非難する」としたものの、攻撃の主体を北朝鮮と明示する表現は避けられました。声明では、北朝鮮を犯人とした合同調査の報告書に言及し、「安保理として深い懸念を表明する」に留め、「対話による解決で、朝鮮半島と東アジア一帯の平和と安全を確保することが重要だ」と述べています。安保理で北朝鮮の名指しが避けられたのは、「名指しの非難決議や非難声明で北朝鮮を追いつめると暴発を招く」という中国と、慎重に態度を選びたい他の理事国が多かったからです。声明文には、北朝鮮の名指しを避けるのみならず、「わが国は事故と関係がない」とする北朝鮮の主張もあえて併記されています(7月9日 「安保理議長声明原文」 U.N. Security Council statement on Korea ship sinking

当初、李明博政権が念頭においていた「制裁決議」ではなく、より影響力の弱い「議長声明」へと格下げされ、安保理で「北の責任」を決定的なものにしようとした韓国(とアメリカ)の狙いは、華々しいとは言えない結果に終わりました。それでも、議長声明をうけて、クリントン米国務長官は、「北朝鮮の無責任で挑発的な行動は、平和と安全に対する脅威であり、容認できないとの明確なメッセージだ」と述べ、北朝鮮の申善虎国連大使も「事件がわが国と関係がないことがはっきりした。わが国の外交の偉大な勝利だ」と、どちらも勝ち誇ったような発言です。おまけ的存在の日本は、日本の高須幸雄大使が「結果は明白。韓国側は説得力があった。北朝鮮は、何も説明できなかった」と何の説得力も無いコメントをしています(6月15日 読売新聞)。

🎨 株を上げる中国、下げる韓国と日本
一方、この天安艦事件の一連の出来事をめぐって、「思惑通りになった」と見ている国が中国です。中国は「北朝鮮は事件への関与を認めておらず、金正日総書記も今年5月に胡錦濤国家主席と会談した際、直接関与を否定した」とし、合同調査結果についても「検討中」といい続けて判断を先送りしました。そして、「直接の非難は北朝鮮の暴発につながりかねない。今後は経済支援を拡大して北朝鮮の体制を支えつつ、中断している6か国協議の再開も目指す構えだ」と述べ、議長声明の中で北朝鮮を名指しで非難することを断念させています。制裁決議とならなかったことで、中国はこれまで通りに北朝鮮への経済支援を進めていくことができるばかりでなく、国際政治における自らの発言力をいっそう強めています。米韓の思惑は、事件の真相を知っているであろう中国にすっかり見透かされた形になり、この事件で、中国が、アメリカと韓国に対して優位な立場に立ったことは間違いありません。

日本のニュースではほとんど伝えられていませんが、実は韓国国内では、当初から多くの人々が季明博政権が発表した北朝鮮犯人説を懐疑視していました。5月に発表された政府の合同調査団による報告は捏造されたものではないか、という市民らの疑念から、6月16日、市民団体が中心となり、「天安艦事件真実究明と韓半島平和の為の共同行動」が発足しました。その「共同行動」には43のNGO団体や市民・社会団体が参加し、情報と資料の収集、専門家らとのネットワークの形成、野党との協調など、独自の真実究明活動や、韓国国会での国政調査要求などの活動を展開しています。そして国連安保理議長および理事国に対しても、「天安艦調査結果発表によって解明されていない8つの疑問点」と「天安艦沈没調査過程の6つの問題点」とした文書を送るなど、真相究明に向けた活動を活発に行っています。(「天安艦事件 李明博政権国連安保理でも進退窮まる」より)。

アメリカの駒となって動かされた挙句、南北関係は冷え込み、韓国国内では北朝鮮犯人説の疑惑で糾弾され、合同調査報告後の地方選挙では与党ハンナラ党は敗北に終わり、アメリカにはいいとこ取りをされ、これまた何一ついいことの無い季明博政権、日本と韓国は、まるで同じ穴のムジナです。

🎨 恐るべしアメリカの諜報活動
一方のアメリカは、当初の大目的である、在韓米軍の指揮権の韓国軍への移譲の延期が達成されたので、涼しい顔です。6月26日、トロントで行われた米韓会談で、オバマ大統領とイ・ミョンバク大統領は、2012年4月に予定されていた指揮権の韓国軍への移譲を2015年末に延期することで合意しました。産経新聞によると、「北朝鮮による韓国哨戒間撃沈事件や核実験を受け、米軍の主導の防衛体制の維持が必要として、韓国が要請していた」「李大統領は米国の要請受け入れに謝意を示し、北朝鮮の侵略行為を阻止するため、全力を尽くすと述べた」との結末に至っています(6月27日 産経新聞)。

朝鮮半島における権力を弱めたくなかったアメリカ。これで韓国に居座るための大義名分ができ、しかも韓国側からの延長の要請を受け入れるという実にスマートな形で目的を達成したのです。Scare Tactics を少しくらい中国に見透かされたとしたって、全く痛くも痒くもありません。恐るべし、アメリカの諜報活動。

話を始めに戻しますが、尖閣諸島沖衝突事件(と中国人船長を拘束した日本の動き)、そして、韓国の哨戒艦天安の沈没事件(と北朝鮮を犯人と断定した韓国の動き)は、ともに、アメリカが「起こした」という推察を検証してきました。日本と韓国を駒に使ったアメリカの目的は、アジア・太平洋地域での覇権を維持するための足固め−日米同盟、米韓軍事同盟の強化−であったというのが本稿の分析結果です。ややもすると、「対等な日米関係」「脱対米追随外交」などと言い出す日本や韓国を、Scare Tacticsで手中に収めなおし、中国をけん制し、ついでにお金まで貢がせるする、一石二鳥以上の戦略でした。日本と韓国は、今回自分たちが駒として使われたのだということをまず認識すべきです。そして、駒は、利用価値があるうちは使われ、やがて使い捨てられるだろう、という危機感を持ち、これから国家としてどのような道を歩むべきか考えなければなりません。
posted by Oceanlove at 00:37| 日本の政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

尖閣諸島と日本の安全保障


9月8日、尖閣諸島付近の海域で、中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船が衝突した事件は、中国人船長が沖縄検察庁に拘束され、その後処分保留のまま釈放という経過をたどりました。菅政権の不能さと日本の安全保障について憂うことを、整理してまとめてみました。

🎨 事件のいきさつ
まず、大雑把ないきさつですが、日本政府は、尖閣諸島には領有権問題は存在しないという立場で、日本の領海内で起きた事件について、日本の法律に基づいて粛々と対応するという発言を繰り返してきました。前原外務大臣は、「尖閣諸島は日本の領土。主権をしっかり守っていく」として、衝突の様子を撮影した海上保安庁のビデオ内容を根拠に「中国漁船がかじをきって体当たりしてきた。公務執行妨害での逮捕は当然だ」と語るなど、毅然とした態度を見せていました。

しかし、中国人船長を逮捕という日本の行動は、中国の猛反発を引き起こしました。船長を釈放せよとの要求に留まらず、閣僚級の接触禁止、政府の国際会議参加を取り止め、文化交流の中止など、事は急激に二国間問題に進展しました。温家宝首相は「不法拘束中の中国人船長を即時・無条件で釈放することを日本側に求める」「釈放しなければ、中国はさらなる対抗措置を取る用意がある。その結果についてすべての責任は日本側が負わなければならない」とも発言し、レアアースの日本への輸出停止やフジタの社員3人の拘束など、複数の報復措置を取るにまで至りました。

そして、9月23日、両国間の対立が激しさを増す中、那覇地検は逮捕した船長を「日中関係への配慮」を理由に、処分保留のまま釈放しました。これに対し、与野党内から「日本は圧力に簡単に屈することを対外的に示してしまった」「拘留された日本人の身柄の安全や経済へのダメージを避けるためには仕方ない」「釈放は司法の独立した判断だとは誰も思わない」・・・などと喧々諤々の議論が飛び交いました。一般世論も「中国とはなんという横暴な国だ」「ごねた者勝ちという感じで悔しい」「日中関係を悪化させたくないので釈放も仕方ない」などと、一般市民の中国への反感も急激に高まっています。

小川敏夫法務副大臣は、「刑事訴訟法248条により、検察官は様々な状況を勘案して(処分を)決定する。社会に起きている事象もすべて判断したうえで、検察も判断する」「検察の捜査は政治が主導するものではない。捜査は独立している」と、検察への政治介入を否定すると同時に、釈放の判断には問題がないとしました。(9月28日 読売)。

しかし、地検の釈放判断に、政治介入が全くなかったというのなら、釈放の理由として「日中関係への配慮」という文句を使ったのは非常に紛らわしく、政治家の判断が影響したと誤解を受けても仕方ありません。しかし、小川法務大臣の言うように、「検察も社会状況を勘案して判断する」というのよしとするならば、日本の法を犯す者がいても、状況次第で逮捕されたりされなかったり、起訴されたりされなかったりすることがあるということを公言しているわけで、法治国家の呈をなしていません。

🎨 尖閣諸島に領土問題は存在する
尖閣諸島について、日本政府は「日本固有の領土だ」として、領土問題は存在しないという立場に立っています。しかし、「わが国固有」とはどういうことでしょうか。いったい歴史のどの時点での認識をもってわが国の領土だと主張するのでしょうか。マスコミなどでは、その根拠として挙げられるだけのものを挙げて正当化しようとし、領土問題の検証をする姿勢は見られません。根拠として一番重要視されているのが、沖縄がアメリカ占領下にあったときは沖縄の一部として認められていたのだから、そのまま日本に返還されたので当然日本の領土だという、アメリカを後ろ盾にした根拠です。

もともとは、尖閣諸島というのは、中国名を釣魚諸島といい、古くは明の時代から中国領だったものを、明治時代の天皇制日本政府が台湾侵略の足がかりとして狙ったものです。日本の領有が記録されるのは、日清戦争の勝利後、日本が沖縄県所轄に組み入れたときです。ただし、これは講和条約に含まれていたわけではなく、日本が勝手に閣議決定したものでした。その後、日中戦争時に日本が台湾の一部として占領しました。ですから、1945年に日本の敗戦と共に台湾に返還されるべきものだったはずが、アメリカが沖縄県の一部として占領することになったのです(その時点では中国側からは公式には抗議が出ていません)。しかし、1972年の沖縄返還時、尖閣諸島も日本の領土として返還されることを知って初めて、中国はそれはおかしいと抗議したのです。1945年の時点ではほっておいて、天然資源が埋蔵されていることが明らかになったこの頃になって、突然自分たちのものだと主張し始めるなど虫のいい話ですが、尖閣諸島を巡る今日的な領土問題はこの頃発生したと考えていいでしょう。1978年の日中平和友好条約の調印の際は、尖閣諸島の領土問題は解決を次世代に先送りすることで両国が合意しました。1992年には、中国は海洋法を制定し、正式に尖閣を自国の領土だと宣言しています。

これはもう、歴史的経緯や話し合いでどちらかの領土として決着するような問題ではなくなっているというのが現実です。戦中に書かれた文書や新聞記事などをいくらひっくり返して、「ほらここに沖縄の一部だと書いてあるじゃないか、あの時はお前(中国)もそれを認めていたじゃないか」などと言ったところで、どうにもなりません。これは互いに国益にかかわる問題なので、日本政府も中国政府も「自分の領土だ」と永遠に言い張るでしょう。両国政府が、表向きはなんと言おうと、明らかに、尖閣諸島に「領土問題は存在する」のです。

🎨 尖閣諸島問題は、実は中国とアメリカの争い??
ところで、日中戦争時代、尖閣諸島が日本の占領地であったのは日本が力ずくで占領していたからで、その後アメリカの占領下に置かれたのはアメリカが戦勝国であったからですが、ならば中国も戦勝国です。アメリカが尖閣諸島を沖縄の一部として占領する時点で、「元々は中国のものなのだから中国に帰せ」となぜ主張しなかったのでしょうか?このときアメリカが独断で決めたとしたら、これは、日中間の領土問題ではなく、米中間の領土問題です。そして、その後もアメリカは、沖縄を返還するとき、中国の抗議を押し切って、日本に返還をしました。敗戦国日本に返すのか、日本の占領前に遡り台湾あるいは台湾を中国の一部だと主張する中国に返還するのかという争いになってしかるべきだったのが、そうはならず、アメリカは尖閣諸島は日米安全保障条約に含まれる地域として、日本に返還しました。

尖閣諸島に日米安保条約が適用されるかどうかは、2009年の衆議院予算委員会で当時の麻生首相がアメリカに確認すると答弁し、アメリカから「安保適用」との公式見解を受け取っています。(読売新聞 2009年3月9日)。当然、中国は面白くありません。日本は、日米安保を武器に「日本の固有の領土」と主張しているわけですが、もしアメリカの後ろ盾が無ければそれほど強硬に出ることなどできないでしょう。とすれば、これは表面的には日中間の領土争いであるのですが、実はその水面下を探っていくと、尖閣諸島付近の海域、南シナ海、ひいては東アジア・太平洋地域全体を巡る米中間の争いであることが見えてきます。

🎨 日本の国内政治に神経を尖らすアメリカと中国
今回の衝突事件が意味するものは、こうした経緯を念頭に、日中間外交を超えたところを見据えて分析する必要があります。事件は突発的に偶然起こったものではなく、むしろ「起こされたもの」だと考えるべきでしょう。問題は、どちらがどんな意図を持って仕掛けたのかということです。

注目したいのが、衝突事件が起きた時期、9月8日です。民主党党首選が9月1日に告示され、菅さんと小沢さんが激突する選挙戦に突入していました。次期首相がどちらになるかで、日本外交の進路は大きく変わってきます。太平洋を挟んでそそり立つ大国のアメリカと中国にとって、そして日本政府の外交方針を見極めること、日本を自国に有利な方向に引き寄せることは極めて重大な問題です。両国とも、民主党党首選の行方に神経を尖らせていたはずです。アメリカは当然のことながら、菅政権の継続に向けて様々な「働きかけ」と行っていました。では中国はどうでしょうか。

民主党は結成以来、政権交代を視野に入れて中国との戦略的互恵関係の構築に努め、共産党幹部とのパイプも培ってきました。菅さんは国会議員として数十回も訪中しているし、小沢さんにしても幹事長だった2009年12月の600人訪中で胡錦濤国家主席とも会談するなど、親中派であることには変わりはありません。しかし、中国にとって、菅さんと小沢さん、どちらが首相になった方がメリットがあるでしょうか。

菅さんなら、政治主導と口では言いながら実質はこれまでの自民党政治と大きく変わらず、外交や安全保障政策は対米追随主義が継承されるでしょう。一方、小沢さんは、日米関係とと日中関係は辺の長さが同じ二等辺三角形だ、という主張をしてきました。日米同盟は維持しながら、東アジア諸国同盟を構想し、脱対米追随外交を展開することが予測されます。ただし、小沢さんは領土問題をめぐっては、歴代の政権の誰よりも明確な意思表示をしています。例えば、小泉政権時代の2004年3月24日、尖閣諸島の魚釣島に中国人活動家7人が不法上陸したことがあります。しかし、政府の判断で送検はされず、すぐに強制送還となりました。小沢さんはこの時の政府の判断を「事なかれ主義」と批判し、「僕が首相の立場なら、日本の主権を意図的に侵した活動家7人は法律にのっとって適正に処理する。そして、日本の領土である尖閣諸島に海上保安庁の警備基地などを設置して、国家主権の侵害を認めない」と断言しています。

🎨 中国の国家戦略
中国にとってのメリットを考える前に、その背景として確認しておきたいのは、近年の西太平洋沿岸(東シナ海、南シナ海、台湾付近)を巡る米中両国の対立です。中国は、海軍の近代化を推し進め、近海防御型から外洋展開型に移行して海洋権益を拡大しつつあり、今年3月頃からは南シナ海を中国の「核心的利益」と呼び始めています(毎日新聞9月20日)。7月にベトナムのハノイで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域フォーラムで、クリントン米国務長官は「南シナ海の航行の自由は米国の国益であり、軍事的脅威に反対する」と述べています。日本にとっても、その地域はシーレーン(中東からのエネルギー供給路)でと呼ばれ、まさに日本の生命線が脅かされている状況です。

中国の南シナ海展開の背景にあるのは、中国の当面の目標である「台湾併合」を達成するために、この海域におけるアメリカの軍事介入を削ぐことにあります。もし、中国が台湾や周辺の海域を制圧するようなことがあれば(それはすなわちアメリカの敗退を意味するわけですが)、日本はアメリカではなく中国の配下に入れられることになるでしょう。今日明日そんな事態になることはないとしても、東シナ海や南シナ海で一足触発となる可能性は常に存在するのです。それがいわゆる台湾有事、周辺事態などと呼ばれるもので、それを阻むために両者が睨みをきかせているのが現在の状況です。尖閣諸島の問題は単なる日中間の領土争いではなく、尖閣の海域を含む西太平洋地域全体の覇権を巡る、中国とアメリカの争いと見なければなりません。

では、このような中国の国家戦略において、日本はどう位置づけられているのか、中国の対日戦略とは、いったい何でしょうか。その柱となっているのは、「台湾有事の際に、日本に米軍の台湾救援の軍事介入に協力させないこと」です。中国と台湾が衝突した場合、アメリカは台湾を援護するための軍事行動を起こすでしょうが、その時、日本は日米同盟と「周辺事態法」に基づき自衛隊を派兵し米軍を後方支援することが可能です。はたして、日本が実際に周辺事態法を発動させるかどうか、つまり日米同盟はどれくらい強固であるかを測るのに、民主党党首選前の段階で二通りのシナリオが考えられまた。

シナリオ1:菅政権(対米追随主義)となり、日本がアメリカに追随すればするほど日米同盟は強固になり、周辺事態の際自衛隊が後方支援する可能性は高まる。中国海軍の外洋展開やその先の台湾開放には大きな障害となり、しかも、自衛隊が出動すれば歴史問題とあいまって日中関係は最悪となる。

シナリオ2:小沢政権(脱対米追随主義)となった場合、日本が単なるアメリカの駒となって動く可能性は低くなり、日米関係が悪化する分、日本は中国との新しい戦略的協力関係の構築が不可欠となる。ただし、小沢さんは尖閣諸島や台湾海域のシーレーンは断固堅守するはずで、やはり領土問題と海洋権益をめぐっては戦略的互恵関係の構築も容易くは無い。

🎨 アメリカをけん制する中国
党首選を前に、小沢さんの勝利を阻もうと画策する日本政界の動きや、日本にてこ入れし傀儡政権の菅政権を誕生させようとするアメリカに、中国は神経を尖らせていたに違いありません。いずれにしても、中国にとって、日本の新政権が日米同盟を何処まで重視しているか、日本はアメリカの駒となるのか、実際に周辺事態法を発動させるつもりどうか等を測ることは、対日軍事戦略上非常に重要です。中国漁船と海保の巡視船の衝突事件が、中国側によって「起こされた」のだとしたら・・・、中国は、尖閣諸島付近で衝突が起きればどうなるかという展開を読んだうえで、意図的にアメリカをけん制した、そして日米の反応を試したのではないでしょうか。事件を受けて日本がとりうる対処は「日本の国内法に基づいて拘束して起訴する」か、「早々に釈放してものごとを荒立てない」か、の二者択一です。日本が船長拘束の強攻策に出た場合、対抗して強攻策に出て、日本が屈するまで手を緩めない、というのが中国側の筋書きだったと考えられます。日本が強攻策に出るとすれば、それはアメリカの後ろ盾あってのことですから、中国の目的は、まさに日米同盟の結束の度合いを測ることだったのではないでしょうか。

さて、選挙結果は、菅さんの再選となり、菅改造内閣が発足しましたが、この事件がもたらした影響は様々な方向に及んでいます。まず、文頭で述べたとおり、日本国内では菅政権の危機管理体制の甘さ、リーダーシップの欠如、全てに後手後手に回り行き当たりばったりの政権運営に対する世論の批判が噴出しています。船長釈放の決断には「政治介入が無かった」などと見え透いた嘘を押し通そうとするなど、国民を舐めるにもほどがあります。対外的には、弱腰外交丸出しで日本は圧力に屈しやすい国、御し易い国であることを印象付けてしまいました。政権交代しても対米追従に逆戻りし、独立した国家としてのビジョンは見えず、世界はおろか、アジア地域におけるリーダーの風格も無い・・・これが現在の日本の姿です。


posted by Oceanlove at 15:20 | TrackBack(0) | 日本の政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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